平成の大合併の前は姫路市最高峰だった林田町北端の葛城山は、いつも南から登っているので、北側から登ってみました。安富町瀬川から南に道を歩きました。養鶏場などが左右にありますが、まっすぐ登ると右に折れて水平道になります。ここで真っ直ぐ谷に入っていく道もありましたが、とりあえずは林道を西に歩きました。柵や網はないのでどこからでも登れますが、357mピークに登ることを目指して西に行きました。そして狭戸方面がよく見える付近まで来ると、その先は山側が崖なので、その手前から登り始めました。
入った場所は谷で、東西どちらの小尾根にも行けましたが、東側の植林の尾根を選びました。この尾根はすぐに雑木林になりますが、障害物はありません。ただし地形図どうりの急斜面です。ひたすら登り続けると、30分もかからずに357mピークに着きました。ここから東にいったん降りて、さらに登り続けましたが、平らな場所も多くて気楽な尾根歩きとなりました。間違えやすいポイントはたくさんありますが、地形図を見ながら歩けば大丈夫です。山に入ってから1時間ほどで、葛城山山頂に着きました。金属タグの埋め込まれた不動山二等三角点(478.61m)があります。南側が伐採されていて、海まで見えるのが嬉しいところです(写真)。
山頂からは西に降りて、尾根伝いに東に行きました。430m+ピークから北には、やや急な斜面を降りますが、特に問題はありません。さらに東に行って、三郡山という札のあるピークまで行ってからちょっと戻って北に降りました。こちらも平坦な尾根ですが、尾根を歩いて行くと最後は急斜面の植林となります。降りた地点には堰堤があり、川沿いに道があるので、下山としては正解です。ただ、もう少し北まで山の中を歩いてもよかったかも知れません。
3時間ほどで旧姫路市最高峰に登れました。道はありませんが、ひどい倒木も無く、楽しめる山歩きでした。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「安志」です。
2014年2月16日日曜日
市川町牛尾の三角点二つ
岡部川の北にある地味な三角点二つに行きました。下牛尾から岡部川沿いに歩くと、瀬加小学校牛尾分校があります。今は笠形会館となっているようです。このプールの東側を登って行くと、害獣避けの扉があり、ここから山に入りました。この道は墓地に行くためのものなのですぐ終わります。東に尾根を探して歩くと、この付近の山裾はかつては段々畑だったことが分かりました。最初は下草もなく楽ですが、急斜面になるとシダも増えてきて、典型的な藪山になりました。里山なので道がありそうなものですが、あったとしても崩落とシダで消えています。
尾根に出ても藪ですが、大きな岩が多く、展望もあって少し楽しめました。シダで消えかかった踏み跡を辿って牛尾四等三角点(345.40m)に出ました。いったんちょっと西側に降りてから北に歩き続けました。あまり細くない細尾根を歩き、斜面を登って何もない358mピークを過ぎ、道のない北斜面を降りると林になって歩き易くなりました。しばらく歩くと鞍部に出ますが、ここは東にある笠形温泉から道があり、東屋があって休めます。西側にも道がありました。
鞍部から先は下草のない松の生えた尾根です。展望もあります。やや急な斜面を登り、しばらく歩くと気持ちの良い開けた場合に出ました。隅の方に歌堂谷三等三角点(430.35m)がありました。ここからも歩き易く、399mピークを過ぎ、似たような雰囲気の尾根が続きます。350m+の小ピークを過ぎると鞍部に出ますが、横切っている道はありません。しかし藪の急斜面を登ると、380m+ピークにはベンチがありました。笠形山方面が展望できます。ハイキング用の道が南東に整備されているので、これを降りました。北に降りる道もありました。かなり古い道で木の階段はほとんど腐っていますが、道があるとやはり楽です。鞍部まで降りると道しるべがあり、下山は北の「ふれあい広場」となっていました。下山せずに370mピークに登りました。ここは道が消えかかっています。頂上にはマッシュルームの形の屋根が付いた展望台がありました。さすがに眺望は抜群です。写真は笠形山方面です。ここからは道のない藪を南に降りました。少し降りると藪も楽になり、尾根の先まで降りられました。ただし先には金網があるのでちょっと戻って地形図の破線道に降りました。ここには扉があるのですが、山側からは開けられません。よじ登ろうかと思ったのですが、ちょっと回り込むと畑に行く出入口がありました。あとは道を歩いて戻りました。
山を歩いていたのは3時間ほどです。いかにも里山という感じでした。なお、松茸山なので9月から11月は入山禁止だそうです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。
尾根に出ても藪ですが、大きな岩が多く、展望もあって少し楽しめました。シダで消えかかった踏み跡を辿って牛尾四等三角点(345.40m)に出ました。いったんちょっと西側に降りてから北に歩き続けました。あまり細くない細尾根を歩き、斜面を登って何もない358mピークを過ぎ、道のない北斜面を降りると林になって歩き易くなりました。しばらく歩くと鞍部に出ますが、ここは東にある笠形温泉から道があり、東屋があって休めます。西側にも道がありました。
鞍部から先は下草のない松の生えた尾根です。展望もあります。やや急な斜面を登り、しばらく歩くと気持ちの良い開けた場合に出ました。隅の方に歌堂谷三等三角点(430.35m)がありました。ここからも歩き易く、399mピークを過ぎ、似たような雰囲気の尾根が続きます。350m+の小ピークを過ぎると鞍部に出ますが、横切っている道はありません。しかし藪の急斜面を登ると、380m+ピークにはベンチがありました。笠形山方面が展望できます。ハイキング用の道が南東に整備されているので、これを降りました。北に降りる道もありました。かなり古い道で木の階段はほとんど腐っていますが、道があるとやはり楽です。鞍部まで降りると道しるべがあり、下山は北の「ふれあい広場」となっていました。下山せずに370mピークに登りました。ここは道が消えかかっています。頂上にはマッシュルームの形の屋根が付いた展望台がありました。さすがに眺望は抜群です。写真は笠形山方面です。ここからは道のない藪を南に降りました。少し降りると藪も楽になり、尾根の先まで降りられました。ただし先には金網があるのでちょっと戻って地形図の破線道に降りました。ここには扉があるのですが、山側からは開けられません。よじ登ろうかと思ったのですが、ちょっと回り込むと畑に行く出入口がありました。あとは道を歩いて戻りました。
山を歩いていたのは3時間ほどです。いかにも里山という感じでした。なお、松茸山なので9月から11月は入山禁止だそうです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。
2014年2月11日火曜日
北から登る上郡の黒石
上郡の黒石は、岩木川を遡って行くことができます。隣の船岩には大きな養鶏場が幾つも作られており、市原経由で行くこともできます。しかし大規模な開発が行われており、登山には向いていないようです。そこで、黒石に北から登ることを思いつきました。
千種川沿いの円光寺から西へ秋里川を遡りました。上秋里の先で道路北側のの法面を整備しており、その飯場がある所が地形図で破線道が南の谷に伸びている場所でした。進入禁止の橋を渡ると尾根の先端に作業道があり、ここから尾根に登りました。登ってしまえば歩きやすい尾根です。しばらく歩くと電線が通っており、一緒に登って行くとCATVのアンテナがありました。この付近が290m地点です。その先、330m+ピーク付近は展望があり、その先から作業道が現れました。後で北の谷を通ってわかったのですが、この付近の北斜面は大規模な伐採が行われています。345mピークを過ぎ、西播東岡山線37鉄塔を過ぎましたが、鉄塔の所で南の尾根を探すのに少し苦労しました。関電の巡視路は谷に降りていきます。370m+の小ピークを過ぎると谷から道が道が来ていたので、しばらく道を歩いて標高400m付近に着きました。ここからは北に大展望が広がります。
ここからは道ではなく尾根を歩きましたが、特に障害物はありません。佐用町と上郡町の境界の尾根に出てさらにゆるやかに登って行くと、505mピーク(これが抜位山?)に出ました。養鶏場の臭いが漂ってきます。いちおうここが目的地だったのですが、赤白の鉄塔が見えたので南に降りて行くと、NTTドコモの船石通信塔でした。非常に高く、しかも先細りではなく平行な四本柱で立てられています。携帯のアンテナは付いていますが、パラボラアンテナは一切無く、もったいない感じです。通信塔の北側からは柵越しに海が見えました。ついでなので黒石まで道を降りて行き、佐岐神社にお参りし、そのまま神社の裏手を登って505mピークに戻りました。
ここからは下山ですが、まず登ってきた町界の尾根を戻り、町界から外れるあたりで東寄りの尾根を降りました。この尾根を下って行くと、東の谷の方に行ってしまいました。北の尾根に登るには急斜面を登らなければなりませんが、幸いに斜面をジグザグに登る道があって、尾根に出られました。この先もずっと道が続きましたが、道は東のほうに行ってしまいそうだったので尾根に上がって北へ歩きました。すると墓地がありました。こんな山奥に墓地があるとは予想していなかったので、とてもびっくりしました。明治から大正時代の墓が多く、古くても慶応年間でした。ほとんどの墓石は倒れていましたが、立派に立っていたのは特大の「大釜家先祖代々之墓」(写真)と、軍人仕様の「大釜弥三郎之墓」でした。この墓地は東向き斜面に作られており、道を歩いていると気が付かないかもしれません。
墓地があるということは下山道があるはずと思って探すと、どうやらここまで歩いてきた道が西に谷を降りて行くようなので、それで下山することにしました(他にも東に向かう道もあります)。しかし荒れた道で、崩落しているのはしかたないにしても、途中で竹が折り重なって倒れており、通れなくなりました。地形図ではこの付近には竹林のマークがあり、不思議に思っていたのですが、陶器なども落ちており、どうやらかつて人家があったようです。帰ってから調べると、この付近にはその名もズバリ大釜という集落があったそうです([1])。国土地理院の1975年のカラー写真には、家屋が数件写っています。Google Map(ゼンリンの地図)でも、この付近にはポツリと「大釜」と書かれています。しかし今となっては道は歩けず、結局谷に降りました。この付近の谷は広いので歩くには問題ありませんが、沼地化しているところがあって靴が泥だらけになりました。再び道に戻って降りて行くと、関電の赤い「火の用心」がありました。登山時に通った37鉄塔の一つ前の36鉄塔がこの尾根の上にあります。この先は関電のお陰でだいぶ歩きやすくなりました。大規模な伐採を眺めつつ、水の少ない溜池を通って、最初に通った橋に出てきました。
上秋里から大釜を見に行きたければ、私が最後に降りた道を歩いて関電の鉄塔に登って、尾根から集落の跡を探すのが正解と思います。この付近には抜位という集落もあったそうで、廃村マニアの方にはお薦めです。先に廃村のことを知っていれば、もっと気をつけて歩いたのですが、いずれにしても残雪がかなりあったので、再挑戦したいと思います。千種川から谷を登っても来れそうですが、千種川をどうやって渡るかが大問題でしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。
千種川沿いの円光寺から西へ秋里川を遡りました。上秋里の先で道路北側のの法面を整備しており、その飯場がある所が地形図で破線道が南の谷に伸びている場所でした。進入禁止の橋を渡ると尾根の先端に作業道があり、ここから尾根に登りました。登ってしまえば歩きやすい尾根です。しばらく歩くと電線が通っており、一緒に登って行くとCATVのアンテナがありました。この付近が290m地点です。その先、330m+ピーク付近は展望があり、その先から作業道が現れました。後で北の谷を通ってわかったのですが、この付近の北斜面は大規模な伐採が行われています。345mピークを過ぎ、西播東岡山線37鉄塔を過ぎましたが、鉄塔の所で南の尾根を探すのに少し苦労しました。関電の巡視路は谷に降りていきます。370m+の小ピークを過ぎると谷から道が道が来ていたので、しばらく道を歩いて標高400m付近に着きました。ここからは北に大展望が広がります。
ここからは道ではなく尾根を歩きましたが、特に障害物はありません。佐用町と上郡町の境界の尾根に出てさらにゆるやかに登って行くと、505mピーク(これが抜位山?)に出ました。養鶏場の臭いが漂ってきます。いちおうここが目的地だったのですが、赤白の鉄塔が見えたので南に降りて行くと、NTTドコモの船石通信塔でした。非常に高く、しかも先細りではなく平行な四本柱で立てられています。携帯のアンテナは付いていますが、パラボラアンテナは一切無く、もったいない感じです。通信塔の北側からは柵越しに海が見えました。ついでなので黒石まで道を降りて行き、佐岐神社にお参りし、そのまま神社の裏手を登って505mピークに戻りました。
ここからは下山ですが、まず登ってきた町界の尾根を戻り、町界から外れるあたりで東寄りの尾根を降りました。この尾根を下って行くと、東の谷の方に行ってしまいました。北の尾根に登るには急斜面を登らなければなりませんが、幸いに斜面をジグザグに登る道があって、尾根に出られました。この先もずっと道が続きましたが、道は東のほうに行ってしまいそうだったので尾根に上がって北へ歩きました。すると墓地がありました。こんな山奥に墓地があるとは予想していなかったので、とてもびっくりしました。明治から大正時代の墓が多く、古くても慶応年間でした。ほとんどの墓石は倒れていましたが、立派に立っていたのは特大の「大釜家先祖代々之墓」(写真)と、軍人仕様の「大釜弥三郎之墓」でした。この墓地は東向き斜面に作られており、道を歩いていると気が付かないかもしれません。
墓地があるということは下山道があるはずと思って探すと、どうやらここまで歩いてきた道が西に谷を降りて行くようなので、それで下山することにしました(他にも東に向かう道もあります)。しかし荒れた道で、崩落しているのはしかたないにしても、途中で竹が折り重なって倒れており、通れなくなりました。地形図ではこの付近には竹林のマークがあり、不思議に思っていたのですが、陶器なども落ちており、どうやらかつて人家があったようです。帰ってから調べると、この付近にはその名もズバリ大釜という集落があったそうです([1])。国土地理院の1975年のカラー写真には、家屋が数件写っています。Google Map(ゼンリンの地図)でも、この付近にはポツリと「大釜」と書かれています。しかし今となっては道は歩けず、結局谷に降りました。この付近の谷は広いので歩くには問題ありませんが、沼地化しているところがあって靴が泥だらけになりました。再び道に戻って降りて行くと、関電の赤い「火の用心」がありました。登山時に通った37鉄塔の一つ前の36鉄塔がこの尾根の上にあります。この先は関電のお陰でだいぶ歩きやすくなりました。大規模な伐採を眺めつつ、水の少ない溜池を通って、最初に通った橋に出てきました。
上秋里から大釜を見に行きたければ、私が最後に降りた道を歩いて関電の鉄塔に登って、尾根から集落の跡を探すのが正解と思います。この付近には抜位という集落もあったそうで、廃村マニアの方にはお薦めです。先に廃村のことを知っていれば、もっと気をつけて歩いたのですが、いずれにしても残雪がかなりあったので、再挑戦したいと思います。千種川から谷を登っても来れそうですが、千種川をどうやって渡るかが大問題でしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。
2014年1月25日土曜日
佐用町の向坂から県境の尾根
この県境は、兵庫県と岡山県の県境です。上月から姫新線に沿って国道179号線を西に走り、大日山川を遡ります。谷沿いの道が狭くなると向坂への分岐があるので、ここに車をとめました。石の道標があります。歩いて向坂まで登り、人気のない人家の間の道を通って地形図の破線道を探しました。結局、日本盛の紙パックが大量にある人家の建物の間を抜けると、山に入る道が見つかりました。登って行くと、もっと太い道が東から来ていたので、別のルートがあるようです。この道は軽トラなら通れそうな道で、峠は切通になっていますが、その東側に墓地がありました。一番古い墓石は嘉永年間のものでした。向坂の住人の苗字は神原と決まっているようです。
峠から西に尾根を歩きましたが、林道があります。この道は徐々に細くなりますが、周囲が植林でなくなっても続きます。けっこう複雑な地形なので道があるのは助かります。向坂三角点は林道から外れたところにありますが、「点名向坂へ 2014.1.23」と書かれた札がありました。古びた札ですが、日付は一昨日です!新しげな石の三角点を見てから、さらに南に道を歩きました。まるでハイキングです。岡山県側には林道が来ています。兵庫県側にも分岐がありますが、真っ直ぐが正解です。そのうちに林道は兵庫県側の谷に降りて行ってしまうので県境を歩きました。道は細くなりますが、分かりやすい目印があります。
美作市・備前市・佐用町の接点には石積みがありました(写真)。昔はこの上にお地蔵さんが立てられていたのかも知れません。男滝に向かう西向きの尾根にも広い切り開きがありましたが、南向きの尾根も文句のつけようのない道です。ピークをいくつか通って、送電線の鉄塔に出ました。西播東岡山線49です。県境だからか関西電力と電源開発が共同で建てたらしく、プレートの色が関電の鉄塔とは違います。鉄塔の保守路は東西に尾根超えをしています。この先も遊歩道のような道が続きます。次の三国三角点は道の脇にあります。その先は真っ直ぐ歩くと道は西へ行きます。地形図のように男滝山まで続いているのかも知れません。東に折れるにはピンクテープのところから藪に入ります。藪と言ってもすぐに山道になります。ここまでよりは細い道ですが、登山道としては普通の道です。時々藪っぽくなりますが、道を見失うことはありません。406mピークは南側を巻いていってしまうのでピークまで行きましたが、藪で見るべきもはありません。406mピークの南の鞍部あたりから道が怪しくなります。ピンクテープが頼りなのですが、ときどき見失いました。次の奥山三角点の付近には共同アンテナの残骸がありました。その先の430m+ピーク付近では鋭角に曲がります。幅広い切り開きがあり、それが終わると下りになって東には養鶏場が見えます。地形図には東側に道が描いてありますが、西側には新しい林道が現れます。372mピークに登り、尾根を降りて行くと、いったん峠のような場所に出ます。西側の林道に行けますが、そのまま尾根を最後まで降りようとすると、笹薮になりました。田んぼだった場所らしく、沼があるのではまらないよう要注意です。最後は地形図の実線道に出ましたが、この道は養豚場の中を通る道です。しかし途中に「西 八塔寺」と書かれた標石があったので、昔の峠道なのだろうと思います。あとは、大日山川を下って車まで帰りました。
県境の尾根を歩きましたが、ほとんどはまともな道でした。部分的には防火帯と思われるほど広い切り開きもあります。後半を除いては、ハイキングコースとしても良さそうです。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「上月」です。
峠から西に尾根を歩きましたが、林道があります。この道は徐々に細くなりますが、周囲が植林でなくなっても続きます。けっこう複雑な地形なので道があるのは助かります。向坂三角点は林道から外れたところにありますが、「点名向坂へ 2014.1.23」と書かれた札がありました。古びた札ですが、日付は一昨日です!新しげな石の三角点を見てから、さらに南に道を歩きました。まるでハイキングです。岡山県側には林道が来ています。兵庫県側にも分岐がありますが、真っ直ぐが正解です。そのうちに林道は兵庫県側の谷に降りて行ってしまうので県境を歩きました。道は細くなりますが、分かりやすい目印があります。
美作市・備前市・佐用町の接点には石積みがありました(写真)。昔はこの上にお地蔵さんが立てられていたのかも知れません。男滝に向かう西向きの尾根にも広い切り開きがありましたが、南向きの尾根も文句のつけようのない道です。ピークをいくつか通って、送電線の鉄塔に出ました。西播東岡山線49です。県境だからか関西電力と電源開発が共同で建てたらしく、プレートの色が関電の鉄塔とは違います。鉄塔の保守路は東西に尾根超えをしています。この先も遊歩道のような道が続きます。次の三国三角点は道の脇にあります。その先は真っ直ぐ歩くと道は西へ行きます。地形図のように男滝山まで続いているのかも知れません。東に折れるにはピンクテープのところから藪に入ります。藪と言ってもすぐに山道になります。ここまでよりは細い道ですが、登山道としては普通の道です。時々藪っぽくなりますが、道を見失うことはありません。406mピークは南側を巻いていってしまうのでピークまで行きましたが、藪で見るべきもはありません。406mピークの南の鞍部あたりから道が怪しくなります。ピンクテープが頼りなのですが、ときどき見失いました。次の奥山三角点の付近には共同アンテナの残骸がありました。その先の430m+ピーク付近では鋭角に曲がります。幅広い切り開きがあり、それが終わると下りになって東には養鶏場が見えます。地形図には東側に道が描いてありますが、西側には新しい林道が現れます。372mピークに登り、尾根を降りて行くと、いったん峠のような場所に出ます。西側の林道に行けますが、そのまま尾根を最後まで降りようとすると、笹薮になりました。田んぼだった場所らしく、沼があるのではまらないよう要注意です。最後は地形図の実線道に出ましたが、この道は養豚場の中を通る道です。しかし途中に「西 八塔寺」と書かれた標石があったので、昔の峠道なのだろうと思います。あとは、大日山川を下って車まで帰りました。
県境の尾根を歩きましたが、ほとんどはまともな道でした。部分的には防火帯と思われるほど広い切り開きもあります。後半を除いては、ハイキングコースとしても良さそうです。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「上月」です。
2014年1月18日土曜日
上郡岩木川上流の滝の上三角点
タイトルはあまり正確な表現ではありませんが、上郡から岡山県の県境に近い山を歩きました。岩木川を遡って、大鳥圭介の生誕地である石戸に車を停めて、西に皆坂川を遡って歩きました。広い道ですがすぐに扉があります。それを過ぎると鉱山の遺物が残っています。大きな社宅の残骸をはじめとして、崩壊した家、まだ建っている家もあります。ここは近畿自然歩道で、皆坂の滝への分岐がありますが、まっすぐ歩きました。滝へのルートを解説した説明板が立っているのですが、よく地理が読み取れません。真っ直ぐ歩いて行くと、山の中腹に神社らしきものが見えたので、その付近で道から外れて登って行きました。放棄された段々畑を通ると、谷には橋がかかっており、ここも登山ルートだと分かりました。結局この神社は瀧神社で、その裏にある滝は小皆坂の滝となっていましたが、これが道標にある皆坂の滝と同じものなのか、いまだに判然としません。いずれにしても冬なので水がなく、滝は見られませんでした。灯籠は明治37年のもので、歴史が感じられます。
神社から北に降りると、皆坂の集落です。ここまでは電気も光ファイバーも来ています。ここは旭日甲と呼ばれた鉱山ですが、現在はほとんどの家は空き家のようでした。しかしそれでも人がいて、いきなり大音量で音楽が鳴ったりするので、足早に通り過ぎました。荒れ果てた人家を過ぎて、これも荒れた山道となりますが、NTTの電話線が張られています。皆坂のすぐ上の峠は竹の倒木で埋まっており、電話線も切れ切れです。ここを大きく迂回して進むと、また自然歩道らしい道になります。その先で地形図では東から来た破線道と合流しますが、ここには大きな建物があり、犬が何頭か吠えているのが聞こえました。ハンターの犬ではなく、ここの施設の犬らしいのですが、あまり出会いたくないタイプの吠え方だったので、ここも足早に通り過ぎました。あまり気持よく歩ける自然歩道ではありません。
この先はジグザグに登りますが、ここにも電柱があり、電線が峠を越えているようです。こちらは中才には降りずに峠から西に尾根を歩きました。すぐに墓地があり、文政、寛政など江戸時代後期の墓石がありました。この先は道がなくなりますが、落ち葉の上を割と気持よく歩けました。410m+ピークまで来るとネットがあり、これに沿って歩きましたが、そのまま歩いていると西に降りてしまので、途中から南に向かって登りました。尾根が広くて方向が分かりにくいのですが、ピーク付近には滝の上三等三角点(445.88m)がありました。近くに白黒に塗られたポールが立っていました。ここから南に降りるのですが、方向が分からず、まず東の尾根に、次に西の尾根に降りてしまいました。戻ってようやく南に落ち葉を踏んで歩くと、県境に出ました。この地点には、明治15年のお地蔵様が立てられています。備前国和気郡多麻村の方が作られたものですが、亡くなった子供のためのもののようでした。背景の石積みの中に生えている木も含めて、厳かな空間が作られています。その木には道標が打ち付けられていますが、字が消えて読めません。
とりあえず南に尾根を進みました。西側には林道が見えます。航空写真で見ても、この付近の岡山県側は林道が縦横に走り、大規模に伐採されています。しかし県境はどこなのか、よく分かりません。地形図で見ても、特徴のない斜面を降りているように見えます。藪の中を左右に探し、地形図で県境を破線道が横切っている鞍部を見つけました。ここから破線道を頼って東に降りましたが、道はありません。とはいえ幅の広い谷で水も少ないので、歩くのは難しくありません。少し降りた所で、流れに沿って谷を曲がったのですが、そのために南に行ってしまいました。これは八保の方の皆坂に行く谷で、こちらに行くと帰れないので戻りました。正しくは東方面に、流れを遡って、350m+の峠に行かねばなりません。この途中でも間違った谷に迷い込みました。この付近の地形は本当に複雑です。しかし谷の幅が広いので、割と楽に歩けます。峠には「あせびの丘」と書かれた木製の道標があります。どうやら私の通った谷ではなく、ここから北に行く道で先ほどのお地蔵様の所に出られるようです。東は石戸村方面となっており、これが私の下山路となります。しかし道標はこれだけで、あとは荒れた谷を降りることになりました。道はありません。落ち葉が積もっているとはいえ、下はガレ石ですので足が痛くなりました。しかも谷が狭くなると倒木が増えて流れに沿っては歩けなくなり、北側斜面を通りました。そして植林に出て、間伐材がそのままになっている斜面を降りると、今度は段々畑に出ました。石垣は立派ですが、これも長年放置されているらしく、草や木が生い茂り、足元はぬかるんでいます。なんとか畑を下り、まともな道に出てきたのは、地形図で小屋尾と書かれている付近でした。この谷は大鳥圭介が閑谷学校に行った時に通った道だそうですが、当時とは全く様子が変わっています。降りてきた地点は鉱山社宅跡の少し西、皆坂の滝への分岐でした。皆坂の滝が私の見た小皆坂の滝だとすると、ここから行くのは大変でしょう。なお、私の注意を引いたのはここに建てられている昭和13年の「国民精神総動員記念」という石碑でした。
何回も道に迷ったために4時間半もかかりました。展望は無く、坑道にも巡り合わなかったのですが、冬の山歩きは満喫出来ました。もう少し歩き易いと良いのですが。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「上月」です。
神社から北に降りると、皆坂の集落です。ここまでは電気も光ファイバーも来ています。ここは旭日甲と呼ばれた鉱山ですが、現在はほとんどの家は空き家のようでした。しかしそれでも人がいて、いきなり大音量で音楽が鳴ったりするので、足早に通り過ぎました。荒れ果てた人家を過ぎて、これも荒れた山道となりますが、NTTの電話線が張られています。皆坂のすぐ上の峠は竹の倒木で埋まっており、電話線も切れ切れです。ここを大きく迂回して進むと、また自然歩道らしい道になります。その先で地形図では東から来た破線道と合流しますが、ここには大きな建物があり、犬が何頭か吠えているのが聞こえました。ハンターの犬ではなく、ここの施設の犬らしいのですが、あまり出会いたくないタイプの吠え方だったので、ここも足早に通り過ぎました。あまり気持よく歩ける自然歩道ではありません。
この先はジグザグに登りますが、ここにも電柱があり、電線が峠を越えているようです。こちらは中才には降りずに峠から西に尾根を歩きました。すぐに墓地があり、文政、寛政など江戸時代後期の墓石がありました。この先は道がなくなりますが、落ち葉の上を割と気持よく歩けました。410m+ピークまで来るとネットがあり、これに沿って歩きましたが、そのまま歩いていると西に降りてしまので、途中から南に向かって登りました。尾根が広くて方向が分かりにくいのですが、ピーク付近には滝の上三等三角点(445.88m)がありました。近くに白黒に塗られたポールが立っていました。ここから南に降りるのですが、方向が分からず、まず東の尾根に、次に西の尾根に降りてしまいました。戻ってようやく南に落ち葉を踏んで歩くと、県境に出ました。この地点には、明治15年のお地蔵様が立てられています。備前国和気郡多麻村の方が作られたものですが、亡くなった子供のためのもののようでした。背景の石積みの中に生えている木も含めて、厳かな空間が作られています。その木には道標が打ち付けられていますが、字が消えて読めません。
とりあえず南に尾根を進みました。西側には林道が見えます。航空写真で見ても、この付近の岡山県側は林道が縦横に走り、大規模に伐採されています。しかし県境はどこなのか、よく分かりません。地形図で見ても、特徴のない斜面を降りているように見えます。藪の中を左右に探し、地形図で県境を破線道が横切っている鞍部を見つけました。ここから破線道を頼って東に降りましたが、道はありません。とはいえ幅の広い谷で水も少ないので、歩くのは難しくありません。少し降りた所で、流れに沿って谷を曲がったのですが、そのために南に行ってしまいました。これは八保の方の皆坂に行く谷で、こちらに行くと帰れないので戻りました。正しくは東方面に、流れを遡って、350m+の峠に行かねばなりません。この途中でも間違った谷に迷い込みました。この付近の地形は本当に複雑です。しかし谷の幅が広いので、割と楽に歩けます。峠には「あせびの丘」と書かれた木製の道標があります。どうやら私の通った谷ではなく、ここから北に行く道で先ほどのお地蔵様の所に出られるようです。東は石戸村方面となっており、これが私の下山路となります。しかし道標はこれだけで、あとは荒れた谷を降りることになりました。道はありません。落ち葉が積もっているとはいえ、下はガレ石ですので足が痛くなりました。しかも谷が狭くなると倒木が増えて流れに沿っては歩けなくなり、北側斜面を通りました。そして植林に出て、間伐材がそのままになっている斜面を降りると、今度は段々畑に出ました。石垣は立派ですが、これも長年放置されているらしく、草や木が生い茂り、足元はぬかるんでいます。なんとか畑を下り、まともな道に出てきたのは、地形図で小屋尾と書かれている付近でした。この谷は大鳥圭介が閑谷学校に行った時に通った道だそうですが、当時とは全く様子が変わっています。降りてきた地点は鉱山社宅跡の少し西、皆坂の滝への分岐でした。皆坂の滝が私の見た小皆坂の滝だとすると、ここから行くのは大変でしょう。なお、私の注意を引いたのはここに建てられている昭和13年の「国民精神総動員記念」という石碑でした。
何回も道に迷ったために4時間半もかかりました。展望は無く、坑道にも巡り合わなかったのですが、冬の山歩きは満喫出来ました。もう少し歩き易いと良いのですが。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「上月」です。
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