この山は山頂に大きな養鶏場があり(120万羽飼育しているそうです)、道路はあるもののゲートがあって私道のようです。しかし一度登ってみたいと思っていたので、道路を使わずに登ってみました。
登り口は特養ホームの西にある忠魂碑です。隣りにある貯水タンクはガードが堅すぎて使えません。害獣避けの扉を抜けると、巨大な忠魂碑が立っています。字は東郷平八郎によるものだそうです。ここから落ち葉の斜面を登って尾根に上がりました。下草は皆無で、気持ちの良い尾根です。赤穂の山ということでシダ藪を恐れていたのですが、黒沢山ではシダを見ることはほとんどありませんでした。まず平坦な尾根を北に歩きました。東から登ってくることもできそうです。しばらく歩くと送電線の鉄塔がありました。有三8というJRの鉄塔です。ここから真っ直ぐ登ってもよかったのですが、少し尾根先から登ろうと東に鉄塔の保守路らしい踏み跡を歩くと有三7鉄塔があり、ここから登りました。少し急斜面を登ると、また平坦な尾根になりました。下草がなく、木の間隔も広くてハイキング気分で歩けます。そして谷に出ると谷を舗装道路が通っていました。これは養鶏場からさらに山頂に延びている道です。
この上の施設は給水タンクかなにかだろうと思っていたら、「黒澤山光明寺奥之院」という石碑があって、ここが寺跡だということが分かりました。確かに両側に広い平坦地がいくつもあって、大きな寺だったのだろうと思いつつ登ると建物があり、その前の五輪塔のような石には「光明寺町石」の説明板がありました。この付近は眺めも良いのですが、トイレがあるせいかひどい臭いでした。金剛力士が両側に立っている参道を登ると、正面は本堂跡、右には鐘のある鐘楼、左には涅槃像(写真)がありました。平成15年に作られたものです。全く予想外の展開でした。鐘楼の上の方に光明寺の縁起が書かれており、弘法大師によって建立されたそうです。本堂は少し奥に再建されており、他にも弘法大師像、楽寿観音像、七福神像、弁天池などがあります。五輪塔も数多く、室町時代に栄えたとのころですが、相当な規模の寺だったようでが、尼子氏に焼かれてしまったようです。本堂の先には、鳥居は倒れていますが、神社もあります。
光明寺跡からは北に尾根を歩きました。地形図で見ると馬の背のような尾根が北に真っ直ぐに伸びています。320m+地点には土が四角く盛られており、建物があったかも知れません。その北の斜面は段がいくつかありますが、山城だとしたら攻めて来ようのない北側に曲輪を作るのは変です。歩きやすい落ち葉の尾根を真っ直ぐに歩きました。東側の展望が時々あります。小さなピークの上にある山田山四等三角点(291.81m)まで行きました。共同アンテナの残骸があります。この北は藪っぽく、両側は急勾配で降りるのは難しそうでした。共同アンテナからは北西にケーブルが伸びていて、それに沿って降りられそうな気もしましたが、道路に出て車道を歩いて帰る気もしなかったので、引き返すことにしました。
光明寺まで戻り、南西の方向に山頂を歩きました。「小仏のみち」という小さな石仏がたくさん置かれた付近から西の方に行きましたが、五輪塔の一部のような石がたくさん落ちていました。黒沢山三等三角点(334.5m)はそんな中で見落としそうでしたが、周囲は半径2mくらい伐採してあるので発見は容易でした。この先では南に海が見えました。岩が転がっている平坦な尾根ですが、しっかり方向を見定めて降りる必要があります。いったん西に降りましたが、下の方の尾根に乗るために南に斜面を歩きました。落ち葉の斜面で少し岩があり、炭焼き窯の跡がありました。マーキングも踏み跡もないので、適当に降りていって、有三11鉄塔に出ました。この先は藪っぽかったので、ここで巡視路を使って下山しようと思ったのですが、「火の用心」が一つ立っているだけで、道は見つかりません。関電と違ってJRは巡視路の整備に力を入れていないようです。しかたなしに、道らしく見えたところから斜面をジグザグに降りました。落ち葉の斜面で足場はしっかりしているので、木につかまれば降りられますが、急斜面なのでお薦めはできません。谷は岩が多いものの倒木は少なく、しばらく降りると地形図の破線道らしい岩だらけの道もあって、無事に下山できました。正解はわかりませんが、鉄塔から真っ直ぐにピークを超えて降りるのがよかったかも知れません。
光明寺奥之院には驚きましたが、毎月護摩祈願も行われているようで、参詣する人もいるはずですから、ゲートで行き先を言えば入れてもらえるのでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「備前三石」です。
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