兵庫県、岡山県、鳥取県の県境の尾根であるちくさ高原北方のの尾根は、整備された登山道として知られています。普通に歩くのでは面白くないので、少し変わったルートで歩いてみました。
登り口は吉野川の上流で、大茅スキー場の北です。道路が吉野川の北側に渡った付近から登り始めました。最初の目標はすぐ北の鉄山なのですが、特に道はありません。最初は西にトラバースして尾根から登ろうと思っていたのですが、意外と登りやすい植林だったのでそのまま真っ直ぐに登りました。足元は良いのですが、中腹からは非常な急斜面で、木に掴まってなんとか登れるくらいでした。かんな流しで削って急斜面になったのかも知れません。そのうちに岩が増えてきて、大きな岩を巻いて登りましたが、両側とも急斜面です。大きな岩は1m以下の厚さの板状に割れており、面白い眺めです(写真)。そして最後は植林の斜面を登ると山頂でした。鉄山四等三角点(981.71m)があります。名前から察するにかんな流しが行われた山なのでしょう。
鉄山からは北に斜面を降りましたが、ここもかんな流しの跡なのか不思議な地形で、方向が分からなくなりました。最後に鞍部の深い溝を渡ると林道がありました。木原造林と書かれた古いバスが捨てられていましたが、今も伐採が行われているようです。登っていく方向にも林道が地形図よりも先まで続いており、とりあえずはこれを歩きました。1030mピークの手前の鞍部で尾根に乗ろうかとも考えたのですが、林道の行方も知りたかったので、1030mピークは林道で西側を巻きました。その次の鞍部では林道は西の方へ行くことが予想できたので、尾根に上がりました。おそらくこの林道は沖ノ山林道に繋がっているのだと思います。尾根歩きも快適ですが、海抜1100m付近からは笹が増えてきます。それでもしばらくは手でかき分ければ歩けますが、1140mピークまで来るとネマガリダケの藪となりました。この北は少し下りましたが、ここはかなりの藪で腕力が必要でした。鞍部に降りても藪ですが、東にネマガリダケをかき分けて進むと、谷に出ました。これは東から来る谷で、谷を渡って斜面を登りました。こちらも笹薮ですが、あまり強くありません。更に県境に近づくとネマガリダケの密度が増して来ますが、無理やり突破すると登山道に出ました。
ここからは岡山県と鳥取県の県境の尾根歩きです。中国自然歩道となっています。南側はネマガリダケ、北側は植林が多いようでした。少し歩くと若杉自然研究路が尾根に達してターンしている地点に出ました。吉野川上流には駐車場があって、そこを起点にして若杉峠からこの自然研究路付近は良く整備されています。平日でしたが、何組かの登山者と会いました。尾根の道にも木に説明書きの札がついていて、勉強になりました。展望台の東屋を過ぎるとお地蔵さんのある若杉峠に出ました。北は吉川、南は大茅へ道があります。
若杉峠からはさらに県境を南東に歩きました。こちらも道は整備されていますが、登山者はいません。除伐をしている人たちに会いました。鳥取県側は最近植林されたようです。若杉峠の南東にまずひとつ峠を越えている道があり、1134mピークの南にも鞍部があって、ここには吉野川から道が来ています。さらに鳥取県に延びており、「吉(川)山林道 起点」となっていました。
ここからも鳥取県と岡山県の県境を歩くと、兵庫県との3県の接する場所に出てきます。ここには「三国平登山口」と「千種川支流 天児屋川源流」の道標があります。ここから南の尾根歩きは天国で平で道は広く、特に東側のブナの多い自然林はきれいです。歩き易いとは言え、それなりに時間はかかって峰越峠に着きました。未舗装道路に降りますが、すぐに峠越えの舗装道路に出ます。これは大茅から来ている道で、2車線の立派なものです。ちょっと舗装道路を下って「長義山登山口」の道標からまた登り始めました。ここは「ライオンズの森(広葉樹林)」となっていますが、ススキの茂る伐採地で、道標がなければ足を踏み入れたくはありません。登山道もススキに覆われて分かりにくくなっていますが、なんとか踏み跡と倒れている道標を頼りに鞍部まで出ました。ここからは一気に登って、山頂に出ました。森上三等三角点(1105.39m)があります。宍粟50名山の杭が立っています。読み方は本当に「なぎさん」なんでしょうか?異論もあるようです。
長義山からはあまり手入れの良くない植林を抜けて、一旦鞍部まで降り、1036mピークをかすって尾根を歩きました。道標ではダルガ峰の方向です。その先は細尾根ですが、細尾根というより両側からかんな流しで削られて残った尾根を歩いているような感じでした。そして1081mピークに登りました。ここからは下山です。まずは北西の尾根を地形図の破線道どうりに降りました。高規格の林道に出て、少し東に歩いて、地形図の破線道を探しました。ちょうどその付近には林道脇に広い空き地があり、その先を降りました。この空き地は人工的なものでしたが、その下の地形も凸凹の多い人工的なもので、かんな流しの跡だと思われます。溝や広い道があるのですが、ちゃんとは繋がっていません。破線道をなるべく辿って谷に降りたのですが、谷にも道があるわけではなく、支尾根をそのまま降りるのが正解でした。この破線道で降りたのは、地形図上は破線道が川を横切っているので橋があることを期待したのですが、橋はありません。やや水量が多いため飛び越えるのは難しく、結局裸足になって渡りました。ちょっと登ると道路で、出発点まではすぐでした。
全部で5時間以上かかる、私としてはかなり長いコースでした。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。
2017年8月27日日曜日
千草の上谷山
千種の上谷山は、地形図に名前が書いてあるので、なんとなく馴染みがありますが、あまり高くもないので特に登る理由もない山です。しかし、山頂に陸軍施設の跡があることを知って、登ってみることにしました。
登り口は国道429号線に千種町千草の案内マップのある場所で、行者像を見て曲がって畑の中を登っていきます。途中で道がススキだらけでよく分からなくなったのですが、携帯のアンテナの上の方に出てくれば正解です。ここまでの間に、植松山、笛石山、後山、日名倉山などの山々を雄姿を望むことができます。しかし、下がっている板に谷への道には鍵を掛けてあると書いてあって、ちょっと焦りました。しかしとりあえず行ってみると、害獣避けの扉は4箇所を針金で留めてあって、「下の方をしっかり止めて下さい」と書いてありますが、通れました。このような金網の扉の場合、山に入った後には、金網の間から手を突っ込んで反対側で針金を縛らねばなりません。手は通るのですが、下の方は更に細か金網になっているので楽ではありません。地元の方は山に入る時も出る時もこの扉を通るので、扉の外側でしっかり針金をを縛ればよいのですが、山の反対側に降りる人たちは少し苦労を強いられます。大した問題ではありませんが。
この先は暗い倒木の多い植林で、シダも多いので歩き辛い場所です。「千草部落特別貸付地」という木の杭の所を真っ直ぐに歩いて谷を極めようとしたのですが、がれ石が多くて結局右手の尾根に曲がることにしました。倒木とシダが嫌いなら最初から尾根に上がるほうが正解です。尾根はきれいな植林でしたが、その下は段々になっており、昔は耕地だったと思われます。全体に不自然な地形で、ここもかんな流しの跡かも知れません。植林を登ると徐々に平らになってきますが、倒木の多い雑木林で、平らだからといって楽々歩けるわけではありません。倒木を跨いで北に歩くと、山頂に出ました。登りはじめて約1時間でした。上谷三等三角点(617.80m)と、コンクリートの建物の土台があります(写真)。周囲にはコンクリートのブロックと大きな自然石が転がっており、どんな建物だったのか想像できません。
下山は特に道があるわけではありませんが、とにかく平らな場所を南に歩きました。南端から下を見ると倒木の多い斜面の下がススキの原っぱとなっており、ここはやめにして東に曲がりました。こちら側も倒木の多い急斜面ですが、木や倒木で体を支えつつ降りられました。この付近もかんな流しの跡かも知れません。降りると舗装された林道があります。舗装道路を南に歩き、三差路では舗装された東向きに曲がって、南に歩きました。舗装道路はさらに東に曲がりますが、ここは地形図の破線道で南に歩きました。この破線道はススキに覆い隠された踏み跡で、見落としがちです。小さな尾根の先を回っているのですが、地形図からは分かりませんが、南側は谷です。崩落しかかった場所もありますが、ぐるっと尾根先を回ると林道になりました。そのまま林道で南に降りました。
県道154号線に出て、途中で黒土の滝を見ました。近くまで寄れるので、水量が多いと迫力があります。県道の少し西側に車寄せがあり、そこに黒瀧大神の赤い鳥居があって、古い道が滝へ降りていま。こちらは「キケン]と書いてあるので見に行くと、川を渡る丸木橋が腐っていました。水量が少なければ川を渡ればよいのですが、岩が滑りやすいのでやっぱり避けたほうがよいでしょう。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。
登り口は国道429号線に千種町千草の案内マップのある場所で、行者像を見て曲がって畑の中を登っていきます。途中で道がススキだらけでよく分からなくなったのですが、携帯のアンテナの上の方に出てくれば正解です。ここまでの間に、植松山、笛石山、後山、日名倉山などの山々を雄姿を望むことができます。しかし、下がっている板に谷への道には鍵を掛けてあると書いてあって、ちょっと焦りました。しかしとりあえず行ってみると、害獣避けの扉は4箇所を針金で留めてあって、「下の方をしっかり止めて下さい」と書いてありますが、通れました。このような金網の扉の場合、山に入った後には、金網の間から手を突っ込んで反対側で針金を縛らねばなりません。手は通るのですが、下の方は更に細か金網になっているので楽ではありません。地元の方は山に入る時も出る時もこの扉を通るので、扉の外側でしっかり針金をを縛ればよいのですが、山の反対側に降りる人たちは少し苦労を強いられます。大した問題ではありませんが。
この先は暗い倒木の多い植林で、シダも多いので歩き辛い場所です。「千草部落特別貸付地」という木の杭の所を真っ直ぐに歩いて谷を極めようとしたのですが、がれ石が多くて結局右手の尾根に曲がることにしました。倒木とシダが嫌いなら最初から尾根に上がるほうが正解です。尾根はきれいな植林でしたが、その下は段々になっており、昔は耕地だったと思われます。全体に不自然な地形で、ここもかんな流しの跡かも知れません。植林を登ると徐々に平らになってきますが、倒木の多い雑木林で、平らだからといって楽々歩けるわけではありません。倒木を跨いで北に歩くと、山頂に出ました。登りはじめて約1時間でした。上谷三等三角点(617.80m)と、コンクリートの建物の土台があります(写真)。周囲にはコンクリートのブロックと大きな自然石が転がっており、どんな建物だったのか想像できません。
下山は特に道があるわけではありませんが、とにかく平らな場所を南に歩きました。南端から下を見ると倒木の多い斜面の下がススキの原っぱとなっており、ここはやめにして東に曲がりました。こちら側も倒木の多い急斜面ですが、木や倒木で体を支えつつ降りられました。この付近もかんな流しの跡かも知れません。降りると舗装された林道があります。舗装道路を南に歩き、三差路では舗装された東向きに曲がって、南に歩きました。舗装道路はさらに東に曲がりますが、ここは地形図の破線道で南に歩きました。この破線道はススキに覆い隠された踏み跡で、見落としがちです。小さな尾根の先を回っているのですが、地形図からは分かりませんが、南側は谷です。崩落しかかった場所もありますが、ぐるっと尾根先を回ると林道になりました。そのまま林道で南に降りました。
県道154号線に出て、途中で黒土の滝を見ました。近くまで寄れるので、水量が多いと迫力があります。県道の少し西側に車寄せがあり、そこに黒瀧大神の赤い鳥居があって、古い道が滝へ降りていま。こちらは「キケン]と書いてあるので見に行くと、川を渡る丸木橋が腐っていました。水量が少なければ川を渡ればよいのですが、岩が滑りやすいのでやっぱり避けたほうがよいでしょう。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。
2017年8月23日水曜日
宍粟市波賀の不動口三角点と野尻三角点
宍粟市波賀町原には有名な原不動滝がありますが、この南の山を登ってみました。出発点は引原川沿いの、国道29号線が川の西側を走っている場所です。この南には西向きに谷があるのですが、29号線からは木が邪魔でよく見えません。しかし、ここには谷に入る林道があります。林道で谷の奥へ行くのではなく、すぐに作業道を見つけて北側の植林の斜面を登り始めました。この斜面はシダが茂った急斜面で、伐採木が転がっているために非常に歩きづらくなっています。しかたなく少し北側に斜面を横切ると、木が増えて少しシダが減りました。ここも急斜面ですが、頑張って登ると尾根に上がれました。
尾根には踏み跡があるので、急勾配ですがとりあえず歩くのには不都合はなく、登り続けました。ただ、ヤマビルに血を吸われました。少しシダが増えてきたと思ったら林道に出ました。この支尾根を横切っていますが、南から作られてきて、北に向かってまだ工事中でした。削ったばかりの法面は登りようがないので、少し北に行って林道が途切れている所から急斜面を登りました。ここもシダと倒木の急斜面ですが、頑張って登ると天国のような植林となりました。勾配も徐々に楽になってきました。共同アンテナの残骸があって、不動口四等三角点(736.10m)がありました。周囲はアセビの藪です。この先は最初の急斜面を思うと天国のようです。次の767mピークまでの間にはアンテナが撤去された跡と、数本が林立する共同アンテナ(パラボラアンテナを含む)がありました。767mピークの先は少し登って標高800m付近からは広い尾根で、木の間隔が広く開放感に溢れています。気分良くゆったり登って行きますが、最後は急登して藪の903mピークに出ました。ここからは南に歩きましたが、988mピークまで藪の細尾根が続きました。
988mピークからは東の尾根に降りなければならないのですが、尾根上からは見渡すことができません。GPSを頼りに東に降りましたが、尾根の側面は非常に急峻で、木に掴まらないと降りられません。必然的に藪を選んで降りることになりました。なんとか木を渡り歩いて尾根に達しても、この尾根が酷い藪でした。細い尾根なのですが時々尾根上に大きな岩があります。巻道らしきものがあるのですが、急斜面を横切るので滑りそうでした。岩があるので上に立てば展望がありますが、もう一度歩きたい尾根ではありません。それでも標高870m付近には宍粟市の地籍図根三角点がありました。その付近からは徐々に楽になり、そのうちに極楽の植林になりました。こちらの尾根も広々していて開放感があります。ただし野尻三等三角点(754.00m)はアセビの茂る岩場にありました。このあと、共同アンテナを過ぎて、徐々に藪っぽくなってきたので下山を考えていると、北側下方に林道が見えました。尾根からはかなり遠かったのですが、標高差100m程をシダの生えた植林を降りました。しかし林道の上に出ても、林道の法面はしっかり作られており、降りようがありません。少し西に歩いて、法面の高さが少し減った付近で思い切って法面を滑り降りました。この法面は垂直に近いのですが、草が生えています。運良く途中に石などがなかったので、草の上を滑って林道に降りられました。しかし、途中に岩が隠れていたりしたら怪我すること間違いありません。しっかり作られた林道ほど厄介なものはありません。
この林道は「森林管理道 前地・カンカケ線」だそうです。斉木の前地から大甲山の周囲をぐるっと廻って、おそらく今降りてきた尾根も尾根先で廻って、登る途中で出会った林道へ繋がり、完成すれば八丈川沿いの原不動滝の方に達するものと思われます。ただし林道は谷の奥へも向かっているので、この先どうなるのか、よく分かりません。ここからは林道で谷を下りましたが、途中の林道名は「ウツノミ線」でした。
標高差650mのコースなので、暑さもあって疲れました。山の上では涼しい風も吹きますが、藪の急斜面では長袖と軍手は必須なので、体力を消耗します。もっと涼しい季節に歩くべきでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」です。
尾根には踏み跡があるので、急勾配ですがとりあえず歩くのには不都合はなく、登り続けました。ただ、ヤマビルに血を吸われました。少しシダが増えてきたと思ったら林道に出ました。この支尾根を横切っていますが、南から作られてきて、北に向かってまだ工事中でした。削ったばかりの法面は登りようがないので、少し北に行って林道が途切れている所から急斜面を登りました。ここもシダと倒木の急斜面ですが、頑張って登ると天国のような植林となりました。勾配も徐々に楽になってきました。共同アンテナの残骸があって、不動口四等三角点(736.10m)がありました。周囲はアセビの藪です。この先は最初の急斜面を思うと天国のようです。次の767mピークまでの間にはアンテナが撤去された跡と、数本が林立する共同アンテナ(パラボラアンテナを含む)がありました。767mピークの先は少し登って標高800m付近からは広い尾根で、木の間隔が広く開放感に溢れています。気分良くゆったり登って行きますが、最後は急登して藪の903mピークに出ました。ここからは南に歩きましたが、988mピークまで藪の細尾根が続きました。
988mピークからは東の尾根に降りなければならないのですが、尾根上からは見渡すことができません。GPSを頼りに東に降りましたが、尾根の側面は非常に急峻で、木に掴まらないと降りられません。必然的に藪を選んで降りることになりました。なんとか木を渡り歩いて尾根に達しても、この尾根が酷い藪でした。細い尾根なのですが時々尾根上に大きな岩があります。巻道らしきものがあるのですが、急斜面を横切るので滑りそうでした。岩があるので上に立てば展望がありますが、もう一度歩きたい尾根ではありません。それでも標高870m付近には宍粟市の地籍図根三角点がありました。その付近からは徐々に楽になり、そのうちに極楽の植林になりました。こちらの尾根も広々していて開放感があります。ただし野尻三等三角点(754.00m)はアセビの茂る岩場にありました。このあと、共同アンテナを過ぎて、徐々に藪っぽくなってきたので下山を考えていると、北側下方に林道が見えました。尾根からはかなり遠かったのですが、標高差100m程をシダの生えた植林を降りました。しかし林道の上に出ても、林道の法面はしっかり作られており、降りようがありません。少し西に歩いて、法面の高さが少し減った付近で思い切って法面を滑り降りました。この法面は垂直に近いのですが、草が生えています。運良く途中に石などがなかったので、草の上を滑って林道に降りられました。しかし、途中に岩が隠れていたりしたら怪我すること間違いありません。しっかり作られた林道ほど厄介なものはありません。
この林道は「森林管理道 前地・カンカケ線」だそうです。斉木の前地から大甲山の周囲をぐるっと廻って、おそらく今降りてきた尾根も尾根先で廻って、登る途中で出会った林道へ繋がり、完成すれば八丈川沿いの原不動滝の方に達するものと思われます。ただし林道は谷の奥へも向かっているので、この先どうなるのか、よく分かりません。ここからは林道で谷を下りましたが、途中の林道名は「ウツノミ線」でした。
標高差650mのコースなので、暑さもあって疲れました。山の上では涼しい風も吹きますが、藪の急斜面では長袖と軍手は必須なので、体力を消耗します。もっと涼しい季節に歩くべきでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」です。
2017年8月20日日曜日
波賀町の流田三角点
播磨は古来より鉄の産地で、江戸時代中期以降はかんな(鉄穴)流しという方法で砂鉄を採取したことで知られています。この方法は山の斜面の土を削って水とともに流して重さの違いで土と砂鉄を分けるのだそうで、行われた後には削られた山と泥の堆積地が残ります。その典型的な地形として知られるのが、波賀町上野付近の齋木、皆木、飯見付近です。この付近は何度か歩いて不思議な地形を見てきましたが、今回は斉木川南側の山でかんな流しの跡を見ようと思いました。
歩き始めたのは波賀町流田付近で、斉木川を渡る橋が掛かっています。橋を南に渡ると案内マップがありますが、川の南側については深山と蔦沢越しの深山登山口が書いてあります。とりあえずはこの付近から山に入ることにしました。道を少し南に歩いて、墓所の脇から山に上ると、金網がありました。金網の向こう側は明らかにかんな流しの跡ですが、入り口がありません。金網に沿ってずっと東に歩くと、「入口出口]と書かれた扉がありました。この扉は壊れて鍵がかからないので、開かないようにトタン板で抑えてあります。ちょっと苦労して板を動かし、扉に隙間を作って山林に入りました。この付近は典型的なかんな流しの跡で、広い谷の間に筋状または孤立した小山が残っています。地面は土石流の跡に枝打ちした枝が落ちている程度で歩きやすいのですが、場所によってはシダが茂っています。なるべくシダを避けて登っていきました。主に削り残した場所の上を歩きましたが、なぜその場所が残されのか、今となっては理由は分かりません。「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」というほどのものではなく、大きな岩でも埋まっているのかも知れません。かんな流しには水流が必要ですが、この付近には水はまったくなく、近くの川まで土を運ぶしかなかっただろうと思います。
なだらかな斜面を470m地点付近まで登りましたが、この付近もかんな流しの跡です。その後もかんな流しの跡を見ながら登り続けると、標高600mを過ぎて東側が伐採地となります。この付近まではかんな流し形跡があります。この伐採地は下からもよく見えます、ということは長めは抜群で、東山、一山、阿舎利山と並ぶ山々、上野の町と城跡、それにかんな流しでできた、なだらかな斜面の上に急な山がそびえる地形がよくわかります(写真)。伐採地の脇の植林を登り、アシビが茂る藪を通って登っていくと、流田四等三角点(731.06m)に出ました。周囲はシダ藪です。ここからはシダ藪をかき分けて歩いて西の尾根に進み、南に尾根をアップダウンし、728m鞍部に降りると、西側は林道がUターンしていました。東側は伐採地です。ここから840m+ピークまではシダの中を登りました。植林で日差しはないのですが、足元が見えず間伐材もあるので疲れました。
840m+ピークには何もありませんが一休みして、下山を考えました。東側は伐採地で伐採に使った道があるのですが、草が茂っている上に木がないので日差しが強くて歩く気にはなりません。結局尾根を東に歩いて地形図の破線道を辿ろうとしました。しかし尾根に道はなく、しかもシダの密度がどんどん上がっていきます。尾根先から南東に降りる所は倒木を覆い隠すようにシダが茂っており、楽な方向に歩いて行くと、北東の植林に向かうことになりました。ひどく急勾配でもないのでこちらで下山することにしましたが、木に掴まらなくても降りられる程度の勾配とは言え、倒木をシダが覆い隠している状況は変わらず、何回か足を滑らせながら植林の中を下山しました。降り立った谷も荒れていましたが、問題なく林道に出ることができました。林道を歩いて、出発点まで戻りましたが、この道には電柱があり、「御空」「ゴソロ」と書いた札が貼ってあります。ゴソロ山というのはこの東にある通信塔のある山で、2011/08/20に登りましたが、この漢字名は意外でした。そのゴソロ山への分岐点には、石の道標があります。字はほとんど読めませんが、「右」が左側に書いてあるようなのが不思議ですが、「左つた」と読めそうなので、「左]が実は「右」で「右つたさわ」かも知れません。蔦沢というのは山崎町の伊沢川沿いの地名で、今でも山崎蔦沢郵便局があります。
かんな流しの跡を見ながら森林浴を楽しめました。この付近では陽の当たらない植林にもシダが茂っているのが特徴的です。840m+ピークから蔦沢越しへは、2010/09/04に歩いていますが、やはりシダ藪だったようです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。
歩き始めたのは波賀町流田付近で、斉木川を渡る橋が掛かっています。橋を南に渡ると案内マップがありますが、川の南側については深山と蔦沢越しの深山登山口が書いてあります。とりあえずはこの付近から山に入ることにしました。道を少し南に歩いて、墓所の脇から山に上ると、金網がありました。金網の向こう側は明らかにかんな流しの跡ですが、入り口がありません。金網に沿ってずっと東に歩くと、「入口出口]と書かれた扉がありました。この扉は壊れて鍵がかからないので、開かないようにトタン板で抑えてあります。ちょっと苦労して板を動かし、扉に隙間を作って山林に入りました。この付近は典型的なかんな流しの跡で、広い谷の間に筋状または孤立した小山が残っています。地面は土石流の跡に枝打ちした枝が落ちている程度で歩きやすいのですが、場所によってはシダが茂っています。なるべくシダを避けて登っていきました。主に削り残した場所の上を歩きましたが、なぜその場所が残されのか、今となっては理由は分かりません。「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」というほどのものではなく、大きな岩でも埋まっているのかも知れません。かんな流しには水流が必要ですが、この付近には水はまったくなく、近くの川まで土を運ぶしかなかっただろうと思います。
なだらかな斜面を470m地点付近まで登りましたが、この付近もかんな流しの跡です。その後もかんな流しの跡を見ながら登り続けると、標高600mを過ぎて東側が伐採地となります。この付近まではかんな流し形跡があります。この伐採地は下からもよく見えます、ということは長めは抜群で、東山、一山、阿舎利山と並ぶ山々、上野の町と城跡、それにかんな流しでできた、なだらかな斜面の上に急な山がそびえる地形がよくわかります(写真)。伐採地の脇の植林を登り、アシビが茂る藪を通って登っていくと、流田四等三角点(731.06m)に出ました。周囲はシダ藪です。ここからはシダ藪をかき分けて歩いて西の尾根に進み、南に尾根をアップダウンし、728m鞍部に降りると、西側は林道がUターンしていました。東側は伐採地です。ここから840m+ピークまではシダの中を登りました。植林で日差しはないのですが、足元が見えず間伐材もあるので疲れました。
840m+ピークには何もありませんが一休みして、下山を考えました。東側は伐採地で伐採に使った道があるのですが、草が茂っている上に木がないので日差しが強くて歩く気にはなりません。結局尾根を東に歩いて地形図の破線道を辿ろうとしました。しかし尾根に道はなく、しかもシダの密度がどんどん上がっていきます。尾根先から南東に降りる所は倒木を覆い隠すようにシダが茂っており、楽な方向に歩いて行くと、北東の植林に向かうことになりました。ひどく急勾配でもないのでこちらで下山することにしましたが、木に掴まらなくても降りられる程度の勾配とは言え、倒木をシダが覆い隠している状況は変わらず、何回か足を滑らせながら植林の中を下山しました。降り立った谷も荒れていましたが、問題なく林道に出ることができました。林道を歩いて、出発点まで戻りましたが、この道には電柱があり、「御空」「ゴソロ」と書いた札が貼ってあります。ゴソロ山というのはこの東にある通信塔のある山で、2011/08/20に登りましたが、この漢字名は意外でした。そのゴソロ山への分岐点には、石の道標があります。字はほとんど読めませんが、「右」が左側に書いてあるようなのが不思議ですが、「左つた」と読めそうなので、「左]が実は「右」で「右つたさわ」かも知れません。蔦沢というのは山崎町の伊沢川沿いの地名で、今でも山崎蔦沢郵便局があります。
かんな流しの跡を見ながら森林浴を楽しめました。この付近では陽の当たらない植林にもシダが茂っているのが特徴的です。840m+ピークから蔦沢越しへは、2010/09/04に歩いていますが、やはりシダ藪だったようです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。
2017年8月19日土曜日
美作の袴ヶ仙
無料の鳥取自動車道のおかげで姫路から岡山県北部・鳥取県にかけての山に行きやすくなりました。この袴ヶ仙もそのひとつです。鳥取自動車道の大原で降りて、北に走り筏津から知社へ入ると大規模林道粟倉木屋原線となります。快適な道で木地山峠を越えて、宮ノ上に入りました。この林道がないと、南から大回りしなければならないので、林道さまさまです。宮ノ上の入り口に案内板があり、集落の中を通って来て北に向かうと登山口があります。そこから西は林道なのですが、水流で削られたと思われる溝があり、小石も多くて運転が困難なので、植林に入ってすぐに車を停めて歩きはじめました。
最近整備されたと思われる赤い矢印があって、それに従うと林道を歩いて西の谷に入っていきます。谷の奥まで来ると「駐車場」という杭がありますが、マウンテンバイクの駐車場と思ったほうがよいでしょう。ここからはさらに谷を遡る細い道を歩きますが、途中でアシビがせり出してきて道が見えにくい以外はまったく問題なく、谷の奥で「ちょっとひとやすみ」と書いてある板まで来ると、植林の斜面をジグザグに登るようになります。炭焼き窯の残骸を過ぎると「オオカミ岩」という矢印がありますが、どの岩がオオカミ岩なのか分からず通り過ぎました。たしかに大きな岩が数個あります。そして尾根に出ると周囲は植林で良い感じです。袴ヶ仙へ向かって歩きますが、上に大きな岩の塊が見えてきた付近で矢印は斜面を西に横切るように指示してあります。それに従って西へ歩くと、斜面の道が流されていて所々怪しいのですが、とにかく南から来る尾根に上がれました。案内図によると迂回した岩が「小深山 岩カイ流」だったのかも知れないのですが、よく分かりません。登山ルートがなければまっすぐ登ったのにと思ったのですが、南からの尾根は勾配が少なく登りやすいのは確かです。しかも巨岩があって「塩した神社」という小さな祠があります。三角形の巨岩がありますが、濃い茶色をした不思議な石です。そして急斜面を登ると平坦地ですが、ここは山頂ではなく、さらに北にシダを抜けて歩いた先が池ノ尻三等三角点(930.41m)のある山頂です(写真)。木に隠れながらですが西、北、東に展望があります。西には那岐山が正面ですし、東は日名倉山が目立ちます。写真の背景は後山でしょうか。
下山は山頂から北に降りて東に尾根を下りました。まず山頂近くで急斜面を降りる必要がありますが、ここはシダが茂っており足元が見えません。倒木も隠れているので慎重に降りましたが、できれば避けたい場所でした。ここを過ぎるとあとは植林なので全く問題なく下山できました。谷にも道が見えますが、無理して谷に降りる必要はありません。640m地点付近は自然林ですが、その下は植林で、間伐が行われたようで広々としています。間伐の際の作業道を降りていくと、最初の林道に出ました。
登りは80分、下りは40分という短時間の登山でした。それでも900m超に登れるのですから、お得な登山コースでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
最近整備されたと思われる赤い矢印があって、それに従うと林道を歩いて西の谷に入っていきます。谷の奥まで来ると「駐車場」という杭がありますが、マウンテンバイクの駐車場と思ったほうがよいでしょう。ここからはさらに谷を遡る細い道を歩きますが、途中でアシビがせり出してきて道が見えにくい以外はまったく問題なく、谷の奥で「ちょっとひとやすみ」と書いてある板まで来ると、植林の斜面をジグザグに登るようになります。炭焼き窯の残骸を過ぎると「オオカミ岩」という矢印がありますが、どの岩がオオカミ岩なのか分からず通り過ぎました。たしかに大きな岩が数個あります。そして尾根に出ると周囲は植林で良い感じです。袴ヶ仙へ向かって歩きますが、上に大きな岩の塊が見えてきた付近で矢印は斜面を西に横切るように指示してあります。それに従って西へ歩くと、斜面の道が流されていて所々怪しいのですが、とにかく南から来る尾根に上がれました。案内図によると迂回した岩が「小深山 岩カイ流」だったのかも知れないのですが、よく分かりません。登山ルートがなければまっすぐ登ったのにと思ったのですが、南からの尾根は勾配が少なく登りやすいのは確かです。しかも巨岩があって「塩した神社」という小さな祠があります。三角形の巨岩がありますが、濃い茶色をした不思議な石です。そして急斜面を登ると平坦地ですが、ここは山頂ではなく、さらに北にシダを抜けて歩いた先が池ノ尻三等三角点(930.41m)のある山頂です(写真)。木に隠れながらですが西、北、東に展望があります。西には那岐山が正面ですし、東は日名倉山が目立ちます。写真の背景は後山でしょうか。
下山は山頂から北に降りて東に尾根を下りました。まず山頂近くで急斜面を降りる必要がありますが、ここはシダが茂っており足元が見えません。倒木も隠れているので慎重に降りましたが、できれば避けたい場所でした。ここを過ぎるとあとは植林なので全く問題なく下山できました。谷にも道が見えますが、無理して谷に降りる必要はありません。640m地点付近は自然林ですが、その下は植林で、間伐が行われたようで広々としています。間伐の際の作業道を降りていくと、最初の林道に出ました。
登りは80分、下りは40分という短時間の登山でした。それでも900m超に登れるのですから、お得な登山コースでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
2017年8月17日木曜日
南丹市八木の八木城と鉱山跡
厳密に言えば亀山市との境にありますが、八木の側から登ったので八木の八木城としておきます。地形図では単に城山と書かれています。戦国時代に内藤如安というキリシタン大名がいたことで有名な山城です。登山道は東の八木町八木の春日神社からが近そうですが、地形図には北の八木町柴山からの道が描いてあるのでこれを登ってみました。
車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。
地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。
この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。
ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。
頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。
ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。
北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。
城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。
ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。
車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。
地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。
この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。
ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。
頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。
ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。
北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。
城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。
ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。
2017年8月13日日曜日
丹波和田の岩尾城跡
丹波市山南町和田の岩尾城は戦国時代の山城として知られています。高い山ではありませんが、プチ登山のつもりで行ってみました。登り口は岩尾城からは東に離れた和田の外れで、「岩尾城跡縦走コース 和田下町登山口」と書かれた看板です。距離は2.1Kmとなっていますが、他の案内板を見ると2080mのようです。この登り口は稲荷神社への参道で、新しめの赤い鳥居が続き、小ぶりな神社があります。その先は四国八十八ヶ所巡りになります。あちこちにある、一山で八十八ヶ所を巡れるという便利なコースで、各寺の石仏が祀られていますが、コンクリートの覆いが崩れかけているものが多いのが気になりました。お参りをしながら登山道を登ると害獣避けの扉があり、この先にも石仏はありますが、本格的な登山となります。ここから岩尾城まで全体としては整備されたハイキングコースですが、シダが膝くらいまで茂っている場所がたくさんありました。それも日当たりの良い登り斜面に茂っていることが多く、意外とハードな登山でした。258mピークには共同アンテナがあります。ここを含めて、風通しが良く涼しくてほっとする場所がいくつもありましたし、展望もあちこちから東や南が望めます。石金山が正面です。道は分かりやすいのですが、登りになる地点で巻道らしい道と分岐していることがあり、いずれも登りが正解でしたが、シダが茂っているので分かりにくいかも知れません。逆方向に歩けば問題ないでしょう。
登山道は最後は牧山トンネルの方向から来る尾根に出て、そこから割掘りを通って少し平坦地を抜け、急斜面を登ると岩尾城跡です。山の名前は蛇山(358m)です。あまり大きな城ではありませんが、戦国時代の山城にしては石垣がかなり残っているのが驚きです(写真)。角のところなどあまり丁寧に積んでいるようには見えませんが、これでも400年以上も持ったというのは驚異的です。ここには以前も来ているので、今回特に見たかったのは実は西の尾根でした。城跡から北に平坦地に降りて西の尾根を下りました。踏み跡があります。少し降りると地形図に岩のマークが描いてありますが、ここは真砂土の急斜面です。今はないのですが、以前和田小学校の入り口に岩尾城の登山地図があって、城の北に人間地獄という場所が描いてありました。和田の人に聞くと蟻地獄の人間版とのことで、この蟻地獄のような半円形の真砂土の斜面は確かに人が足を滑らせると蟻地獄のように滑り落ちると思います。一番上には「危険」の札があったので、おそらくこれが人間地獄なのでしょう。子供の頃にはダンボール板で滑って遊んだと言っていましたが、どう考えても止まれないので危険すぎです。なお、北に展望があって篠ヶ峰などが見えます。
岩尾城跡に戻って、西の丸の方から下山しました。案内板の脇にも真南に降りる急勾配の小道がありますが、登山道は西の丸から降ります。登山道には案内板がありますが、ことごとく和田から登って来ることを前提に作られており、縦走して下山すると迷いそうになる所もあります。石垣は下の斜面にもあり、井戸や曲輪があります。途中に下山道があり、これが和田小学校へ降りる道だと思いますが、真っ直ぐに歩きました。最後は植林になり、害獣避けの扉を通って親縁寺に出ました。今回は通らなかったのですが、途中で達磨岩という、下から見上げると結界の張られているのが見える大きな岩を通るコースもあると思います。
暑い日だったので意外とハードなハイキングコースでした。岩尾城跡は、一見の価値があると思います。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。
登山道は最後は牧山トンネルの方向から来る尾根に出て、そこから割掘りを通って少し平坦地を抜け、急斜面を登ると岩尾城跡です。山の名前は蛇山(358m)です。あまり大きな城ではありませんが、戦国時代の山城にしては石垣がかなり残っているのが驚きです(写真)。角のところなどあまり丁寧に積んでいるようには見えませんが、これでも400年以上も持ったというのは驚異的です。ここには以前も来ているので、今回特に見たかったのは実は西の尾根でした。城跡から北に平坦地に降りて西の尾根を下りました。踏み跡があります。少し降りると地形図に岩のマークが描いてありますが、ここは真砂土の急斜面です。今はないのですが、以前和田小学校の入り口に岩尾城の登山地図があって、城の北に人間地獄という場所が描いてありました。和田の人に聞くと蟻地獄の人間版とのことで、この蟻地獄のような半円形の真砂土の斜面は確かに人が足を滑らせると蟻地獄のように滑り落ちると思います。一番上には「危険」の札があったので、おそらくこれが人間地獄なのでしょう。子供の頃にはダンボール板で滑って遊んだと言っていましたが、どう考えても止まれないので危険すぎです。なお、北に展望があって篠ヶ峰などが見えます。
岩尾城跡に戻って、西の丸の方から下山しました。案内板の脇にも真南に降りる急勾配の小道がありますが、登山道は西の丸から降ります。登山道には案内板がありますが、ことごとく和田から登って来ることを前提に作られており、縦走して下山すると迷いそうになる所もあります。石垣は下の斜面にもあり、井戸や曲輪があります。途中に下山道があり、これが和田小学校へ降りる道だと思いますが、真っ直ぐに歩きました。最後は植林になり、害獣避けの扉を通って親縁寺に出ました。今回は通らなかったのですが、途中で達磨岩という、下から見上げると結界の張られているのが見える大きな岩を通るコースもあると思います。
暑い日だったので意外とハードなハイキングコースでした。岩尾城跡は、一見の価値があると思います。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。
2017年8月11日金曜日
智頭の穂見山
せっかくの山の日なので少し足を延ばしてと思って、鳥取県に一歩踏み入れて穂見山を登りました。この山は西側の穂見から登るのが定番のようですが、鳥取自動車道から智頭をまわって西側まで行くのは遠いので、東側からのルートを検討しました。すると智頭南インターの西側の尾根を登れば山頂までまっすぐ、ということが分かったので、このルートで登りました。登り口は鳥取自動車道の西側の保守道路です。この付近は以前は畑だったようで石積みも残っていますが、今はススキが茂っていました。少しススキの中を歩いた後で南側の植林の尾根へ行く作業道を見つけて、尾根に上がりました。素晴らしい植林で、気分良く歩けました。
もうちょっと登ると南から林道が来ていて、少し伐採されています。この付近は急斜面ですが、頑張って登るとまた楽な植林になりました。しかしさらにその先の標高650mの手前付近も急勾配で、ここでは登りきってから一休みしました。北側が植林、南は自然林という場所が多いようでした。この後は少し楽になりましたが、いずれにしても標高差600m以上を登るのですから、山の日にふさわしい登山です。890m地点も植林ですが、この後はずっと傾斜は緩やかになりました。この付近は所々に長いコンクリート製の杭が立っていますが、何も書かれていません。そして目の前に大きな藪と思ったら、そこが950m+ピークでした。ここから南西に延びる尾根は伐採されており、西から南に大きく展望が広がります。国道53号の土師方面が見えますし(写真)、ガスがかかっていましたが那岐山も見えます。ここから北に広い尾根を少し歩くと、穂見二等三角点(976.01m)のある山頂です。残念ながら木が伸びていて展望はほとんどありません。
下山はまず北に尾根を歩き、尾根先に林道のある尾根を降りることにしました。主尾根から曲がる所は広くて歩きやすく、その先も植林ですが、標高800m付近になると急斜面になりました。ここで広い尾根が二つに別れるのですが、間違えて東側の勾配の少し緩そうな斜面を降りてしまいました。途中で間違いに気がついたのですが、登り返すのはあまりに大変なので、間伐材だらけの谷をトラバースする羽目になりました。これには体力をだいぶ消費しました。やっとたどり着いて正しい尾根を下ると、地形図どうりに広くなだらかな植林となり、大きな池もありました。昨日の雨で水が多かったのでしょうが、これだけあれば夏のあいだ干上がることはないでしょう。蛙が飛び込む音が植林に響きました。
この先は植林をひたすら降りました。686m地点からはちょっと急ですが作業道があります。そのまま踏み跡を歩いて、地形図の林道に出ました。この林道はここで終わっておらず南東に延びていました。この林道沿いにはアンテナがたくさんあり、智頭方面を向いたNHKのパラボラや、智頭町大内中継局、それにドコモやKDDIの携帯アンテナ、中国電力と様々です。アンテナ群を通ると、林道の枝がたくさん作られており、間伐作業中とのことでした。軌道(モノレール・リフト)が設置されていて、物資を引き上げていました。ショートカットできる道もありそうでしたが、地形図どうりに舗装された林道を降りて、ピンク色に染まった恋山形駅を見物しました。できれば智頭急行で一駅乗れば楽に出発点に戻れたのですが、午後は2時間半ほど列車の空白時間帯があり、やむなく歩いて戻りました。
標高差の大きな登山なので、急斜面が続くのは避けられません。下山に使った尾根は、最初の250mほどを林道で登れるので、比較的楽なルートでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。
もうちょっと登ると南から林道が来ていて、少し伐採されています。この付近は急斜面ですが、頑張って登るとまた楽な植林になりました。しかしさらにその先の標高650mの手前付近も急勾配で、ここでは登りきってから一休みしました。北側が植林、南は自然林という場所が多いようでした。この後は少し楽になりましたが、いずれにしても標高差600m以上を登るのですから、山の日にふさわしい登山です。890m地点も植林ですが、この後はずっと傾斜は緩やかになりました。この付近は所々に長いコンクリート製の杭が立っていますが、何も書かれていません。そして目の前に大きな藪と思ったら、そこが950m+ピークでした。ここから南西に延びる尾根は伐採されており、西から南に大きく展望が広がります。国道53号の土師方面が見えますし(写真)、ガスがかかっていましたが那岐山も見えます。ここから北に広い尾根を少し歩くと、穂見二等三角点(976.01m)のある山頂です。残念ながら木が伸びていて展望はほとんどありません。
下山はまず北に尾根を歩き、尾根先に林道のある尾根を降りることにしました。主尾根から曲がる所は広くて歩きやすく、その先も植林ですが、標高800m付近になると急斜面になりました。ここで広い尾根が二つに別れるのですが、間違えて東側の勾配の少し緩そうな斜面を降りてしまいました。途中で間違いに気がついたのですが、登り返すのはあまりに大変なので、間伐材だらけの谷をトラバースする羽目になりました。これには体力をだいぶ消費しました。やっとたどり着いて正しい尾根を下ると、地形図どうりに広くなだらかな植林となり、大きな池もありました。昨日の雨で水が多かったのでしょうが、これだけあれば夏のあいだ干上がることはないでしょう。蛙が飛び込む音が植林に響きました。
この先は植林をひたすら降りました。686m地点からはちょっと急ですが作業道があります。そのまま踏み跡を歩いて、地形図の林道に出ました。この林道はここで終わっておらず南東に延びていました。この林道沿いにはアンテナがたくさんあり、智頭方面を向いたNHKのパラボラや、智頭町大内中継局、それにドコモやKDDIの携帯アンテナ、中国電力と様々です。アンテナ群を通ると、林道の枝がたくさん作られており、間伐作業中とのことでした。軌道(モノレール・リフト)が設置されていて、物資を引き上げていました。ショートカットできる道もありそうでしたが、地形図どうりに舗装された林道を降りて、ピンク色に染まった恋山形駅を見物しました。できれば智頭急行で一駅乗れば楽に出発点に戻れたのですが、午後は2時間半ほど列車の空白時間帯があり、やむなく歩いて戻りました。
標高差の大きな登山なので、急斜面が続くのは避けられません。下山に使った尾根は、最初の250mほどを林道で登れるので、比較的楽なルートでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。
2017年8月9日水曜日
大名草の石風呂三角点
名前が良いので行ってみました。大名草の西側の山で、ここから朝来市との境界の山まで行くルートです。この山は国道429号線の北側ですが、国道に沿って青垣峠まで延びている川が石風呂川のようです。加古川の支流となります。最初は国道側から登ろうかと思ったのですが、大名草から見るとこの尾根の東端は最近伐採されてジグザグに道が見えます。南に国道側に廻った側も伐採されており、草が茂っています。そこでまず東端の伐採地の下に行くと、林道がありました。この道は北に尾根裾を廻っており、すこし行ったところになんとか登れそうな植林の斜面を見つけました。そこで、ここから登ることにしました。しかし少し登ると頭上に大きな岩が聳えていました。植林に囲まれて下からは見えないのですが、大きな岩です。幸いにも岩の右手に作業道の名残らしい踏み跡を見つけて、大岩の上に出ることができました。しかしこの上の植林も急斜面で、木に掴まり根に掴まりながら、なんとか登りました。地形図で見ても、とても登る気にならないくらい等高線が密集しています。ほぼ45度の斜面です。登り切ると、南斜面の伐採地の上に出ました。南から東を見渡せます。岩屋山の通信塔もちょっと見えました。石風呂四等三角点(374.68m)は、伐採地からちょっと東に林に入った所にありました。(写真)
この後は長い尾根登りです。標高差で400m以上を登らねばなりません。しかし距離が長いのでそれほど急斜面はありません。511mピークまで頑張って登ると、あとは楽になりました。周囲は植林で、岩も少し転がっています。その後628m地点の手前は尾根が繋がっていません。鞍部に降りるとヌタ場(というか水溜り)がありました。その後はたまにアシビの藪がありますが、簡単に抜けられます。そして最後の登りのあと、登り始めから2時間半近くかかって朝来市と丹波市の市境となる775mピークに出ました。ここへは2015/08/08に来ています。
市境は北に歩きました。大外奥四等三角点(817.71m)を通りました。植林は歩きやすいのですが、木がなくてシダが茂っていたり、アシビの藪もあり、それを抜けると紅白の大河内線五〇鉄塔があります。両側に少し展望があります。太陽光発電電源制御装置なるものがあるので、ソーラーパネルで発電して夜は点灯するのでしょう。植林を歩いて前回も来た870m+ピークに出ました。鉄塔への案内板(白地で字は読めない「火の用心」)が3方向にあります。ここからは下山で、尾根を東に降りました。しばらく降りると大河内線五一鉄塔があります。ここには関電の白地の「火の用心」が二つ上を向いているので、五二鉄塔へはいちど主尾根に戻ってから支尾根を降りるのでしょう。巡視員の方はご苦労さまです。ここは関電に従う必要はないので、そのまま尾根を降り続けました。多少傾斜の急な所もありますが、ほぼ植林なので飽きるだけで問題はありません。最後は植林の中のシダを抜けて、谷あいの舗装道路に出ました。この日は台風の後で谷川の水量は多く、道路にも水が流れ込んでいました。力強い清流を鑑賞しながら大名草に戻りました。一周5時間近くかかってしまいました。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。
この後は長い尾根登りです。標高差で400m以上を登らねばなりません。しかし距離が長いのでそれほど急斜面はありません。511mピークまで頑張って登ると、あとは楽になりました。周囲は植林で、岩も少し転がっています。その後628m地点の手前は尾根が繋がっていません。鞍部に降りるとヌタ場(というか水溜り)がありました。その後はたまにアシビの藪がありますが、簡単に抜けられます。そして最後の登りのあと、登り始めから2時間半近くかかって朝来市と丹波市の市境となる775mピークに出ました。ここへは2015/08/08に来ています。
市境は北に歩きました。大外奥四等三角点(817.71m)を通りました。植林は歩きやすいのですが、木がなくてシダが茂っていたり、アシビの藪もあり、それを抜けると紅白の大河内線五〇鉄塔があります。両側に少し展望があります。太陽光発電電源制御装置なるものがあるので、ソーラーパネルで発電して夜は点灯するのでしょう。植林を歩いて前回も来た870m+ピークに出ました。鉄塔への案内板(白地で字は読めない「火の用心」)が3方向にあります。ここからは下山で、尾根を東に降りました。しばらく降りると大河内線五一鉄塔があります。ここには関電の白地の「火の用心」が二つ上を向いているので、五二鉄塔へはいちど主尾根に戻ってから支尾根を降りるのでしょう。巡視員の方はご苦労さまです。ここは関電に従う必要はないので、そのまま尾根を降り続けました。多少傾斜の急な所もありますが、ほぼ植林なので飽きるだけで問題はありません。最後は植林の中のシダを抜けて、谷あいの舗装道路に出ました。この日は台風の後で谷川の水量は多く、道路にも水が流れ込んでいました。力強い清流を鑑賞しながら大名草に戻りました。一周5時間近くかかってしまいました。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。
2017年8月6日日曜日
多田から登る多可の天空
千ヶ峰を含む多可町と神河町の間の山並みは多可の天空と名付けられています。何度も両側から部分的に登っていますが、今回は多可町の加美区多田から登ってみました。荒田神社の北の多田から西の谷に向かう細い道を入りました。北側はソーラーパネルで埋められています。植林の入り口にはゲートがあり、開いていますが、ここに車を停めました。ゲートの脇にはタイヤを積んで着色した面白いオブジェがあります。ここから植林を歩いていくと、山小屋があってバーベキューができそうでした。ここが271m地点で、ここから北の谷に向かう舗装道路には「伐採作業中」の看板が立っています。今日の作戦は谷の東側の支尾根で登ることなので、ここから東に登っていく未舗装の林道に入りました。この林道は地形図にもありますが、ジャケツイバラがはびこっていて、あまり使われている感じはしません。地形図どうりにどんどん東に斜面を登っていき、さらに山の東側を登ります。このまま北に行くのかと心配になるとターンして、多田四等三角点(383.30m)まで来ました。ここへは西から別の林道が登ってきて、さらに西斜面を登る林道があります。三角点は林道を作った時に付近の土を掘り起こしたらしく、少し傾いていました。山側には「水源林造成事業四十周年記念 平成13年10月25日」の杭があり、東屋があって休めます。
ここからは支尾根を登りました。林道もほぼ並行して登って行きますが、尾根のほうが日陰で楽です。450m+で舗装林道が西側へ折り返していますが、ここからも尾根を登りました。たまに西側に伐採地があってネットで囲われていますが、中は大きな草が茂っています。苗は育っているのでしょうか?植林は風があって快適でした。少し岩もあります。568m地点は良い感じの植林でした。そして巨大な播磨中央線五四鉄塔に出ました。西に展望があります。そのまま植林を登っていくと、標高700m付近で目の前は植林の急斜面となりました。西側の斜面はあまりに急なので、東寄りのコースをとって東に延びた支尾根にあがり、そこから多可の天空に出ました。アセビの藪の中に、金属プレートの谷山四等三角点(833.58m)がありました。山名の書いてあるプレートはなかったのですが、谷山というピークなのでしょうか?
谷山三角点から多可の天空を南西に歩きました。急坂が多いのですが、周囲は植林で尾根を横切る風も心地よく、まさに極楽でした。夏の休日に誰もこの主要ルートを歩いていないのには驚きました。ちょっと北側に林道が見えました。そして793mピークに登りましたが、ピークはススキで覆われており、中央には関電の「火の用心」が立っています。ここから西の鉄塔に降りて行くようです。天空の道はそのまま南に降りて、播磨中央線五三鉄塔に出ました。さっきの鉄塔の次なので、電線は800mほど谷を渡っています。ここで林道が尾根を横切っていました。この付近の林道は地形図には全く描かれておらず、航空写真では木に隠れて切れ切れにしか分からないので、全体像が掴めません。この林道は尾根近くに尾根に沿って作られているので下山には使えそうもありません。そこで検討すると、地形図にはここから東の谷に降りる破線道が描かれています。そこで探してみると、急な斜面の下に「火の用心」が見えました。次の鉄塔は東の尾根の上ですから、この巡視路は谷に降りているはずなので、ここから下山を決めました。しかし最初はまさに土石流の跡を歩いている感じ、岩あり砂地ありで危険でした。それを抜けると道があるのですが、草で覆われています。そして道は植林に入って行くのでほっとしたのですが、この植林の谷は最近伐採が行われたらしく、枝で埋まっていました(写真)。枝の下はガレ岩が多いので、安心して歩けません。積もった枝を踏みながら歩き、なんとか林道に降り立ちました。少しぬかるんでいましたが、問題なく林道で谷を下山できました。この急斜面の破線道は、実は多田から大畑・生野に繋がる旧道だそうで、谷沿いの林道に説明書きがありました。しかし大変に荒れていますので、ここから登って峠を越えるのは難しいだろうと思います。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「生野」「丹波和田」です。
ここからは支尾根を登りました。林道もほぼ並行して登って行きますが、尾根のほうが日陰で楽です。450m+で舗装林道が西側へ折り返していますが、ここからも尾根を登りました。たまに西側に伐採地があってネットで囲われていますが、中は大きな草が茂っています。苗は育っているのでしょうか?植林は風があって快適でした。少し岩もあります。568m地点は良い感じの植林でした。そして巨大な播磨中央線五四鉄塔に出ました。西に展望があります。そのまま植林を登っていくと、標高700m付近で目の前は植林の急斜面となりました。西側の斜面はあまりに急なので、東寄りのコースをとって東に延びた支尾根にあがり、そこから多可の天空に出ました。アセビの藪の中に、金属プレートの谷山四等三角点(833.58m)がありました。山名の書いてあるプレートはなかったのですが、谷山というピークなのでしょうか?
谷山三角点から多可の天空を南西に歩きました。急坂が多いのですが、周囲は植林で尾根を横切る風も心地よく、まさに極楽でした。夏の休日に誰もこの主要ルートを歩いていないのには驚きました。ちょっと北側に林道が見えました。そして793mピークに登りましたが、ピークはススキで覆われており、中央には関電の「火の用心」が立っています。ここから西の鉄塔に降りて行くようです。天空の道はそのまま南に降りて、播磨中央線五三鉄塔に出ました。さっきの鉄塔の次なので、電線は800mほど谷を渡っています。ここで林道が尾根を横切っていました。この付近の林道は地形図には全く描かれておらず、航空写真では木に隠れて切れ切れにしか分からないので、全体像が掴めません。この林道は尾根近くに尾根に沿って作られているので下山には使えそうもありません。そこで検討すると、地形図にはここから東の谷に降りる破線道が描かれています。そこで探してみると、急な斜面の下に「火の用心」が見えました。次の鉄塔は東の尾根の上ですから、この巡視路は谷に降りているはずなので、ここから下山を決めました。しかし最初はまさに土石流の跡を歩いている感じ、岩あり砂地ありで危険でした。それを抜けると道があるのですが、草で覆われています。そして道は植林に入って行くのでほっとしたのですが、この植林の谷は最近伐採が行われたらしく、枝で埋まっていました(写真)。枝の下はガレ岩が多いので、安心して歩けません。積もった枝を踏みながら歩き、なんとか林道に降り立ちました。少しぬかるんでいましたが、問題なく林道で谷を下山できました。この急斜面の破線道は、実は多田から大畑・生野に繋がる旧道だそうで、谷沿いの林道に説明書きがありました。しかし大変に荒れていますので、ここから登って峠を越えるのは難しいだろうと思います。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「生野」「丹波和田」です。
2017年8月5日土曜日
若桜の来見野の北の山なみ
若桜の北に来見野川があり、その上流に諸鹿渓谷があります。その付近を探索しようと思って諸鹿へ行ったのですが、諸鹿の集落から先は落石で通行止めなっていました。そこで、その手前の北側の山並みを歩くことにしました。
登り口は来見野で、尾根が延びてきています。この付近で登れそうな場所といったらここしかありません。墓所から植林の道を水平気味に北に歩いて尾根の先端に出ました。とても急峻なのですが、作業道かも、という場所を見つけて無理やり登りました。小さな岩が多い急斜面で、木に掴まりながら少し登ると、藪山っぽい尾根になりました。登るのに大きな障害はないのですが、木が生えていない場所では日差しがきつい上に背の高い草が生えていて、かなりの気力を要しました。そこを登り切るときれいな植林になりました。地形図では水路の破線の上付近です。ここからは歩き易い尾根で、自然林で岩のある細尾根を抜け、また植林に入って、597mピークを過ぎて、主尾根に出ました。2017/06/03に歩いたのと同じルートを北に歩いて、丸尾三等三角点(639.92m)に着きました。
前回はここから西に歩きましたが、今回はさらに北に歩きました。この付近は枯れた笹が目立つ程度で、歩き易く気持の良い尾根です。このあと諸鹿に下山するまでずっと尾根歩きですが、上り下りは驚くほど少なく、最高点と最低点の標高差は100mもありません。自然林は落ち葉を踏んで歩けますし、植林は綺麗です。展望はほとんどありませんが、森林浴のできる極楽の尾根でした。634m地点付近では笹が息を吹き返してきますが、歩くのに支障はありません。その先はやや曲がりくねっていますが、ここを抜けると芳原三等三角点(654.45m)です。周囲は少し伐採されており、日差しがきついので急いで通り抜けました(写真)。
さらに東に歩くと、お手本のような美しい植林があり、それを抜けると地形図で破線道が北の細見川から南の諸鹿へ山越えしている地点に出ます。この破線道は北側も南側も急斜面を真っ直ぐに描かれているのですが、これはあり得ないような気がします。しかし他に適当な下山道もないので、国土地理院を信じて破線道を辿ってみることにしました。最初はなだらかな尾根ですが、地形図で傾斜45度くらいに見える所はさすがに急斜面でした。立っているのがやっとという感じですが、藪なのが幸いして木に掴まれるため、意外と降りられました。しかし足元は砂が多くて崩れやすいため、決して楽ではありません。最後の10mほどは木が少なく、木の根に掴まりながらお尻で滑り降りました。滑り降りると天国のような植林でした。この後はしばらく気持ち良く植林を歩きましたが、その先で破線道は東に曲がって谷に降りています。こちらに途中まで降りたのですが、谷に降りる方向はどう見ても藪だったので、方針を変更して真っ直ぐ南に降りました。砂地の広々した斜面で、斜めに降りて行ったのですが、最後は藪になりました。藪の中に作業道を見つけて、しめたと思ったのですが、これはなんと県道沿いのコンクリートで固めた崖の上に出ました。幸いに草をかき分けると道は続いており、藪漕ぎで急斜面をジグザグに降りて、県道に降り立ちました。見上げると、とても道があるようには見えない場所でした。
下山の破線道は踏み跡らしきもののある場所もあって、かつては使われていた可能性はあります。しかし今となっては登山道とは言えないでしょう。屏風岩を眺めるチャンスがなかったのが残念です。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「若桜」です。
登り口は来見野で、尾根が延びてきています。この付近で登れそうな場所といったらここしかありません。墓所から植林の道を水平気味に北に歩いて尾根の先端に出ました。とても急峻なのですが、作業道かも、という場所を見つけて無理やり登りました。小さな岩が多い急斜面で、木に掴まりながら少し登ると、藪山っぽい尾根になりました。登るのに大きな障害はないのですが、木が生えていない場所では日差しがきつい上に背の高い草が生えていて、かなりの気力を要しました。そこを登り切るときれいな植林になりました。地形図では水路の破線の上付近です。ここからは歩き易い尾根で、自然林で岩のある細尾根を抜け、また植林に入って、597mピークを過ぎて、主尾根に出ました。2017/06/03に歩いたのと同じルートを北に歩いて、丸尾三等三角点(639.92m)に着きました。
前回はここから西に歩きましたが、今回はさらに北に歩きました。この付近は枯れた笹が目立つ程度で、歩き易く気持の良い尾根です。このあと諸鹿に下山するまでずっと尾根歩きですが、上り下りは驚くほど少なく、最高点と最低点の標高差は100mもありません。自然林は落ち葉を踏んで歩けますし、植林は綺麗です。展望はほとんどありませんが、森林浴のできる極楽の尾根でした。634m地点付近では笹が息を吹き返してきますが、歩くのに支障はありません。その先はやや曲がりくねっていますが、ここを抜けると芳原三等三角点(654.45m)です。周囲は少し伐採されており、日差しがきついので急いで通り抜けました(写真)。
さらに東に歩くと、お手本のような美しい植林があり、それを抜けると地形図で破線道が北の細見川から南の諸鹿へ山越えしている地点に出ます。この破線道は北側も南側も急斜面を真っ直ぐに描かれているのですが、これはあり得ないような気がします。しかし他に適当な下山道もないので、国土地理院を信じて破線道を辿ってみることにしました。最初はなだらかな尾根ですが、地形図で傾斜45度くらいに見える所はさすがに急斜面でした。立っているのがやっとという感じですが、藪なのが幸いして木に掴まれるため、意外と降りられました。しかし足元は砂が多くて崩れやすいため、決して楽ではありません。最後の10mほどは木が少なく、木の根に掴まりながらお尻で滑り降りました。滑り降りると天国のような植林でした。この後はしばらく気持ち良く植林を歩きましたが、その先で破線道は東に曲がって谷に降りています。こちらに途中まで降りたのですが、谷に降りる方向はどう見ても藪だったので、方針を変更して真っ直ぐ南に降りました。砂地の広々した斜面で、斜めに降りて行ったのですが、最後は藪になりました。藪の中に作業道を見つけて、しめたと思ったのですが、これはなんと県道沿いのコンクリートで固めた崖の上に出ました。幸いに草をかき分けると道は続いており、藪漕ぎで急斜面をジグザグに降りて、県道に降り立ちました。見上げると、とても道があるようには見えない場所でした。
下山の破線道は踏み跡らしきもののある場所もあって、かつては使われていた可能性はあります。しかし今となっては登山道とは言えないでしょう。屏風岩を眺めるチャンスがなかったのが残念です。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「若桜」です。
2017年8月2日水曜日
大屋町の佐治見川
大屋市の佐治見川は、日本分水嶺の銅山の付近から北に流れ出して大屋川に注いでいます。いちど川沿いの林道を歩いてみようと思っていたのですが、林道を往復するだけではつまりません。そこで、尾根を歩いてから林道で帰ってくることにしました。
出発点は大屋市筏です。支尾根が佐治見川沿いに伸びているので、ここから登るのが普通でしょうが、除草中だったので遠慮して集落の西側から登りました。急斜面ですが、何段も石積みがあり、昔からがけ崩れ対策がされていたことが分かります。石の積み方を見ながら主尾根にでると、あとは植林登りです。あまりきつい坂ではなく、作業道もあります。NHKの杭があるなと思っていたら、共同アンテナがありました。展望があって加保の北の通信塔が見えました。ここからも緩めの登りが続きます。気分の良い場所もあればアシビの藪もあります。631mピークは雑然とした場所でした。さらに登りは続きますが、途中からは2015/05/03に反対方向に歩いた尾根となりました。藪っぽい場所もありますが、歩くのに支障はありません。しかし長い尾根です。
若杉三等三角点(762.33m)は藪の中の伐採地です(写真)。前回と同様に方向を間違えました。藪っぽいので方向を見極めるには方位磁石が必要です。その後で790m+ピークに上がった後も、方向を間違えました。方向確認は常に必要です。藪っぽい細尾根を向けて、頑張って810m+まで登ると、気持の良い植林でした。方向を間違えないように南西に歩き、藪っぽい平坦地から地形図の破線道を目指して植林を降りました。この破線道は不動滝と佐治見川を結んでいますが、実際には存在しません。破線道の描かれている谷は幅が狭く歩きにくいので、結局南側の急斜面をトラバースしました。そして、下に林道が見えたのでちょっと苦労して降り立ちました。歩き始めて3時間半でした。
佐治見川の上流を調べるのが今回の目的だったので、林道を南に歩いてみました。地形図の実線道が終わる付近で道は西に大きくカーブしており、その先はさらに南に登って行っていました。地形図にある破線道に相当する谷は倒木で埋まっていました。この地点の南の907mピークの周囲には不動滝の方向から来る林道があるので、それと繋がっている可能性がありますが、航空写真では確認できません。この林道佐治見線は延長6.2kmとなっているので、ここまでなのだろうと思います。そこで今回はここで探索は終わりにして、佐治見川を下って筏に帰りました。途中に三社栂注連大明神という神社があります。お賽銭をあげようと思ったのですが、ガラス張りの扉には鍵がかかっていました。神社の前には自動車の残骸があり、ここからは半舗装の道になります。ところどころに石垣があり、古くから人の手の入った場所のようです。昔は集落があったようで、その形跡を探すのも楽しみですが、石垣はあっても家屋の跡などは見当たりません。さすがに6.2kmは長くて疲れましたが、佐治見川の水流も綺麗で気持ち良く植林の中を歩けました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「戸倉峠」「大屋市場」です。
出発点は大屋市筏です。支尾根が佐治見川沿いに伸びているので、ここから登るのが普通でしょうが、除草中だったので遠慮して集落の西側から登りました。急斜面ですが、何段も石積みがあり、昔からがけ崩れ対策がされていたことが分かります。石の積み方を見ながら主尾根にでると、あとは植林登りです。あまりきつい坂ではなく、作業道もあります。NHKの杭があるなと思っていたら、共同アンテナがありました。展望があって加保の北の通信塔が見えました。ここからも緩めの登りが続きます。気分の良い場所もあればアシビの藪もあります。631mピークは雑然とした場所でした。さらに登りは続きますが、途中からは2015/05/03に反対方向に歩いた尾根となりました。藪っぽい場所もありますが、歩くのに支障はありません。しかし長い尾根です。
若杉三等三角点(762.33m)は藪の中の伐採地です(写真)。前回と同様に方向を間違えました。藪っぽいので方向を見極めるには方位磁石が必要です。その後で790m+ピークに上がった後も、方向を間違えました。方向確認は常に必要です。藪っぽい細尾根を向けて、頑張って810m+まで登ると、気持の良い植林でした。方向を間違えないように南西に歩き、藪っぽい平坦地から地形図の破線道を目指して植林を降りました。この破線道は不動滝と佐治見川を結んでいますが、実際には存在しません。破線道の描かれている谷は幅が狭く歩きにくいので、結局南側の急斜面をトラバースしました。そして、下に林道が見えたのでちょっと苦労して降り立ちました。歩き始めて3時間半でした。
佐治見川の上流を調べるのが今回の目的だったので、林道を南に歩いてみました。地形図の実線道が終わる付近で道は西に大きくカーブしており、その先はさらに南に登って行っていました。地形図にある破線道に相当する谷は倒木で埋まっていました。この地点の南の907mピークの周囲には不動滝の方向から来る林道があるので、それと繋がっている可能性がありますが、航空写真では確認できません。この林道佐治見線は延長6.2kmとなっているので、ここまでなのだろうと思います。そこで今回はここで探索は終わりにして、佐治見川を下って筏に帰りました。途中に三社栂注連大明神という神社があります。お賽銭をあげようと思ったのですが、ガラス張りの扉には鍵がかかっていました。神社の前には自動車の残骸があり、ここからは半舗装の道になります。ところどころに石垣があり、古くから人の手の入った場所のようです。昔は集落があったようで、その形跡を探すのも楽しみですが、石垣はあっても家屋の跡などは見当たりません。さすがに6.2kmは長くて疲れましたが、佐治見川の水流も綺麗で気持ち良く植林の中を歩けました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「戸倉峠」「大屋市場」です。
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