2024年1月27日土曜日

三石の城山、石堂丸山、深谷山

 


岡山県三石の城山には2017/02/19に登りましたが、その時は下山時に三角点を見に行って、そのまま南に降りました。今回はちゃんと北まで登山道を歩くことにしました。登山口は前と同じで、「息つぎ井戸」まで急勾配を登り、その先は「千貫井戸」を見に行って、水の溜まっているのを確認しました。登山道に戻らなくてもここから登れそうだったので、木に掴まって急斜面を登りました。ちょっと滑りやすい斜面ですが、すぐに平らになって登山道と合流しました。ただし第一見張所などは見逃してしまいます。すぐに城山の山頂に着きました。三石城跡です。ここからは展望はあまりありませんが、登ってくる途中では三石の町がよく見えました。


山頂から北に歩くと深い堀切があり、鶯丸跡があって、歩きやすい登山道が続きます。前回にはあったJRの三石47鉄塔は撤去されたようで、ここが第2展望所です。このあと北には整備された道が続きます。階段が整備されていて、ちょっと邪魔でした。そして舗装道路の終点に出ました。ここからは舗装道路を降りて、深谷(みたに)の滝を見に行きました。細い水が流れ落ちています。脇には靇(おがみ、雨冠に龍)神社があります。


深谷の滝の入口に、石堂丸山への登山口がありました。ここまで歩き始めて1時間半くらいだったので歩き足りず、ついでに近くの深谷三角点のある山に登ろうと思って登り始めました。この道はまず滝の上に出ますが、ここに堰堤がありました。その後はしばらく斜面を歩き、谷に降りました。ここはどうにでも歩けてしまうのですが、北に歩くと保安林の立て札があって少し安心しました。その先には堰堤があり、巻き道がないので端の部分を乗り越えてさらに谷を登りました。時々マーキングがあります。炭焼き窯が2つあり、2つ目は西側にあったのですが、そちらに道は見つからず、結局また谷の東側を登ると、大きな堰堤がありました。これも巻き道は無いので、東の斜面を登り、そのまま急斜面を木に掴まって登り、道路に出ました。播磨自然高原別荘地です。


別荘地の道路を北に歩きましたが、行きたかった深谷三角点からは遠く離れており、しかも道路は北にしか向かっていません。県境を過ぎたあたりでショートカットを試みました。別荘の立っていないところを抜けて上の道路に出ましたが、道路の近くは棘のある木が多い藪で、ひどい目に会いました。携帯のアンテナのあるところに出てきて東に道を歩きましたが、石堂丸山が通り道にあったので、ここでも家のない藪の斜面を登り、山頂に着きました。三石二等三角点(421.74m)があります。展望は良く、瀬戸内海が見えました。


下山はまた別荘地の急斜面の藪を降りて下の道に出て、道路を南下しました。南の外れの別荘から藪に入り、南に歩きましたが、藪でした。最初は灌木の枝が邪魔な程度でしたが、斜面を下るようになるとシダが茂っていました。斜面で足元が見えないのは困ります。GPSで位置を確認してなるべく勾配の緩い方向へ歩こうとするのですが、シダが少なく地面が見えている所を選んで歩くと違う方向に行ってしまいます。踏み跡らしい所を歩いたのですが、踏み跡だったという確信はありません。ただ、シダの背丈は腰より高くなることはなく、なんとか250m+の鞍部に降りられました。ここから南に登りですが、踏み跡がありました。最後はシダの塊の間を抜けて300m+の尾根に上がり、シダを踏んで歩いて深谷四等三角点(313.51m)に着きました(写真)。ここには深谷山というプレートが木に掛かっていました。


木にプレートを掛けた人はどこから登ったのか分かりませんが、とにかく南西にシダを踏んで降りました。ここは比較的歩きやすいところでしたが、標高250m付近になるとシダが茂っており、しかも西側は急斜面なので南に向かいました。シダをかき分けつつ降りましたが、東寄りの尾根の方が勾配が緩いのは明らかなのですが、そちらにはなかなか行けません。なんとなく踏み跡がありそうな気がしてそのまま南にシダで覆われた急斜面を降りて、川沿いの平地に降り立ちました。ここからは道路を歩いて三石に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。



2024年1月21日日曜日

五十波から登る長水山

 


雨上がりなので藪を避けようと思い、登山道の整備されている長水山に登りました。山崎町五十波に長水山の登山口があります。ここから林道を歩き、終点が実際の登山口となります。ここから標高差250mをジグザグに登ります。曲がり角にはネットで防護して植えた木がありますが、うまく育っているようには見えません。急な登山道ですが、よく整備されています。途中に井戸の跡というか水溜りがあり、それを過ぎるとすぐに石垣が見えます。山の上には壊れた家屋の跡と、まだ使われている家屋があり、山頂には信徳寺があります。これらの建材をどうやって運んだのかは、興味深い点です。南のピークからは瀬戸内海まで見えます(写真)。蔦沢2三等三角点(584.16m)はお寺の裏の不動明王像の背後にあります。


下山はまず尾根を歩きました。2017/10/09の逆コースです。手入れの行き届いた登山道で軽快に歩けました。階段も下りではあまり邪魔になりません。431m地点を過ぎ、408mピークを過ぎ、林間広場への分岐を通り越し、全く展望のない展望舎を過ぎ、さらに尾根を歩き、急階段を登って五十渡四等三角点(412.47m)に着きました。南は植林です。登山道は南に下りますが、ここを東に歩き、北への尾根を探して降り始めました。尾根を見つけてしまえば、特に障害もない落ち葉を踏んで歩ける尾根ですが、どんどん急になりました。そして岩場の上に出てしまったので、西側の谷に作業道の跡らしい場所を探して降りていきました。かなりの急斜面ですが若い植林で、木の間隔がわりと狭いので木に掴まって降りました。そのうちに谷の中央に窪んだ場所があって、これが地形図の破線道と一致していました。そのうちに破線道が道らしくなり、梯川が見えてきました。川の西側はかつては耕作地だったようで、平坦で石積みがあります。問題は橋が無いことで、北に歩き、最初に歩いた林道に沿った谷川に出ましたが、ここも渡れません。少し遡ると鉄管を4本並べた橋がありましたが、雨上がりで濡れた鉄管を滑らずに渡れる自信はなく、もっと谷を遡り、細くなった所でエイヤと渡りました。あとは林道を下りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2024年1月13日土曜日

赤磐市の滝城山と牛神山

 


滝城山は旭川東岸にある城山です。県道27号線から旭川沿いに県道81号線を北上すると、道幅が1.7mと極めて狭くなり、そこを抜けると道幅が広がって田土に着きました。ここから地形図の破線道で滝城山を登ろうとしたのですが、民家を避けて急斜面の藪を登ることになりました。実際この破線道は見つからず、藪を登り、途中から南の支尾根に上がりました。藪はかなり解消して楽になりましたが、登りは続きます。230m+のピーク付近からは踏み跡がありました。しかし登るにつれてシダ藪になり、急斜面では踏み跡を何度か見失いました。歩きやすい所もシダ藪もあり、地形がなんとなく人工的だと思って、ここが城跡だということを思い出しました。滝城山の山頂には山名の札があるだけで、藪です。木々の間から旭川の川面が見えており、重要な山城だったことがわかります。


山頂から北に歩こうとしたのですが、北に降りる付近は背の高いシダ藪で迷いました。その先も灌木の藪がきつくて枝をかき分けながら歩きました。踏み跡の無い藪をしばらく歩くとマーキングがあり、踏み跡が確認できました。しかしすぐに藪に消えてしまいます。楽そうな方向に踏み跡を探しながら歩くと尾根をさまようことになりました。そしてちょっと高みに上がると神社がありました(写真)。かなり立派なもので、かつてはこの付近までもっとマシな道があったものと思います。瓦もあったので、かつては瓦葺だったのでしょうか。


神社から北に降りるところは意外と急な藪で、降りてからも藪が続きました。しばらく北上して少し緑が増えたと思ったら道がありました。地形図の破線道でしょう。植林もあります。少し藪っぽい場所を抜けて地形図の実線道に出ました。しかしこの道は横切るだけで、またマーキングのある踏み跡を北上しました。藪っぽいのですがマーキングは続きます。途中で何度か道に出て、最後に道の脇に牛神山への道標を見つけました。ここから先も藪っぽいのですが、山頂にあがると壊れた小さな祠があり、牛神山の山名のプレートもありました。牛神山からはさらに西を歩きました。こちらもシダやササが生えていますが、植林になると道がありました。これを降りて、田土に戻りました。3時間ほどしか歩いてませんが、藪が多かったのでこれ以上歩く気にはなりませんでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「金川」です。



2024年1月8日月曜日

宍粟市の峠三角点



宍粟市山崎町から西に県道53号線を走り、中国自動車道と並走して切窓峠を過ぎた先の、携帯のアンテナが立っている所に林道の入り口があります。ここから山に登りました。この林道はかなり長く、航空写真でも見えますが、最後は山頂近くで終わってしまったので、少し藪を抜け、植林を歩いて山頂に着きました。ここにあるのが金属プレートの峠四等三角点(404.27m)です。


ここからは尾根を縦走です。この日は雪がうっすら積もっていましたが、最初正しい方向を見つけるのに苦労したものの、藪はなく植林もあるので楽に歩けました。しばらく歩くと赤い「火の用心」があり、すぐ先に紅白の播磨西線五八鉄塔がありました。ここからは関電の巡視路で、ますます軽快に歩けました。その先の460m+付近は2008/11/29に東の尾根から上がってきた場所ですが、西側に林道がありました。この林道は尾根に並走しており、北に行くと左右二本に別れ、その真中を歩くと三谷三等三角点(475.72m)に着きました。


三角点からは北に降りましたが、地形図の破線道に相当する道があります。付近は林道が多く、藪より林道がベターと思った所では林道を歩きました。林道から外れて再び破線道を降りていくと、よく整備された林道に出ました。林道塩田葛根線らしく、林道なのにストリートビューで通ることもできます。降りた地点には赤い「火の用心」もあって、ここまで巡視路だったようです。峠なので二体の石仏が祀られていました(写真)。しっかり冬支度されていました。


峠の北にはネットが張られていますが問題なく尾根に上がれて、だいぶ藪っぽくなってきた尾根を北に歩きました。390m+ピークを過ぎて下りになると藪になり、その先の鞍部は林道の切通になっていたので、東の植林の方へ行って林道に降りました。この鞍部は地形図にはなく航空写真では確認できる林道が通っています。林道の北側は青いネットが張られていたので、それを避けて西側から尾根に上がりました。この尾根はかつて植林されたようで、その時に苗をプラスチックの筒に入れて植えていますが、木が大きくなって窮屈そうに見えました。プラスチックを割って成長している木もありました。藪っぽい尾根を西寄りに歩き、430mピーク付近から西に行くと林道がありました。あとは林道を降りて塩田葛根線に出ました。これは2011/03/27のコースと同じです。2時間半ほどの雪山歩きでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「土万」です。



2024年1月6日土曜日

南光自然観察村から瑠璃寺

 


南光自然観察村は千種川沿いにあります。県道72号線を走り、南光ひまわり館のところから細い橋を渡るとキャンプ場ですが、右手に害獣避けの扉があり、ここから西側の谷に出ました。予定では西の尾根に登るつもりだったのですが、あまりに急斜面で、見ると谷には道があるので、まず道を歩きました。倒木が多く、崩落していたりミツマタが密集して生えていたりで歩きにくい道ですが、根気よく歩くと意外と谷の奥まで延びていました。登ろうと思っていた北側は急斜面が続き登れません。しかし谷の奥まで来ると斜面が少し緩やかになったように見えたので、登ってみました。作業道の名残のある若い植林で、木の根や岩に掴まって登り、尾根に上がりました。ここからは登りですがひどい障害物はありません。444mピーク付近からはネットがあり、その先の450m+地点からは2014/04/20の逆コースとなりました。その時は北に善吉へ降りています。歩きやすい尾根を歩いて500m+まで行き、北に曲がりました。尾根を西に曲がって494mピークから北に歩きましたが、この付近は気持ちの良い尾根です。430m-の鞍部は地形図では道が破線道が横切っており、それらしい道が両側にありました。昔は峠のお地蔵様があったのではないかと思って探すと、寛永通宝を見つけました(写真)。探せばもっとありそうな感じですが、お地蔵様は見つかりませんでした。


さらに北に登り、450m+と470m+のふたつのピークを過ぎて401m地点付近の鞍部でも地形図では破線道が横切っていますが、東側は眼下すぐに林道があり、西側は道が登ってきているようでした。じっさいここからは尾根に道がありました。途中に道標のような石があり「井上頼太郎?」という文字だけが読めました。道であったことは間違いないようです。登っていくと2023/11/19の往路で間違ってたどり着いた地点にでて、その時に歩いた斜面の道を歩くと四丁の道標、そして2023/11/19にも見た道標がありました。「左みうちひらふくと」読め、来た方向は平福なので、おそらく401m地点付近から海内に降りて庵川沿いに南下する道なのでしょう。


この先も2023/11/19に通った道を歩きましたが、問題は瑠璃寺の奥の院の背後にある斜面です。今回は素直に道に従って行くと、どうも道は北向きの斜面にあるようでした。どこかで奥の院に登っていく道に合流するものと期待してそちらに歩いていくと、確かにしばらく道らしい踏み跡が続きましたが、北の尾根に行ってしまいました。しかも斜面はどんどん急になり、滑り落ちないように体を支えるのも大変になりました。掴まる木も少なく、危険な斜面をかなり長く降りる羽目になりました。最終的に降りてきたのはモンキパークの中の、道が川を渡る所でした。疲れ果てていたので、そのまま道を降りて戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆ 最初と最後は★★★

地形図は「千草」です。