2020年6月10日水曜日

波賀町の原三角点からマンガ谷川

 


マンガ谷川という楽しそうな川には、2012/06/17に北の日ノ原の集落から行きましたが、今回は南からアプローチしました。と言っても登り口はマンガ谷川が引原川に注ぐソーメン滝の少し南、赤西渓谷入口(車では引原川を渡れない)の所です。国道29号線の山側はコンクリートの壁ですが、隙間があってそこに白くなった関電の火の用心の札が立っています。ここから地形図通りに道がありますが、階段が関電のものではないので不思議に思うと、少し登った所に江戸時代の墓がありました。墓石は8基しかありませんが、小さいのは天明、一番大きいのは安政と時代は70年の開きがあります。江戸時代は墓石の大きさが制限されていたという話ですが、大きさの違いはそのせいでしょうか。墓所から林の中の消えかかった道をジグザグに登り、上野原線三一鉄塔に着きました。周囲は最近植林されたようです。ここから真っ直ぐに植林や自然林を登って行きました。さほど急斜面ではありません。標高600mに近づくと岩場になり、大きな岩を巻いて登る必要がありました。しかしそこを抜ければ植林で、勾配も緩くなります。そして原三等三角点(832.93m)に着きました。ここには2012/05/19にもっと南から来ています。周囲は全方向植林です。


三角点から少し東に尾根を歩き、北に向かって降りて行きました。周囲は植林で、しばらくするとアセビが増えてきますが、道があるような感じでした。そのうちに本格的に藪っぽくなりましたが、それでも枝をかき分ける程度で進めました。そして谷に向かって斜面を降りていくと、ネットが現れました。これはかなり頑丈で、倒れていません。ネットに沿って歩くしかないので、東向きに歩いてみました。しばらく行くと谷があってネットがそこで倒れていたので、ネットを跨いでネットの下側に出ましたが、さらにもう一つ頑丈なネットが張られています。これも少し倒れている所で乗り越えて(急斜面なので危険です)、やっと谷に降りられました。ここはかなり上流で、東には広い平坦地があり草が生えています。谷川に沿ってさらに二重のネットが張られいますが、幸いこれは障害物にはなりません。川の狭い所を渡って、北側に出ました。ここには2012/06/17に歩いた林道があります。


今回は林道を西に歩いて日ノ原集落に行くことにしました。少し行くと前にも見た寛政年間の墓があります。そして川が合流する地点ですが、地形図のように橋がかかっていました。しかし木の橋で一部分崩落していました。小雨が降っており、下山を急いでいたので谷の南側には行かなかったのですが、確かに地形図の道がありました。北側には「うまい!万ヶ谷の水いつまでも」と書かれた杭がありました(写真)。日ノ原集落の飲み水はここから来ているようです。そういえば水道施設のようなものもありました。前に通った斜面の道はかなり荒れており、最後は道のない急斜面を登ると、日ノ原山と日ノ原集落登山口への道標がありました。谷に降りる道は無いということなのでしょう。あとは切通しを通って植林の道を下って日ノ原集落に下山しました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「音水湖」です。



0 件のコメント: