2022年8月26日金曜日

荒尾から登る荒尾山と植松山

 


荒尾山には久しく登っていないので、行ってみることにしました。国道429号線から荒尾に曲がるところに「荒尾山 荒尾鉄山遺跡」と書かれた看板があります。ストリートビューで見ると429号線は新しい写真なので看板があるのですが、曲がった先の道は2013年の写真なので看板がありません。道を曲がると消えてしまう不思議な看板です。そのまま荒尾の集落を通って害獣避けの扉の前に車をとめて歩きはじめました。2011/08/06に植松山に登ったときと同じ道です。


右手に岩野辺第2配水場があり、その先に荒尾川が流れていますが、水量が多くどうやって渡るかを考えていると、道の分岐がありました。林道は西へ登っていきますが、川沿いの道の脇に「荒尾鉄山遺跡」の説明板がありました。2011/08/06にはありませんでした。説明によると江戸時代後期から明治まで操業していたそうで、鉄山と言ってもカンナ流しで取れた砂鉄を精製していたようです。この遺跡は荒尾川の東側で、ありがたいことに木の橋がありました。これを渡るとまた説明板があり、説明板にもある嘉永二年の供養碑がありました(写真)。今は植林になっていますが、川に沿って平坦地があり、高さ3m近い立派な長い石積みがありました。山側にも何段か石積みがありますが、説明板の見取り図を確認するのは困難でした。この付近は砂鉄を取るために山がかなり削られたのだろうと思います。しかし登山にはその削られた斜面を登らねばなりません。平坦な遺跡の奥を少し歩き、尾根の先の急斜面を登りました。植林なので作業道を探して頑張って登りました。少し登るとほぼ水平な道がありましたが、さらに尾根を登りました。この尾根は植林の部分は登りやすいのですが、植林が終わるととたんにシダが茂っており、そこを抜けるのに苦労しました。最終的には標高850m付近で主尾根に上がれましたが、ここもアシビなどの藪で、しばらくは藪こぎ状態でした。標高900m付近まで上がると植林になり、やっと歩きやすくなりました。この付近からは2015/08/15に歩いた鳥ヶ乢からの登山道です。多少の坂はありますが、全体にはゆるゆる登って1030m+ピークに着き、さらに尾根を歩いてちょっと急坂を登ると荒尾山(1108m)です。以前はなかった宍粟50名山No.14の板が立っています。


荒尾山からは植松山へ縦走しました。この尾根は北に展望があります。少し下ると金属プレートの岩野辺四等三角点(1078.64m)がありました。ここからはアシビが生えていたり岩場があったりで変化に富んだ尾根です。しかし960m+の鞍部からの登りはかなり疲れました。上り切ると平坦な1171mピーク(ヒルガタワ?)で、その西は広く伐採されており南に大展望が広がります。2011/08/06に見たヌタ場のような沼もそのままでした。その先は尾根上はシダや笹が生えているので西側の植林を歩きました。そして植松山三等三角点(1191.07m)のある植松山に着きました。赤い金属の祠の中に観音菩薩?が祀られて、なぜか中国の紙幣が供えられていました。東向きの展望地からの眺めは最高です。


あとは下山ですが、ルートはいろいろ考えられます。2011/08/06に登ってきた尾根もありますが、今回はまず尾根をそのまま南に下りました。ちょっと藪もありますが、西側の植林を通れば楽に降りられて、標高970m付近まで降りました。それから徐々に東寄りに進路を変えて、標高900m付近からは急斜面を降りました。なんとか降りられるくらいの斜面で、標高810m付近まで降りると北の方からネットが来て、尾根の中央に張られていました。だいたいは倒れているので問題は少ないのですが、これはかなり先まで続いていたと思います。次の難所は標高700m付近で、倒木をススキが覆っています。これを降りると「水源林造成事業」の黄色い看板があり、また自然林の尾根下りとなりました。最後は再び植林で、カンナ流しの跡のような急斜面を降りました。すると林道に出ましたが、水平道なのでどちらに行ったらよいものか分かりません。さらに降りて行こうとするとススキなどが生い茂っているので、少し東に行った所で植林を見つけてそこを降りました。結局岩野辺第2配水場の前に降りてきました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「千草」「西河内」「安積」「音水湖」です。



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