赤十字山は佐用町の山で、志文川と千種川が合流する付近の南にある山です。だいぶ前に赤十字山から多賀登山まで縦走したことがありましたが、その時には南から保守道路で登ったので登山とは言えません。今回は北の坂田から登りました。坂田の南の191mピークは猿喰城跡だそうなので、まずそれを見に行きました。尾根の先に道路がありますが、斜面は非常に急で山城っぽい感じです。ここは登れないと思い、坂田谷川を入っていくと砂防堰堤がありました。その北側は木のまばらな落ち葉の急斜面で、ここをまっすぐに登りました。191mピークはちょっと平らになっていて、木が邪魔ですが冬なので東も西も見渡せました。帰りにわかったのですが、実は尾根の北の崖には金属の梯子が設けられており、そこから登ることも可能でした。
191mピークから南に歩くと、ずっと平坦地が続きます。ここまで城趾だったとすると、石垣はありませんが単なる砦だったとは思えず、山城だったのではないかと思えました。しかし標高180m付近からの斜面は急で、さすがに城の裏手という感じでした。ひとしきり登ると少し平らになりますが、なんとなく人の手が入っているようで、ここも山城の一部だったのだろうかと思いました。ここには共同アンテナの跡がありました。この先も山頂まで黒いケーブルが地面を這っていました。この付近では斜面の中央が幅広く凹んでいますが、そこに石積があり、これは意図が不明でした。あまり急斜面のない木の少ない幅広の尾根で、楽に登って行けました。ときどき広い平坦地があって、これも山城の一部かと思いましたが、考えすぎでしょう。植林もあり、落ち葉をイノシシがかき回した跡もあり、たまには遠景もありで、楽しめる山登りでした。
山頂に近づくと、保守道路の終点に出ました。道路は歩かずそのまま進むと、共同アンテナの残骸があり、次はツーカーホン関西の播磨徳久局の40mの通信塔です。さらに歩くと赤十字山の山頂には多賀二等三角点(407.56m)の真新しい標石がありました(写真)。さらに歩くと佐用町の多賀中継局の2本のポールがあり、さらには南光町行政無線多賀中継所のポールがありました。ここからは東に稜線を歩きました。たまに倒木があるくらいで、藪はまったくない歩きやすい尾根でした。クネクネと曲がっていますが、踏み跡のある所もあり、あまり迷う余地はなかったようです。
426mのピークまで歩き、北に降りることにしました。少し北に歩いてからは植林の急斜面を降りました。下に尾根が見えているので方向は間違いなかったのですが、かなり急でした。まだ割と若い植林で木の間隔が狭かったので、木に掴まって降りられました。降りてしまうとまた雰囲気の良い尾根でした。なんとなく道があるような感じがしてましたが、だんだんに道がはっきりしてきました。道と言ってもちょっと窪んでいるだけですが、はっきりと続いていました。そのうちに道は尾根から西の谷に降りていきました。まっすぐに尾根を降りる手もありましたが、安全策として道を降りてみました。安全策と言っても道が消えてしまえば意味がありません。道はターンしながら谷に降りていき、ターンのところでは怪しくなる所もありましたが、最後は人の手の入った谷に出て、地形図の破線道に繋がっていました。この道を降りましたが、ため池の下の害獣避けの扉の電気柵は昼夜常時通電中だそうで、通り抜けるのが大変でした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「三日月」です。
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