たつの市の善定から札楽川方面は、よく歩いていた時期がありましたが(2007/01/06)、久しぶりに行って見ました。松尾神社の前から札楽山林道を歩いて行くと、周囲の山がかなり伐採されていました。おなじみのお地蔵さんは前と変わっていませんが、お地蔵さんの前の山は伐採されてネットで囲われています。前は植林を抜けて尾根に上がって黒蔵に行ったのですが、その植林は完全に伐採されて、尾根に上がるのは困難になっています。しかたがないので南に向かう道を歩くことにしました。西側の山は広く伐採されており、道も部分的にはネットの中を通り抜けますが、赤い「火の用心」のある付近は以前とあまり変わっていません。ここで左に行くと播磨線26鉄塔に出ますが、今日は右の細い道に入ってみました。これは植林の中を行く道で、途中で27鉄塔への分岐がありますが、まっすぐに登りました。道は途中で少し怪しくなりますが、谷の奥へ続いています。徐々に西寄りに向きを変えて、最後は炭焼き窯がありました。この先には特に道はありませんが登るのに支障は無く、尾根に出ました。これは2007/01/06に登った27鉄塔のある尾根で、すぐに392mピークに出ました。ここを右に曲がれば黒蔵ですが、今回は左に歩きました。
気持ちのよい尾根で、倒木等も多いのですが、だいたいは道があります。たつの市と相生市の市境だからか標石もずっと埋められています。地形は複雑で、巡視路との合流点にある「火の用心」には、私が歩いて来た方向には「コッチはX」と書かれていました。尾根の巡視路はいきなり目の前に大きな岩があったりしますが、かつてはよく整備されていたであろう道で、播磨線25鉄塔に出ました。送電用サージカウンターが付いていますが、中を見るとカウントは0で電池切れです。さらに巡視路を南に歩いて、367mピークの近くの播磨線24鉄塔に着きました。この先をさらに西に巡視路を歩くと、釜出に行けるわけですが、今回は南東へ市境を歩きました。こちらは明確な道がないのですが、ピンクのマーキングがあって、これを辿ると楽に歩けました。ちょっとシダが生えている所もありますが、問題なく歩けます。このルートは後で調べると「善定コース(迷い易い)」のようです。360m+ピークは南を巻いて行きますが、その先で市境が東に折れて350m+ピークに行くところで道はどんどん谷に降りて行ってしまいます。市境に戻ってもよかったのですが、ピンクテープがあまりに多いのでそのままついていくことにしました。すると溜池の南に出てきました。細い流れに細い木が3本横たえてありますが、これは渡れないので、ちょっと脇で流れを飛び越え、向かいの坂を上がると道路に出ました。これは地形図にも載っている菖蒲谷方面に繋がっている道です。
東に歩くと菖蒲谷森林公園の案内板があり、この溜池は「とんぼの池」というのだそうです。正面ではサバイバルゲームが行われており、迷彩服を着た人達がいたので、そちらには行かず、北へ向かい、小さな川にかかる大きな橋を渡りました。そのまま北に歩くと、楓池へ繋がる谷は削られて太い道になっていました。東側の山に上がる道が作られていたので、これを登りました。この付近は2006/02/25にも来ましたが、道があると楽に歩けます。東屋などはありませんが、道はよく整備されています。展望はありませんが、たまに南の大倉山が見えます。標高430m付近まで登ると、桃をパカンと割ったような面白い岩がありました(写真)。道は460m+ピークまで登り、さらに大成池の方へ向かっていましたが、善定に戻るために460m+ピークから北に降りました。この尾根は藪で、最初は方向が定まらず困りましたが、太い尾根を北に降りて行きました。たまに切り開きがありますが、シダも多く、歩きづらい尾根です。しかも尾根が曲がりくねっており、方向を確認しないと間違った方面に降りてしまいます。標高が400mを切るくらいになるとシダが多く、足元がよく見えないので歩きづらい場所もたくさんありました。岩も多いなと思ったのですが、考えてみるとここは墓石で有名な善定山ですから当然かも知れません。勾配は徐々に急になり、シダと岩で歩きづらくなりました。290m+の小ピークを越すと、シダの中に標石が埋まっているようになりました。近くの木に赤ペンキで何やらマーキングがあります。シダの生えていないところは歩きやすいのですが、尾根にはシダが多く、最後は谷を歩きました。札楽川の水音が聞こえるようになった付近で東に向かう作業道跡を見つけて、札楽山林道に戻りました。
予想していたことですが、下山に通った尾根は山歩き向きではありません。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は[龍野」「二木」です。
2015年2月15日日曜日
2015年2月7日土曜日
延野から兵庫・岡山県境へ
上郡から西へ安室ダムの方へ安室川を遡って行くと、道路は北へ向かい、安室ダムの方へ曲がっていき、岡山県には行けません。この県境の山を歩いてみました。行頭の須賀神社に車を停めて歩き始めました。向かい側には小学校の分校がありますが、閉まっているようです。小学校の北の山には牛神様が祀られています。ちょっと北に歩くと西に谷があり、道があるのでこれを歩き始めました。しばらくは谷川沿いに道が続きます。流れを何回か渡りますが、道は明らかです。しかしだんだんと谷が狭くなり、大きな岩が谷を塞ぎ始めました。最後は岩を越えるのが危険になってきたので、西側の斜面を登ることにしました。しかしこの斜面は非常に急なだけでなく、大きな岩盤がたくさんせり出しており、登るのは不可能でした。しかたなしに急斜面を南にトラバースして登れる場所を探しました。すると、岩盤の上から水が落ちている場所に出てきました(写真)。滝というには水量が不足ですが、岩盤が大きいので結構迫力がありました。
滝の付近は岩盤で登れないので、もう少し南に尾根の裾を周ってから登り始めました。ここも岩の多い斜面ですが、岩盤ではなく勾配も少し緩いので、なんとか登ることができました。腕の疲れる登山でした。急な斜面を登り切ると平坦な場所に出ました。ここから主尾根までは広く木の少なめの藪です。かつて木を切って下に降ろした時に使われたと思われる溝が地面にありました。しばらく歩くと県境の主尾根に出ました。切り開きがあり、一挙に歩き易くなりました。最初の予定では県境を南に歩いて才ヶ峠から下山するつもりだったのですが、まず少し北に歩いてみることにしました。アップダウンの少ない尾根なので、落ち葉を踏んで軽快に延野三等三角点(342.21m)まで歩くことができました。標石の頭は赤く塗られていました。
明治時代の地形図を見ると最初に登った谷には道があります。ただし延野から西の尾根を越えて、私がギブアップした付近よりも奥で谷に降りています。それから谷をさかのぼって、県境を越えて岡山県の都留岐へと山の中を降りて行っています。この道の痕がないか調べたかったのですが、結局峠のお地蔵さんなどもなく、はっきりした道が尾根を横断している場所もありません。かなり北で、最初に遡った谷の一番奥の付近で岡山側から道が上がってきていました。ここから北の尾根は急に道が怪しくなったので、おそらくはこの岡山側からの道の延長が尾根上に南に延びているのだと思います。
さらに北に歩くとさらに道は怪しくなります。シダが茂っていたり藪がきつかったりする場所もありますが、木の間隔が広くて歩きやすかったり、明らかに切り開きと思われる場所もありました。西や北に展望がある場所もありますが、付近に高い山がないので面白い景色はありません。尾根は東に曲がりますが、道が現れたり消えたりするのは相変わらずです。わりとしっかりした道のある部分もあります。北に溜池があるはずですが、ほとんど見えません。
そして、県境が北に折れる所で南の尾根に向かいました。こちらにも最初は切り開きがありました。しかしシダの大きな藪に突き当たって消えてしまいました。この付近の尾根は複雑で、なかなか思った方向に行けません。行こうと思ってもシダ藪がひどいと入っていけません。急な斜面もあって苦労して南に歩き続けました。シダ藪を抜けると開けた場所に出たり道があったりします。最後は谷沿いの尾根を歩いて、最初に登った谷の東側の尾根を降りたかったのですが、途中でわりとはっきりした道と出会ったので、それを辿りました。シダが多い場所もありますが、道を見失うことは無く、最後は気の枝を通して延野や安室ダムが見える所に出てきました。ここからは急斜面をジグザグに降りる道がついていました。降りてくると堰堤があり、墓地から延野に出られました。
最初は岩盤との戦い、最後はシダ藪との戦いになりました。県境の尾根は特に魅力的な道でもなく、ゴミが目立ちました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「上郡」です。
滝の付近は岩盤で登れないので、もう少し南に尾根の裾を周ってから登り始めました。ここも岩の多い斜面ですが、岩盤ではなく勾配も少し緩いので、なんとか登ることができました。腕の疲れる登山でした。急な斜面を登り切ると平坦な場所に出ました。ここから主尾根までは広く木の少なめの藪です。かつて木を切って下に降ろした時に使われたと思われる溝が地面にありました。しばらく歩くと県境の主尾根に出ました。切り開きがあり、一挙に歩き易くなりました。最初の予定では県境を南に歩いて才ヶ峠から下山するつもりだったのですが、まず少し北に歩いてみることにしました。アップダウンの少ない尾根なので、落ち葉を踏んで軽快に延野三等三角点(342.21m)まで歩くことができました。標石の頭は赤く塗られていました。
明治時代の地形図を見ると最初に登った谷には道があります。ただし延野から西の尾根を越えて、私がギブアップした付近よりも奥で谷に降りています。それから谷をさかのぼって、県境を越えて岡山県の都留岐へと山の中を降りて行っています。この道の痕がないか調べたかったのですが、結局峠のお地蔵さんなどもなく、はっきりした道が尾根を横断している場所もありません。かなり北で、最初に遡った谷の一番奥の付近で岡山側から道が上がってきていました。ここから北の尾根は急に道が怪しくなったので、おそらくはこの岡山側からの道の延長が尾根上に南に延びているのだと思います。
さらに北に歩くとさらに道は怪しくなります。シダが茂っていたり藪がきつかったりする場所もありますが、木の間隔が広くて歩きやすかったり、明らかに切り開きと思われる場所もありました。西や北に展望がある場所もありますが、付近に高い山がないので面白い景色はありません。尾根は東に曲がりますが、道が現れたり消えたりするのは相変わらずです。わりとしっかりした道のある部分もあります。北に溜池があるはずですが、ほとんど見えません。
そして、県境が北に折れる所で南の尾根に向かいました。こちらにも最初は切り開きがありました。しかしシダの大きな藪に突き当たって消えてしまいました。この付近の尾根は複雑で、なかなか思った方向に行けません。行こうと思ってもシダ藪がひどいと入っていけません。急な斜面もあって苦労して南に歩き続けました。シダ藪を抜けると開けた場所に出たり道があったりします。最後は谷沿いの尾根を歩いて、最初に登った谷の東側の尾根を降りたかったのですが、途中でわりとはっきりした道と出会ったので、それを辿りました。シダが多い場所もありますが、道を見失うことは無く、最後は気の枝を通して延野や安室ダムが見える所に出てきました。ここからは急斜面をジグザグに降りる道がついていました。降りてくると堰堤があり、墓地から延野に出られました。
最初は岩盤との戦い、最後はシダ藪との戦いになりました。県境の尾根は特に魅力的な道でもなく、ゴミが目立ちました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「上郡」です。
2015年1月24日土曜日
黒田庄門柳の大樅峠から高山
「播磨の峠ものがたり」という本を読んでいて、大樅峠に行ってみたくなりました。黒田庄駅の北の踏切を渡ると兵主神社の鳥居があり、そこから門柳を抜けて県道559号線を東に走ります。道は狭くなりますが、急坂はなく、雰囲気の良い植林地帯となります。地形図で実線道が終わる付近に車を停めて歩き始めましたが、この先も峠まで簡易舗装の道路が続いています。ただし地形図よりは北側を曲がりながら登っていきます。峠では左右に林道が分かれますが、説明書きを見ると平成16年の台風災害の後で植林を整備したようです。峠へは階段を上がります。左右の伐採地は金網で囲まれています。その間は藪で、イバラも多く、注意して抜けるとその東側は植林となります。峠のお地蔵さんはありませんが、境界の標石が打ち捨てられています。消えかかった登山道の標識があり、南には大呂峠、高山などの地名が書かれています。ここから南に斜面を登りました。
急斜面ですが登山道なので歩きやすく、ひとしきり登ると大呂峠へ道標があります。ここは鉄尾頂上と書いた札がありますが、鉄尾を消して松尾山と書いてあります(他の道標には金掘という名前もありましたが、どこのことでしょうか?)。登山道整備を平成24年から25年に行ったようで、どうりで歩きやすいはずです。ここから西脇市と丹波市の境界を東に歩くのですが、その前に南の600m+ピークに行ってみました。ここは2014/03/19に西から歩いて来ました。テープのマーキングはたくさんありますが、山名の札はありません。北に戻って市境を東に歩きました。赤い板の案内板がたくさん木に付けられていますし、道も整備されています。513mピークは大杉山というのかも知れません。大呂峠というのは460m+の鞍部で、南向きに石に掘られたお地蔵さんが立っています。南向地蔵というようです。ここは南北に降りる道があるようです。その東の480m+の小ピークからは北に降りられるようですが、まっすぐ歩くと奥多々良木本線74鉄塔に出てきました。北に展望があります(写真)。そのまま尾根を歩くと510m+ピークを過ぎて513mピーク(大杉山?)に行ってしまいますが、市境は510m+ピークから東に降ります。
高山に近づくと急勾配になりますが、トラロープが張ってあります。途中に「地蔵の森公園」という初出の道標がありました。山頂は展望はありませんが、高山四等三角点(659.59m)があります。標石はかなり角が欠けています。さらに東に歩くと伐採地があり東側に展望が開けます。白髪岳が見えます。この東の591mピークは猿藪山という魅力的な名前ですが、ここから北に下山しました。「地蔵の森公園」からの登山道です。420m+の鞍部まで降りると「けやき峠」と書いてありました。ここから「地蔵の森公園」への道は植林の作業道で狭くて見失いがちでした。しかし林道高山線に降りるとあとは楽に「地蔵の森公園」に着きました。
公園からは遊歩道で首切地蔵尊まで歩きました。たいへん賑わっているのには驚きました。ここから西に林道(奥山林道?)に入り、大樅峠を目指しました。地形図の破線道付近に赤い道標があり「大樅峠 栢野越」と書かれていたので、そこから植林に入りました。枝打ちした枝が多が積もっている斜面で、最初は道がありませんでした。谷が細くなると道がありましたが、ひょっとすると登り口を間違えたのかも知れません。とにかく歩きにくい植林を登って大樅峠に戻りました。3時間半ほどで一周してきました。
大樅峠の門柳側は台風の後で山林の整備が進み、東側は首切地蔵尊を中心に行楽地となりつつありますが、その間の峠は今や道も消えかかっています。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。
急斜面ですが登山道なので歩きやすく、ひとしきり登ると大呂峠へ道標があります。ここは鉄尾頂上と書いた札がありますが、鉄尾を消して松尾山と書いてあります(他の道標には金掘という名前もありましたが、どこのことでしょうか?)。登山道整備を平成24年から25年に行ったようで、どうりで歩きやすいはずです。ここから西脇市と丹波市の境界を東に歩くのですが、その前に南の600m+ピークに行ってみました。ここは2014/03/19に西から歩いて来ました。テープのマーキングはたくさんありますが、山名の札はありません。北に戻って市境を東に歩きました。赤い板の案内板がたくさん木に付けられていますし、道も整備されています。513mピークは大杉山というのかも知れません。大呂峠というのは460m+の鞍部で、南向きに石に掘られたお地蔵さんが立っています。南向地蔵というようです。ここは南北に降りる道があるようです。その東の480m+の小ピークからは北に降りられるようですが、まっすぐ歩くと奥多々良木本線74鉄塔に出てきました。北に展望があります(写真)。そのまま尾根を歩くと510m+ピークを過ぎて513mピーク(大杉山?)に行ってしまいますが、市境は510m+ピークから東に降ります。
高山に近づくと急勾配になりますが、トラロープが張ってあります。途中に「地蔵の森公園」という初出の道標がありました。山頂は展望はありませんが、高山四等三角点(659.59m)があります。標石はかなり角が欠けています。さらに東に歩くと伐採地があり東側に展望が開けます。白髪岳が見えます。この東の591mピークは猿藪山という魅力的な名前ですが、ここから北に下山しました。「地蔵の森公園」からの登山道です。420m+の鞍部まで降りると「けやき峠」と書いてありました。ここから「地蔵の森公園」への道は植林の作業道で狭くて見失いがちでした。しかし林道高山線に降りるとあとは楽に「地蔵の森公園」に着きました。
公園からは遊歩道で首切地蔵尊まで歩きました。たいへん賑わっているのには驚きました。ここから西に林道(奥山林道?)に入り、大樅峠を目指しました。地形図の破線道付近に赤い道標があり「大樅峠 栢野越」と書かれていたので、そこから植林に入りました。枝打ちした枝が多が積もっている斜面で、最初は道がありませんでした。谷が細くなると道がありましたが、ひょっとすると登り口を間違えたのかも知れません。とにかく歩きにくい植林を登って大樅峠に戻りました。3時間半ほどで一周してきました。
大樅峠の門柳側は台風の後で山林の整備が進み、東側は首切地蔵尊を中心に行楽地となりつつありますが、その間の峠は今や道も消えかかっています。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。
2015年1月14日水曜日
久崎から行く大釜
上月町の大釜には、2014/02/11と2014/03/08に行っています。その時に林道が久崎方面から来ているようだったので、久崎から大釜を目指して林道を歩きました。久崎から佐用川を渡ると、墓地がたくさんあります。人家も多少ありますが、一番奥にあるのは佐用衛生公苑つまりし尿処理施設です。ここから林道が始まります。谷沿いの整備された林道で、谷の分岐にはお堂がありました。しめ縄が張ってあったので、神社だと思いますが、中には小さな祠がありました。道は地形図どうりにいったん西の谷に進み、引き返して斜面を登っていきます。法面は石で補強されていますが、崩落している場所があり、車では通れません。がけ崩れで道が埋まっている場所もあります。なお、お堂の先で折り返さずに谷を西に行く道もあります。昭和44年発行の地形図にはこちらの道が破線道として描かれており、折り返す林道はそれよりも新しいようです。
「松茸山に付き関係者以外の入山を厳重に禁止致します」という久崎部落の注意書きが立っている付近から先は簡易舗装ですが、薄いコンクリートがめくれたり割れたりしています。倒木も増えてきます。しかし道は続いており、2010/5/8に通った鞍部に出てきました。落ち葉で埋まった十字路です。さらに西に行くと三叉路があります。北に行く道は、昭和44年の破線道に一致します。ここは2014/03/08に来た地点です。今回は林道を歩くことにして、地籍図根三角点を右手に、西播東岡山線34鉄塔も右手に見ながら植林の中を歩きました。この鉄塔のあるピークは、昭和44年の地形図では417mピークと記されています。東に延びる尾根への分岐点には、赤い「火の用心」が二つ立っています。そしてそれをさらに直進すると、右手(西向き)に分岐がありました。谷に降りていく道です。竹林の中を降りて行くと右手に溜池と建物がありました(写真)。この建物は作業場のようで、ドッグフードの袋や動物の骨が散乱しており、ハンターが獲物の解体を行ったようです。他にも酒瓶やタイヤ、ポリバケツなどいろいろな物が置いてありました。さらに降りて行くと石積みで平地が作られており、集落の跡のようでした。この付近が抜位かも知れません。さらに南側の高みにはお堂があり、「本尊 千手観音」と書いてありました。平成8年に立てられたようで、赤穂郡八十八ヶ所霊場第八十一番札所となっています。コンクリートの頑丈なものですが、付近には瓦が積まれており、建て直したのでしょう。この付近は2回も来ているのに、これらの建物を見たのは初めてです。
大釜の跡地は見に行かず、さらに林道を歩きました。以前に通った黒石方面への道に出られるかと思ったのですが、道は南の谷へ向かってジグザグに降りていきます。明確な道ですが、草も生えており、道幅も徐々に狭くなり、道の真中に松の木が生えていたりします。最後は両側の木が迫っていて通り抜けるのがやっとになりますが、それでも道には間違いありません。そのまま谷に降りるのかと思うと、斜面を東へ進んでいきます。この道は昭和44年の地形図にもあります。しかし斜面の道なので崩落箇所が多く、歩きにくくなりました。それでも谷側に石が積まれている場所もあり、かつては道だったのでしょう。そして遂には道を見失いました。無理してしばらくは斜面を歩いていたのですが、急斜面で歩きにくかったので、結局は急斜面を谷へ降りました。降りた地点は狭い谷で、岩の上を歩きましたが、徐々に幅が広まり、植林の裾を歩きました。この谷の水は清流とは言えず、かなり濁っています。上流に畑の跡があるからでしょうか?
しばらく谷沿いに歩きましたが、ここも歩きにくいので小さな尾根が谷に突き出ている所で登り返して道を探しました。これは容易に見つかりましたが、東に歩いて行くとまた消えてしまいました。斜面を適当に歩いて行くとまた道がありました。碍子が落ちていたのが不思議だったのですが、この道は千種川の方向へジグザグに降りて行っており、途中で関西電力の「大釜分岐 九 昭二九建 九Mヒ型」と書かれたプレートを見つけました。どうやら大釜へはここから電気が送られていたようです。さらに降りると谷が千種川に出る所には、現在の地形図にある建物がありましたが、半壊しています。明治34年の地形図ではこの地点で千種川に橋が描かれていますが、今はありませんから、ここからは千種川沿いに北の小赤松へ行かなければなりません。昭和44年の地形図では川沿いに破線道があるのですが、現在ははっきりした道はありません。しかしここは崖ではなく、岸には岩場もありますし草の生えた斜面もあるので、なんとか小赤松に辿りつけました。途中にはかつて何かが川を横切っていた時の橋脚の残骸がありました。
昭和44年の地形図では北の401mピーク(現在は390mとなっている)の南の谷から登ってきた道は西播東岡山線34鉄塔のある417mピークの西側を通り、まっすぐに南へ抜けています。この道は現在は残っていません。地形図の地形そのものが古いものと新しいものとでは細部が違っているので、うまく比較ができませんが、2014/03/08の地図と今回の地図を見比べると、大釜と抜位の概要が掴めるような気がします。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。
「松茸山に付き関係者以外の入山を厳重に禁止致します」という久崎部落の注意書きが立っている付近から先は簡易舗装ですが、薄いコンクリートがめくれたり割れたりしています。倒木も増えてきます。しかし道は続いており、2010/5/8に通った鞍部に出てきました。落ち葉で埋まった十字路です。さらに西に行くと三叉路があります。北に行く道は、昭和44年の破線道に一致します。ここは2014/03/08に来た地点です。今回は林道を歩くことにして、地籍図根三角点を右手に、西播東岡山線34鉄塔も右手に見ながら植林の中を歩きました。この鉄塔のあるピークは、昭和44年の地形図では417mピークと記されています。東に延びる尾根への分岐点には、赤い「火の用心」が二つ立っています。そしてそれをさらに直進すると、右手(西向き)に分岐がありました。谷に降りていく道です。竹林の中を降りて行くと右手に溜池と建物がありました(写真)。この建物は作業場のようで、ドッグフードの袋や動物の骨が散乱しており、ハンターが獲物の解体を行ったようです。他にも酒瓶やタイヤ、ポリバケツなどいろいろな物が置いてありました。さらに降りて行くと石積みで平地が作られており、集落の跡のようでした。この付近が抜位かも知れません。さらに南側の高みにはお堂があり、「本尊 千手観音」と書いてありました。平成8年に立てられたようで、赤穂郡八十八ヶ所霊場第八十一番札所となっています。コンクリートの頑丈なものですが、付近には瓦が積まれており、建て直したのでしょう。この付近は2回も来ているのに、これらの建物を見たのは初めてです。
大釜の跡地は見に行かず、さらに林道を歩きました。以前に通った黒石方面への道に出られるかと思ったのですが、道は南の谷へ向かってジグザグに降りていきます。明確な道ですが、草も生えており、道幅も徐々に狭くなり、道の真中に松の木が生えていたりします。最後は両側の木が迫っていて通り抜けるのがやっとになりますが、それでも道には間違いありません。そのまま谷に降りるのかと思うと、斜面を東へ進んでいきます。この道は昭和44年の地形図にもあります。しかし斜面の道なので崩落箇所が多く、歩きにくくなりました。それでも谷側に石が積まれている場所もあり、かつては道だったのでしょう。そして遂には道を見失いました。無理してしばらくは斜面を歩いていたのですが、急斜面で歩きにくかったので、結局は急斜面を谷へ降りました。降りた地点は狭い谷で、岩の上を歩きましたが、徐々に幅が広まり、植林の裾を歩きました。この谷の水は清流とは言えず、かなり濁っています。上流に畑の跡があるからでしょうか?
しばらく谷沿いに歩きましたが、ここも歩きにくいので小さな尾根が谷に突き出ている所で登り返して道を探しました。これは容易に見つかりましたが、東に歩いて行くとまた消えてしまいました。斜面を適当に歩いて行くとまた道がありました。碍子が落ちていたのが不思議だったのですが、この道は千種川の方向へジグザグに降りて行っており、途中で関西電力の「大釜分岐 九 昭二九建 九Mヒ型」と書かれたプレートを見つけました。どうやら大釜へはここから電気が送られていたようです。さらに降りると谷が千種川に出る所には、現在の地形図にある建物がありましたが、半壊しています。明治34年の地形図ではこの地点で千種川に橋が描かれていますが、今はありませんから、ここからは千種川沿いに北の小赤松へ行かなければなりません。昭和44年の地形図では川沿いに破線道があるのですが、現在ははっきりした道はありません。しかしここは崖ではなく、岸には岩場もありますし草の生えた斜面もあるので、なんとか小赤松に辿りつけました。途中にはかつて何かが川を横切っていた時の橋脚の残骸がありました。
昭和44年の地形図では北の401mピーク(現在は390mとなっている)の南の谷から登ってきた道は西播東岡山線34鉄塔のある417mピークの西側を通り、まっすぐに南へ抜けています。この道は現在は残っていません。地形図の地形そのものが古いものと新しいものとでは細部が違っているので、うまく比較ができませんが、2014/03/08の地図と今回の地図を見比べると、大釜と抜位の概要が掴めるような気がします。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。
2015年1月4日日曜日
上所から登った牧山
2011年もそうしたように、新年初めての登山は新宮町の奥小屋にしました。理由はありませんが、比較的姫路から近くて手頃な山だと思ったからです。今回は上所から牧山に登る計画でしたが、2011年と同じく積雪がありました。上所から牧山の方へ延びる尾根はうまく取り付ける場所が無く、谷に行こうにも川に渡した丸太の上を歩く度胸はなく、結局畑を横切って急斜面の藪を登り始めました。森の中にも積雪があって、滑りがちでした。木に掴まってしばらく登ると、少し楽になりました。352mピークで小休止し、あとは緩やかな登りです。444mピークを通り、少しアップ・ダウンしながら積雪を歩きました。主尾根に出て、南東に歩いたのですが、イノシシの足跡を辿っていたら違う尾根に行ってしまいました。ピンクや水色のテープでマーキングがあるので、それを辿れば問題はありません。この先の470m+鞍部は倒木地帯ですが、この付近からは山崎方面が望めました。獣道を辿って北側を巻いて進むと、牧山山頂の少し手前には道標があって、一つは牧山と国見山を指しており、もう一つは北向きで「国見の森駐車場」となっていましたが、「危険です(ベテランコース)」と書き込んでありました。
牧山山頂にも「牧山(505.7m)」と書いた板が立っていました。上比治三等三角点(505.49m)が雪に埋もれていました(写真)。周囲は以前よりアシビが増えたような気がします。下山は少し尾根を戻り、下所の方に延びる尾根にしました。雪でよく分からなかったのですが、この尾根には道があるようです。しかし倒木も多くて、道を歩ける訳ではありません。道は450m付近の尾根の外れから南の谷に向かうようでしたが、谷の様子もよく分からないので、真っ直ぐ急斜面を降りました。この斜面にもジグザクの道があったようです。この後も自然林の尾根で、特に急勾配はありません。431mピーク付近から下も広く気持ちのよい尾根です。問題はその先で、下所へ降りるつもりで最初はそちらに急斜面を降りたのですが、犬の吠える声が聞こえました。銃声らしき音も聞いていたので、下所の谷で狩猟中という可能性を考えて、苦労して登り返して、角ヶ鼻に降りることにしました。適当に斜面を降りて行くと、最後は植林になり、作業道を歩くと民家の裏手に出てきました。南斜面で雪も少なかったので、正解と言えるかも知れません。
さまざまな動物の足跡を楽しめました。また、雪が青く染まっている所があり、何が青いのかと調べると、どうやらヒサカキの実が落ちて雪を青く染めているようでした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「三日月」[安志」です。
牧山山頂にも「牧山(505.7m)」と書いた板が立っていました。上比治三等三角点(505.49m)が雪に埋もれていました(写真)。周囲は以前よりアシビが増えたような気がします。下山は少し尾根を戻り、下所の方に延びる尾根にしました。雪でよく分からなかったのですが、この尾根には道があるようです。しかし倒木も多くて、道を歩ける訳ではありません。道は450m付近の尾根の外れから南の谷に向かうようでしたが、谷の様子もよく分からないので、真っ直ぐ急斜面を降りました。この斜面にもジグザクの道があったようです。この後も自然林の尾根で、特に急勾配はありません。431mピーク付近から下も広く気持ちのよい尾根です。問題はその先で、下所へ降りるつもりで最初はそちらに急斜面を降りたのですが、犬の吠える声が聞こえました。銃声らしき音も聞いていたので、下所の谷で狩猟中という可能性を考えて、苦労して登り返して、角ヶ鼻に降りることにしました。適当に斜面を降りて行くと、最後は植林になり、作業道を歩くと民家の裏手に出てきました。南斜面で雪も少なかったので、正解と言えるかも知れません。
さまざまな動物の足跡を楽しめました。また、雪が青く染まっている所があり、何が青いのかと調べると、どうやらヒサカキの実が落ちて雪を青く染めているようでした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「三日月」[安志」です。
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