2016年3月20日日曜日

池田氏墓所から神道山

日笠の地形図を見ると、「岡山藩主池田家墓所附津田永忠墓」と書いてある場所があります。長い単語で目立つので、この付近の山を歩いてみました。和意谷を走って池田氏墓所へ向かい、墓所専用駐車場に車を停めました。ここにはトイレと説明板と鳥居があります。ここから飛び石のある道が山に延びています。墓守が住んでいたであろう家があり、さらに登ると頭の良くなる(?)井戸があります。そして20分ほどで一の山と呼ばれる池田輝政の墓に着きました。この墓所の他の墓もそうですが、儒教風だそうで、古墳のような盛り土の前に名前の書いてある墓石が立っているだけです。戒名ではなく本名が書いてあるので分かりやすいのですが、源輝政となっていました。お侍さんは皆さん源氏の子孫になりたかったのでしょうか。二の山から五の山までは一の山の近くにあリます。その先をさらに登ると六の山があります。この付近の道はやや荒れ気味です。さらに七の山へは364mピークを越えますが、大きなシダが張り出していたりして、藪山歩きになります。七の山の墓も草が生い茂っていて、荒れ放題です。

墓所巡りはこのくらいにして364mピークに戻り、南に稜線沿いに歩き始めました。藪なのですが、なんとなく切り開きがあります。ちょっと歩くと草が茂って歩きにくい所もありますが、ほぼ切り開きを楽に歩けました。「山」と彫られた標石がところどころにあり、これに沿って道が付けられているようです。少し下って、三角点に登り返す手前の鞍部では道が尾根を横切っていました。そして官林三等三角点(390.12m)があり、道を辿って本ノ峠(地形図では峠に「たわ」と振りがながふってあります)に降りました。ここにはしっかりした道があって、明治11年ののお地蔵さんがあります(写真)。ここからさらに西に道を登って、350m+ピークを経由して神道山に登りました。道は山の東側を行くので、ちょっと藪に入って山頂を探しに行きましたが、平らな藪でどこが山頂か分からずに帰って来ました。さらに道を歩いて南に進みました。368mピークの東側を過ぎて、少し藪っぽくなった道を歩いて備前市と和気市の境の尾根に出ました。この尾根で下山する予定だったのですが、道はさらに南に行くので、少し行き過ぎてから尾根に乗りました。尾根上を西に歩きましたが、シダが茂っていてくたびれました。いい加減にシダとの戦いが嫌になってきた頃に、一本の木が立っている空き地があり、ここから非常に急な道が北斜面に作られていました。あとはこの林道で下山しましたが、分岐が多くてどちらに行ったら良いのか迷う場所もありました。しかし、この付近はシダが茂っており、林道がなければ下山には苦労したでしょう。降りた所は私有地で立ち入り禁止となっていました。

津田永忠の墓を探していたのですが、実はここにはなく、和気市の奴久谷にあるようです。地形図の書き方は紛らわしいと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「日笠」です。

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