2011年7月24日日曜日
壇の平
壇の平は佐用から佐用川を遡り、東に入った所にある山で、地形図に山名が書いてあるので前から登りたいと思っていました。登山記録は意外と少なく、検索して出てきたのは[1]しかありません。同じコースで歩いてみました。
佐用から真っ直ぐ北に走り、上石井の青木で東に曲がって羽蔵の村に行きました(これは[1]が参考になりました)。村の入口は切通になっており、ここから尾根に登りました。切通の上は危険なくらいな急斜面で、足元は砂のように崩れるため、登るのは大変でした。しかしその後の林は急勾配でも登りやすく、ちょっとで普通の里山の尾根に出ました。
ここからずっと少しずつ登りの尾根歩きです。ほとんどは踏み跡があり、はっきりと道があるところもあります。420m+のピークから北に曲がると見事な植林になります。水根川の方からは伐採の音が聞こえてきて、下の方はかなり伐採されているようです。尾根にも伐採された木が転がっていて、それを越えて歩かなければならない場所もあります。484mピークは自然林です。この先も自然林が多く、歩きやすく、迷うおそれもあまり無い尾根です。500mを越えて尾根が北に曲がる所は素直に行けましたが、その先で東に曲がる所は倒木の多い藪で、尾根を探すのにちょっと手間取りました。その先の意外と急な斜面を登ると、540m+ピークに出ました。
ここで北の553mピークを見に行きました。展望があるかと思ったのですが、奥海の集落がちょっと見えたのと後山が木々の間から見えたくらいです。これでも少し展望があっただけましで、このルートでは他にはほとんど何も見えませんでした。主尾根に戻って東に、さらに南に曲がる付近から植林の倒木が増えてきました。なんとか乗り越えて歩けるくらいの数ですが、疲れます。またアセビなどの灌木の薮も増えてきて、枝をかき分けて歩くところもあります。開けた尾根もあるのですが、全体に荒れた感じです。こんな状態は東西に走る尾根に突き当たる所まで続きました。突き当たった尾根も、頂上の方向に行くと藪になり、枝をかき分けて歩くと海内三等三角点(621.47m)に着きました(写真)。登り始めて2時間半が経っていました。この写真では見えませんが、付近は倒木が多く、荒れた山頂でした。
下山は水根の峠に降りましたが、こちらへ行く尾根は植林が多く快適でした。最後は尾根に道があってそれを下ると峠に出ました。天保5年と書かれた礎石に乗ったお地蔵さんがあります。しかし峠から東の、地形図で水根と書かれた集落(おそらく無人)に行く方向は倒木がひどく、破線道は実質的にここで終わっていました。この破線道で羽蔵へ戻ったのですが、最初は美しい植林の中を抜けますが、地形図で道が折れ曲がっている付近ではシダなどの草が茂って藪になっています。その先も倒木があり、さらには急斜面で橋が流されている所もあって、使える林道ではありません。谷の南側を見ると崩落が激しく、裸の斜面に木が滑って落ちた跡が残っています。[1]の記録とだいぶ違うのは、2009年の豪雨の爪あとだということでしょうか。羽蔵の集落も空き家が多く、今後どうなるのか気になります。
壇の平という名前が気になって登ったのですが、災害の跡が目立つ山でした。この付近は山の真ん中なのに奥海とか海内とか海に因んだ地名が多いのが不思議です。奈良のダンノダイラとの関係も気になります。周囲の村は次々と廃村になっているようで、山が荒れるのも仕方ないのでしょう。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。
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