2025年2月16日日曜日

赤磐市の金子山


この金子山は赤磐市と和気市の境にありますが、赤磐市側から登りました。熊山英国庭園の北側にある赤尾山はグーグルの地図では城趾となっています。西側の太陽光発電施設から北の鞍部に道がありますが、そこから南に登ろうと思うと、墓地があってその南は竹藪で踏み入れるのは大変そうでした。諦めて北側の墓地を抜け、尾根沿いに北に歩きました。この付近も赤尾山廃寺ということになっていますが、特に遺構はありません。しかし昔お寺があったとして不思議ではないような平らな場所でした。灌木の藪ですが楽に抜けられて、北に歩くと地形図にもある道が西側から上がってきて、そのまま溜池まで続いていました。溜池からは藪を横切って184m地点を目指しました。この付近の藪もたいしたことはなく、木がまばらなので楽に登れました。184m地点付近も平坦です。少し登ると岩が増えてきて、西側から谷が上がってきている付近はやや凸凹が多く、人の手が入っている感じでした。その先も楽な登りで、気がつくと市境の稜線に出ていました。カラフルな荷造り紐のマーキングがあり、道もはっきりしています。西に歩いて加三方三等三角点(299.79m)のある金子山に着きました。展望はありませんが、気持ちの良い自然林の中です。登り始めて1時間もかかっていません。


金子山から東に稜線を戻り、そのまま市境を歩きました。派手なマーキングが続き、荷造り紐を横に張っている所もあって松茸山のような雰囲気です。220m+ピークの手前では地形図にあるように道が横切っており、道を東に歩きました。この道はしっかりしたもので、例によって荷造り紐が張ってあります。しかし少し荒れている感じがして、大きなシダの塊もありました。花折三角点の西で派手なマーキングは北に曲がっており、東には行けないようになっていました。何かのハイキングコースだったのでしょうか?稜線の道は続いていますが、花折四等三角点(187.52m)は道からは見えないところにありました。やや藪っぽい道を南東に降りていくと、地形図で実線道が始まる付近には廃墟となった人家がありました。別荘のようなものだったかも知れませんが、廃車が数台あり、衣服やポリタンクが散乱していました。この下には人家があり、そこから南の墓地を通ってさらに稜線を歩きました。ここにも道がありますが、消えかかっています。しかし歩くのには障害物はなく、気持ちよく林を抜けて南に歩くと、給水タンクがありました。ここがグリーンタウン殿谷の一番上です。別荘地ですがあまり売れていなくて、太陽光発電施設が作られていました。いろいろな作りの家があって、それを見ながら下山しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「万富」です。



2025年2月14日金曜日

曽我井城跡から新宮三角点

 


たつの市新宮町から揖保川を渡ったところに東山公園という紅葉の名所があります。この付近の山を歩きました。地形図では志んぐ荘の前から南の山に登るジグザグの道がありますが、小川を渡る方法がありませんし、遠目にも道が確認できません。そこで案内板に従って谷の奥へ歩くことにしました。案内板では、大山桜を目指すと曽我井へ抜けられます。歩いていくとまず左手に不動の滝らしい滝があり、それから水のあまりない洪水調整池があり、ベンチがあって吉島古墳の方向が見えました。この付近が曽我井に通じる峠で、まずここから西の尾根を歩きました。最初は気持ちの良い自然林ですが、徐々にシダが増えてきます。所によっては腰くらいの高さがあり、踏み跡も不明瞭ですが、南向きにベンチのある岩場があり、姫新線の列車が走っているのが見えました(写真)。さらに180mピークまで行くとシダの間に曽我井城([1])と書かれた杭がありました。


180mピークからシダ藪を引き返し、曽我井への峠まで戻りました。ここには北側斜面に登る階段があります。低い扉に鍵が掛かっているので乗り越えて植林の尾根に上がりました。ここからちょっと急斜面を登りました。たまにシダが生えていますが、障害物はありません。北に歩くと尾根は東に曲がり、224mピークにはネットが張られていました。眼の前に東側の280m+の鋭いピークが目立ちます。ここは方向を間違えずに北に降りて、その先の200m+の鞍部は地形図通りに東から道があり、西にも繋がっているかも知れません。ここから再び登りとなり、標高290m付近まで来ると広い平らな場所で方向がわからなくなりました。新宮三角点を目指していたのでGPSを見て西に方向を定めて歩きました。ここもたまにシダが生えていますが、巻いて進めることも多く、あまり障害にはなりません。少し斜面を登ると見晴らしの良い270m+ピークに出ました。木が邪魔ですが、西の方向がよく見えます。ここから南への下りは南斜面なのでシダが元気で、踏み跡も見つからず、腰くらいの高さのシダの間を降りました。170m+の鞍部付近はシダがなく、西には道があったかも知れません。ここから西の尾根もシダが生えていますが、それを踏破すると新宮四等三角点(185.28m)に着きました。近くに二八と掘られた標石があって、そちらが目立っています。ここも木が邪魔ですが展望があります。


新宮三角点は地形図で見ると急勾配の斜面で囲まれています。しかし南には保安林の標識があり、植林されていました。どの木もまったく育っていないのですが、そちらへ降りていくとシダ藪になりました。低いシダなので斜面を下れましたが、そのうちに岩が増えてきて、崩落しないようにワイヤで固定してあります。岩場は降りられないので東寄りに岩を避けてワイヤの上を歩いて降りていきました。少し降りるとシダ藪になりましたが、この付近はあまり急斜面ではないのでさらに東寄りに降りて、東山公園に出ました。この下山は安全とは言えません。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「龍野」です。



2025年2月1日土曜日

日生町寺山の大池

 


兵庫県と岡山県の県境に帆坂峠があります。ここは山陽自動車道と県道96号線が通っています。高速のガードをくぐって対向車に気をつけながら少し走ると、寺山大池にでます。この土手に車をとめました。土手には「寺山大池を讃える詩」が立っています(写真)。昭和30年に改修された時に立てられたものです。この溜池の水は三石方面に流れて行っています。特にどの山に登るか決めていなかったので、まず地形図の破線道を南に歩いてみました。するとすぐに民家の廃墟が二軒ありました。地形図にありますし大池の反対側からも見えますが、付近に耕作地がないのでなぜここに住んでいたのか不思議です。住人はあまり物を持たずに去ったらしく、家の中は荒れており、古い家財道具が散乱していました。スーパーファミコンとプレイステーションがあったので、30年近く前の状態でしょうか。


民家の南ははっきりした道がありませんが、谷の方に入っていくと踏み跡がありました。シダが茂っており、ときどき踏み跡は怪しくなります。場所によっては谷の中央しか歩けなくなるので、水量が多いときにはたいへんでしょう。シダや灌木の枝が邪魔でも踏み跡は続いており、シダのない沼っぽい場所の先には地形図にある小さな池がありました。溜池ではないようです。これを通り過ぎると、地形図通りに林道に出ました。ここを西に行くと蕃山まで5キロ以上に渡る大谷川沿いの長い谷があるのですが、そちらには行かず大池の南の山に登る道を歩きました。真砂土っぽい色の道を登って270m+の山頂に上ってみましたが、2023年に来た人のテープがあるだけです。しかし木の向こうに寺山の集落が見えるので、溜池ができた頃には展望地だったかも知れません。さらに道を歩いて次の210m+のピークに行きましたが、ここも木が邪魔ですが展望地でした。このあと谷を渡って東に行く道は現在の地形図では途中で終わっていましたが、実際には寒河に抜ける寺山林道までつながっており、大池の周回道路となっていました。


ここまで藪はありましたが山に登ったという実感がなかったので、南の寺山三角点に登ってみようと思いました。林道から入りやすそうな場所を探してシダ藪に入り、斜面を登りました。たまにシダのない場所もありましたが、ずっとシダの草原が続きました。シダの背がどんどん高くなっていき、足元は全く見えず、前も見えない状態になりました。マーキングは皆無です。踏み跡が現れることを期待して1時間近く頑張りましたが、標高250mまで登ってリタイアしました。下山は登ってきたルートを戻ろうとしましたが、どこを登っていたか判らず、結局楽に下りられる方向に行き、東の谷を降りました。谷も巨大なシダが繁っている所がありますが、少し降りるとシダの生えていない場所がでてきて、枝を避けながら降りました。林道に戻ってからは、寺山大池を回って土手に戻りました。この付近のシダ藪は突破不能です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。