千種の上谷山は、地形図に名前が書いてあるので、なんとなく馴染みがありますが、あまり高くもないので特に登る理由もない山です。しかし、山頂に陸軍施設の跡があることを知って、登ってみることにしました。
登り口は国道429号線に千種町千草の案内マップのある場所で、行者像を見て曲がって畑の中を登っていきます。途中で道がススキだらけでよく分からなくなったのですが、携帯のアンテナの上の方に出てくれば正解です。ここまでの間に、植松山、笛石山、後山、日名倉山などの山々を雄姿を望むことができます。しかし、下がっている板に谷への道には鍵を掛けてあると書いてあって、ちょっと焦りました。しかしとりあえず行ってみると、害獣避けの扉は4箇所を針金で留めてあって、「下の方をしっかり止めて下さい」と書いてありますが、通れました。このような金網の扉の場合、山に入った後には、金網の間から手を突っ込んで反対側で針金を縛らねばなりません。手は通るのですが、下の方は更に細か金網になっているので楽ではありません。地元の方は山に入る時も出る時もこの扉を通るので、扉の外側でしっかり針金をを縛ればよいのですが、山の反対側に降りる人たちは少し苦労を強いられます。大した問題ではありませんが。
この先は暗い倒木の多い植林で、シダも多いので歩き辛い場所です。「千草部落特別貸付地」という木の杭の所を真っ直ぐに歩いて谷を極めようとしたのですが、がれ石が多くて結局右手の尾根に曲がることにしました。倒木とシダが嫌いなら最初から尾根に上がるほうが正解です。尾根はきれいな植林でしたが、その下は段々になっており、昔は耕地だったと思われます。全体に不自然な地形で、ここもかんな流しの跡かも知れません。植林を登ると徐々に平らになってきますが、倒木の多い雑木林で、平らだからといって楽々歩けるわけではありません。倒木を跨いで北に歩くと、山頂に出ました。登りはじめて約1時間でした。上谷三等三角点(617.80m)と、コンクリートの建物の土台があります(写真)。周囲にはコンクリートのブロックと大きな自然石が転がっており、どんな建物だったのか想像できません。
下山は特に道があるわけではありませんが、とにかく平らな場所を南に歩きました。南端から下を見ると倒木の多い斜面の下がススキの原っぱとなっており、ここはやめにして東に曲がりました。こちら側も倒木の多い急斜面ですが、木や倒木で体を支えつつ降りられました。この付近もかんな流しの跡かも知れません。降りると舗装された林道があります。舗装道路を南に歩き、三差路では舗装された東向きに曲がって、南に歩きました。舗装道路はさらに東に曲がりますが、ここは地形図の破線道で南に歩きました。この破線道はススキに覆い隠された踏み跡で、見落としがちです。小さな尾根の先を回っているのですが、地形図からは分かりませんが、南側は谷です。崩落しかかった場所もありますが、ぐるっと尾根先を回ると林道になりました。そのまま林道で南に降りました。
県道154号線に出て、途中で黒土の滝を見ました。近くまで寄れるので、水量が多いと迫力があります。県道の少し西側に車寄せがあり、そこに黒瀧大神の赤い鳥居があって、古い道が滝へ降りていま。こちらは「キケン]と書いてあるので見に行くと、川を渡る丸木橋が腐っていました。水量が少なければ川を渡ればよいのですが、岩が滑りやすいのでやっぱり避けたほうがよいでしょう。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。
2017年8月23日水曜日
宍粟市波賀の不動口三角点と野尻三角点
宍粟市波賀町原には有名な原不動滝がありますが、この南の山を登ってみました。出発点は引原川沿いの、国道29号線が川の西側を走っている場所です。この南には西向きに谷があるのですが、29号線からは木が邪魔でよく見えません。しかし、ここには谷に入る林道があります。林道で谷の奥へ行くのではなく、すぐに作業道を見つけて北側の植林の斜面を登り始めました。この斜面はシダが茂った急斜面で、伐採木が転がっているために非常に歩きづらくなっています。しかたなく少し北側に斜面を横切ると、木が増えて少しシダが減りました。ここも急斜面ですが、頑張って登ると尾根に上がれました。
尾根には踏み跡があるので、急勾配ですがとりあえず歩くのには不都合はなく、登り続けました。ただ、ヤマビルに血を吸われました。少しシダが増えてきたと思ったら林道に出ました。この支尾根を横切っていますが、南から作られてきて、北に向かってまだ工事中でした。削ったばかりの法面は登りようがないので、少し北に行って林道が途切れている所から急斜面を登りました。ここもシダと倒木の急斜面ですが、頑張って登ると天国のような植林となりました。勾配も徐々に楽になってきました。共同アンテナの残骸があって、不動口四等三角点(736.10m)がありました。周囲はアセビの藪です。この先は最初の急斜面を思うと天国のようです。次の767mピークまでの間にはアンテナが撤去された跡と、数本が林立する共同アンテナ(パラボラアンテナを含む)がありました。767mピークの先は少し登って標高800m付近からは広い尾根で、木の間隔が広く開放感に溢れています。気分良くゆったり登って行きますが、最後は急登して藪の903mピークに出ました。ここからは南に歩きましたが、988mピークまで藪の細尾根が続きました。
988mピークからは東の尾根に降りなければならないのですが、尾根上からは見渡すことができません。GPSを頼りに東に降りましたが、尾根の側面は非常に急峻で、木に掴まらないと降りられません。必然的に藪を選んで降りることになりました。なんとか木を渡り歩いて尾根に達しても、この尾根が酷い藪でした。細い尾根なのですが時々尾根上に大きな岩があります。巻道らしきものがあるのですが、急斜面を横切るので滑りそうでした。岩があるので上に立てば展望がありますが、もう一度歩きたい尾根ではありません。それでも標高870m付近には宍粟市の地籍図根三角点がありました。その付近からは徐々に楽になり、そのうちに極楽の植林になりました。こちらの尾根も広々していて開放感があります。ただし野尻三等三角点(754.00m)はアセビの茂る岩場にありました。このあと、共同アンテナを過ぎて、徐々に藪っぽくなってきたので下山を考えていると、北側下方に林道が見えました。尾根からはかなり遠かったのですが、標高差100m程をシダの生えた植林を降りました。しかし林道の上に出ても、林道の法面はしっかり作られており、降りようがありません。少し西に歩いて、法面の高さが少し減った付近で思い切って法面を滑り降りました。この法面は垂直に近いのですが、草が生えています。運良く途中に石などがなかったので、草の上を滑って林道に降りられました。しかし、途中に岩が隠れていたりしたら怪我すること間違いありません。しっかり作られた林道ほど厄介なものはありません。
この林道は「森林管理道 前地・カンカケ線」だそうです。斉木の前地から大甲山の周囲をぐるっと廻って、おそらく今降りてきた尾根も尾根先で廻って、登る途中で出会った林道へ繋がり、完成すれば八丈川沿いの原不動滝の方に達するものと思われます。ただし林道は谷の奥へも向かっているので、この先どうなるのか、よく分かりません。ここからは林道で谷を下りましたが、途中の林道名は「ウツノミ線」でした。
標高差650mのコースなので、暑さもあって疲れました。山の上では涼しい風も吹きますが、藪の急斜面では長袖と軍手は必須なので、体力を消耗します。もっと涼しい季節に歩くべきでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」です。
尾根には踏み跡があるので、急勾配ですがとりあえず歩くのには不都合はなく、登り続けました。ただ、ヤマビルに血を吸われました。少しシダが増えてきたと思ったら林道に出ました。この支尾根を横切っていますが、南から作られてきて、北に向かってまだ工事中でした。削ったばかりの法面は登りようがないので、少し北に行って林道が途切れている所から急斜面を登りました。ここもシダと倒木の急斜面ですが、頑張って登ると天国のような植林となりました。勾配も徐々に楽になってきました。共同アンテナの残骸があって、不動口四等三角点(736.10m)がありました。周囲はアセビの藪です。この先は最初の急斜面を思うと天国のようです。次の767mピークまでの間にはアンテナが撤去された跡と、数本が林立する共同アンテナ(パラボラアンテナを含む)がありました。767mピークの先は少し登って標高800m付近からは広い尾根で、木の間隔が広く開放感に溢れています。気分良くゆったり登って行きますが、最後は急登して藪の903mピークに出ました。ここからは南に歩きましたが、988mピークまで藪の細尾根が続きました。
988mピークからは東の尾根に降りなければならないのですが、尾根上からは見渡すことができません。GPSを頼りに東に降りましたが、尾根の側面は非常に急峻で、木に掴まらないと降りられません。必然的に藪を選んで降りることになりました。なんとか木を渡り歩いて尾根に達しても、この尾根が酷い藪でした。細い尾根なのですが時々尾根上に大きな岩があります。巻道らしきものがあるのですが、急斜面を横切るので滑りそうでした。岩があるので上に立てば展望がありますが、もう一度歩きたい尾根ではありません。それでも標高870m付近には宍粟市の地籍図根三角点がありました。その付近からは徐々に楽になり、そのうちに極楽の植林になりました。こちらの尾根も広々していて開放感があります。ただし野尻三等三角点(754.00m)はアセビの茂る岩場にありました。このあと、共同アンテナを過ぎて、徐々に藪っぽくなってきたので下山を考えていると、北側下方に林道が見えました。尾根からはかなり遠かったのですが、標高差100m程をシダの生えた植林を降りました。しかし林道の上に出ても、林道の法面はしっかり作られており、降りようがありません。少し西に歩いて、法面の高さが少し減った付近で思い切って法面を滑り降りました。この法面は垂直に近いのですが、草が生えています。運良く途中に石などがなかったので、草の上を滑って林道に降りられました。しかし、途中に岩が隠れていたりしたら怪我すること間違いありません。しっかり作られた林道ほど厄介なものはありません。
この林道は「森林管理道 前地・カンカケ線」だそうです。斉木の前地から大甲山の周囲をぐるっと廻って、おそらく今降りてきた尾根も尾根先で廻って、登る途中で出会った林道へ繋がり、完成すれば八丈川沿いの原不動滝の方に達するものと思われます。ただし林道は谷の奥へも向かっているので、この先どうなるのか、よく分かりません。ここからは林道で谷を下りましたが、途中の林道名は「ウツノミ線」でした。
標高差650mのコースなので、暑さもあって疲れました。山の上では涼しい風も吹きますが、藪の急斜面では長袖と軍手は必須なので、体力を消耗します。もっと涼しい季節に歩くべきでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」です。
2017年8月20日日曜日
波賀町の流田三角点
播磨は古来より鉄の産地で、江戸時代中期以降はかんな(鉄穴)流しという方法で砂鉄を採取したことで知られています。この方法は山の斜面の土を削って水とともに流して重さの違いで土と砂鉄を分けるのだそうで、行われた後には削られた山と泥の堆積地が残ります。その典型的な地形として知られるのが、波賀町上野付近の齋木、皆木、飯見付近です。この付近は何度か歩いて不思議な地形を見てきましたが、今回は斉木川南側の山でかんな流しの跡を見ようと思いました。
歩き始めたのは波賀町流田付近で、斉木川を渡る橋が掛かっています。橋を南に渡ると案内マップがありますが、川の南側については深山と蔦沢越しの深山登山口が書いてあります。とりあえずはこの付近から山に入ることにしました。道を少し南に歩いて、墓所の脇から山に上ると、金網がありました。金網の向こう側は明らかにかんな流しの跡ですが、入り口がありません。金網に沿ってずっと東に歩くと、「入口出口]と書かれた扉がありました。この扉は壊れて鍵がかからないので、開かないようにトタン板で抑えてあります。ちょっと苦労して板を動かし、扉に隙間を作って山林に入りました。この付近は典型的なかんな流しの跡で、広い谷の間に筋状または孤立した小山が残っています。地面は土石流の跡に枝打ちした枝が落ちている程度で歩きやすいのですが、場所によってはシダが茂っています。なるべくシダを避けて登っていきました。主に削り残した場所の上を歩きましたが、なぜその場所が残されのか、今となっては理由は分かりません。「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」というほどのものではなく、大きな岩でも埋まっているのかも知れません。かんな流しには水流が必要ですが、この付近には水はまったくなく、近くの川まで土を運ぶしかなかっただろうと思います。
なだらかな斜面を470m地点付近まで登りましたが、この付近もかんな流しの跡です。その後もかんな流しの跡を見ながら登り続けると、標高600mを過ぎて東側が伐採地となります。この付近まではかんな流し形跡があります。この伐採地は下からもよく見えます、ということは長めは抜群で、東山、一山、阿舎利山と並ぶ山々、上野の町と城跡、それにかんな流しでできた、なだらかな斜面の上に急な山がそびえる地形がよくわかります(写真)。伐採地の脇の植林を登り、アシビが茂る藪を通って登っていくと、流田四等三角点(731.06m)に出ました。周囲はシダ藪です。ここからはシダ藪をかき分けて歩いて西の尾根に進み、南に尾根をアップダウンし、728m鞍部に降りると、西側は林道がUターンしていました。東側は伐採地です。ここから840m+ピークまではシダの中を登りました。植林で日差しはないのですが、足元が見えず間伐材もあるので疲れました。
840m+ピークには何もありませんが一休みして、下山を考えました。東側は伐採地で伐採に使った道があるのですが、草が茂っている上に木がないので日差しが強くて歩く気にはなりません。結局尾根を東に歩いて地形図の破線道を辿ろうとしました。しかし尾根に道はなく、しかもシダの密度がどんどん上がっていきます。尾根先から南東に降りる所は倒木を覆い隠すようにシダが茂っており、楽な方向に歩いて行くと、北東の植林に向かうことになりました。ひどく急勾配でもないのでこちらで下山することにしましたが、木に掴まらなくても降りられる程度の勾配とは言え、倒木をシダが覆い隠している状況は変わらず、何回か足を滑らせながら植林の中を下山しました。降り立った谷も荒れていましたが、問題なく林道に出ることができました。林道を歩いて、出発点まで戻りましたが、この道には電柱があり、「御空」「ゴソロ」と書いた札が貼ってあります。ゴソロ山というのはこの東にある通信塔のある山で、2011/08/20に登りましたが、この漢字名は意外でした。そのゴソロ山への分岐点には、石の道標があります。字はほとんど読めませんが、「右」が左側に書いてあるようなのが不思議ですが、「左つた」と読めそうなので、「左]が実は「右」で「右つたさわ」かも知れません。蔦沢というのは山崎町の伊沢川沿いの地名で、今でも山崎蔦沢郵便局があります。
かんな流しの跡を見ながら森林浴を楽しめました。この付近では陽の当たらない植林にもシダが茂っているのが特徴的です。840m+ピークから蔦沢越しへは、2010/09/04に歩いていますが、やはりシダ藪だったようです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。
歩き始めたのは波賀町流田付近で、斉木川を渡る橋が掛かっています。橋を南に渡ると案内マップがありますが、川の南側については深山と蔦沢越しの深山登山口が書いてあります。とりあえずはこの付近から山に入ることにしました。道を少し南に歩いて、墓所の脇から山に上ると、金網がありました。金網の向こう側は明らかにかんな流しの跡ですが、入り口がありません。金網に沿ってずっと東に歩くと、「入口出口]と書かれた扉がありました。この扉は壊れて鍵がかからないので、開かないようにトタン板で抑えてあります。ちょっと苦労して板を動かし、扉に隙間を作って山林に入りました。この付近は典型的なかんな流しの跡で、広い谷の間に筋状または孤立した小山が残っています。地面は土石流の跡に枝打ちした枝が落ちている程度で歩きやすいのですが、場所によってはシダが茂っています。なるべくシダを避けて登っていきました。主に削り残した場所の上を歩きましたが、なぜその場所が残されのか、今となっては理由は分かりません。「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」というほどのものではなく、大きな岩でも埋まっているのかも知れません。かんな流しには水流が必要ですが、この付近には水はまったくなく、近くの川まで土を運ぶしかなかっただろうと思います。
なだらかな斜面を470m地点付近まで登りましたが、この付近もかんな流しの跡です。その後もかんな流しの跡を見ながら登り続けると、標高600mを過ぎて東側が伐採地となります。この付近まではかんな流し形跡があります。この伐採地は下からもよく見えます、ということは長めは抜群で、東山、一山、阿舎利山と並ぶ山々、上野の町と城跡、それにかんな流しでできた、なだらかな斜面の上に急な山がそびえる地形がよくわかります(写真)。伐採地の脇の植林を登り、アシビが茂る藪を通って登っていくと、流田四等三角点(731.06m)に出ました。周囲はシダ藪です。ここからはシダ藪をかき分けて歩いて西の尾根に進み、南に尾根をアップダウンし、728m鞍部に降りると、西側は林道がUターンしていました。東側は伐採地です。ここから840m+ピークまではシダの中を登りました。植林で日差しはないのですが、足元が見えず間伐材もあるので疲れました。
840m+ピークには何もありませんが一休みして、下山を考えました。東側は伐採地で伐採に使った道があるのですが、草が茂っている上に木がないので日差しが強くて歩く気にはなりません。結局尾根を東に歩いて地形図の破線道を辿ろうとしました。しかし尾根に道はなく、しかもシダの密度がどんどん上がっていきます。尾根先から南東に降りる所は倒木を覆い隠すようにシダが茂っており、楽な方向に歩いて行くと、北東の植林に向かうことになりました。ひどく急勾配でもないのでこちらで下山することにしましたが、木に掴まらなくても降りられる程度の勾配とは言え、倒木をシダが覆い隠している状況は変わらず、何回か足を滑らせながら植林の中を下山しました。降り立った谷も荒れていましたが、問題なく林道に出ることができました。林道を歩いて、出発点まで戻りましたが、この道には電柱があり、「御空」「ゴソロ」と書いた札が貼ってあります。ゴソロ山というのはこの東にある通信塔のある山で、2011/08/20に登りましたが、この漢字名は意外でした。そのゴソロ山への分岐点には、石の道標があります。字はほとんど読めませんが、「右」が左側に書いてあるようなのが不思議ですが、「左つた」と読めそうなので、「左]が実は「右」で「右つたさわ」かも知れません。蔦沢というのは山崎町の伊沢川沿いの地名で、今でも山崎蔦沢郵便局があります。
かんな流しの跡を見ながら森林浴を楽しめました。この付近では陽の当たらない植林にもシダが茂っているのが特徴的です。840m+ピークから蔦沢越しへは、2010/09/04に歩いていますが、やはりシダ藪だったようです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。
2017年8月19日土曜日
美作の袴ヶ仙
無料の鳥取自動車道のおかげで姫路から岡山県北部・鳥取県にかけての山に行きやすくなりました。この袴ヶ仙もそのひとつです。鳥取自動車道の大原で降りて、北に走り筏津から知社へ入ると大規模林道粟倉木屋原線となります。快適な道で木地山峠を越えて、宮ノ上に入りました。この林道がないと、南から大回りしなければならないので、林道さまさまです。宮ノ上の入り口に案内板があり、集落の中を通って来て北に向かうと登山口があります。そこから西は林道なのですが、水流で削られたと思われる溝があり、小石も多くて運転が困難なので、植林に入ってすぐに車を停めて歩きはじめました。
最近整備されたと思われる赤い矢印があって、それに従うと林道を歩いて西の谷に入っていきます。谷の奥まで来ると「駐車場」という杭がありますが、マウンテンバイクの駐車場と思ったほうがよいでしょう。ここからはさらに谷を遡る細い道を歩きますが、途中でアシビがせり出してきて道が見えにくい以外はまったく問題なく、谷の奥で「ちょっとひとやすみ」と書いてある板まで来ると、植林の斜面をジグザグに登るようになります。炭焼き窯の残骸を過ぎると「オオカミ岩」という矢印がありますが、どの岩がオオカミ岩なのか分からず通り過ぎました。たしかに大きな岩が数個あります。そして尾根に出ると周囲は植林で良い感じです。袴ヶ仙へ向かって歩きますが、上に大きな岩の塊が見えてきた付近で矢印は斜面を西に横切るように指示してあります。それに従って西へ歩くと、斜面の道が流されていて所々怪しいのですが、とにかく南から来る尾根に上がれました。案内図によると迂回した岩が「小深山 岩カイ流」だったのかも知れないのですが、よく分かりません。登山ルートがなければまっすぐ登ったのにと思ったのですが、南からの尾根は勾配が少なく登りやすいのは確かです。しかも巨岩があって「塩した神社」という小さな祠があります。三角形の巨岩がありますが、濃い茶色をした不思議な石です。そして急斜面を登ると平坦地ですが、ここは山頂ではなく、さらに北にシダを抜けて歩いた先が池ノ尻三等三角点(930.41m)のある山頂です(写真)。木に隠れながらですが西、北、東に展望があります。西には那岐山が正面ですし、東は日名倉山が目立ちます。写真の背景は後山でしょうか。
下山は山頂から北に降りて東に尾根を下りました。まず山頂近くで急斜面を降りる必要がありますが、ここはシダが茂っており足元が見えません。倒木も隠れているので慎重に降りましたが、できれば避けたい場所でした。ここを過ぎるとあとは植林なので全く問題なく下山できました。谷にも道が見えますが、無理して谷に降りる必要はありません。640m地点付近は自然林ですが、その下は植林で、間伐が行われたようで広々としています。間伐の際の作業道を降りていくと、最初の林道に出ました。
登りは80分、下りは40分という短時間の登山でした。それでも900m超に登れるのですから、お得な登山コースでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
最近整備されたと思われる赤い矢印があって、それに従うと林道を歩いて西の谷に入っていきます。谷の奥まで来ると「駐車場」という杭がありますが、マウンテンバイクの駐車場と思ったほうがよいでしょう。ここからはさらに谷を遡る細い道を歩きますが、途中でアシビがせり出してきて道が見えにくい以外はまったく問題なく、谷の奥で「ちょっとひとやすみ」と書いてある板まで来ると、植林の斜面をジグザグに登るようになります。炭焼き窯の残骸を過ぎると「オオカミ岩」という矢印がありますが、どの岩がオオカミ岩なのか分からず通り過ぎました。たしかに大きな岩が数個あります。そして尾根に出ると周囲は植林で良い感じです。袴ヶ仙へ向かって歩きますが、上に大きな岩の塊が見えてきた付近で矢印は斜面を西に横切るように指示してあります。それに従って西へ歩くと、斜面の道が流されていて所々怪しいのですが、とにかく南から来る尾根に上がれました。案内図によると迂回した岩が「小深山 岩カイ流」だったのかも知れないのですが、よく分かりません。登山ルートがなければまっすぐ登ったのにと思ったのですが、南からの尾根は勾配が少なく登りやすいのは確かです。しかも巨岩があって「塩した神社」という小さな祠があります。三角形の巨岩がありますが、濃い茶色をした不思議な石です。そして急斜面を登ると平坦地ですが、ここは山頂ではなく、さらに北にシダを抜けて歩いた先が池ノ尻三等三角点(930.41m)のある山頂です(写真)。木に隠れながらですが西、北、東に展望があります。西には那岐山が正面ですし、東は日名倉山が目立ちます。写真の背景は後山でしょうか。
下山は山頂から北に降りて東に尾根を下りました。まず山頂近くで急斜面を降りる必要がありますが、ここはシダが茂っており足元が見えません。倒木も隠れているので慎重に降りましたが、できれば避けたい場所でした。ここを過ぎるとあとは植林なので全く問題なく下山できました。谷にも道が見えますが、無理して谷に降りる必要はありません。640m地点付近は自然林ですが、その下は植林で、間伐が行われたようで広々としています。間伐の際の作業道を降りていくと、最初の林道に出ました。
登りは80分、下りは40分という短時間の登山でした。それでも900m超に登れるのですから、お得な登山コースでしょう。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
2017年8月17日木曜日
南丹市八木の八木城と鉱山跡
厳密に言えば亀山市との境にありますが、八木の側から登ったので八木の八木城としておきます。地形図では単に城山と書かれています。戦国時代に内藤如安というキリシタン大名がいたことで有名な山城です。登山道は東の八木町八木の春日神社からが近そうですが、地形図には北の八木町柴山からの道が描いてあるのでこれを登ってみました。
車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。
地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。
この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。
ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。
頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。
ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。
北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。
城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。
ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。
車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。
地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。
この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。
ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。
頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。
ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。
北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。
城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。
ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。
登録:
投稿 (Atom)









