この城趾は丹波篠山の南の、真南条中にあります。[1]を見て、旧神社参道で登りました。植林の間に立派な石垣がありますが、道は谷筋を真っ直ぐに城趾には行かずに西に曲がってしまい、害獣避けの扉に突き当たりました。このルートは間違いで、城趾を見るなら稲荷神社の方から登るべきでした。かなり西寄りなのでフェンスに沿って東に歩きました。城趾はフェンスの北側なので扉を探しましたが、結局鞍部を通り過ぎて下り始める付近で見つけました。城趾は確かに不思議な地形で、起伏が激しく全てが空堀でしょうか?真ん中に低い平地がありますが、ここに家を建てたら雨の時に困りそうです。一番高いところには水道施設があり、真南条中四等三角点(298.04m)があります。この地形は城趾というよりも鉄穴流しの跡のように見えますが、篠山で鉄穴流しというのは聞いたことがありません。
館山城跡を見終わって、登山開始です。フェンスの扉を抜けて南の植林の斜面を登りました。地形図から予想したよりも急な斜面で、楽そうな所を探して登りました。標高380m+付近で一息ついて、あとは尾根登りです。415mの手前には大きな岩があり、巻いて登りました。この先は登りになりますが、道があります。標高450mを過ぎると道は東に行ってしまうので、真っ直ぐに登りました。この先にも大岩があり、巻いて登ってようやく620m+のピークに着きました。意外と疲れる山登りでした。
620m+ピークから西に少し歩くと播磨中央線一ニ九鉄塔がありました。この稜線は巡視路です。その西はややこしい地形で、巡視路もどこを通っているのかわからす、633mピークの西を降りました。降りたところに道標があり、南は母子・太コブケ岳、北は中谷川・大歳神社、西は内ケ倉だと思うのですが、90度違っているかも知れません。とにかく尾根を歩きました。128鉄塔への分岐を過ぎて、また広くてわかりにく所を通り、127鉄塔への分岐を過ぎ、551mピークを過ぎ、少し藪っぽくなってきたのを我慢して北寄りに尾根を歩き、岩を巻いて降りると道標があり、北の谷は栗栖野へ下山、西は字が消えていましたが、鉱山・舟瀬のようでした。西に行くとまた道標があって。東が母子・梁ケ谷・鉱山で北が舟瀬・高速トンネルでした。ということは、この間に鉱山があったのでしょうか?
最後の道標からは北に降りられそうな感じだったので北に向かいましたが、岩場続きでした。展望は良いのですが、とても越えられる岩ではなく、結局東側の谷に降りて北に向かいました。かなり危なかったので、他に良いルートがありそうな気がします。ここは栗栖野城跡だそうですが、最初に見たものが電話ボックス(箱型ではなく、足のついたもの)だったので驚きました(写真)。この山は50年くらい前に一度は登山用に整備されたらしく、電話ボックスは4つありました。他には順不同でログハウス、トイレ、百葉箱、大きなプロペラ、西向きにレンガで作られた空っぽの祠?、そして地蔵神社がありました。神社の中に栗栖野城の説明がありましたが、だいぶ字が消えて読みにくくなっていました。下山は道があったので尾根を降りずに道を辿りましたが、最後の電話ボックスの後に道が分からなくなりました。ため池付近に降りましたが、谷は歩きにくそうだったので尾根に戻り、道を降りていくと石垣があり、フェンスに扉があり、大歳神社に降りられました。真っ直ぐ尾根を下りれば城趾をもっと見られたようです。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「篠山」です。