佐用町の北端にある若州は廃村と思われていることが多いようですが、新しい家もあって週末になると車がとまっています。しかし壊れかかった家も多く、雰囲気としては廃村です。若州を通る道は北に谷の奥まで延びていますが、道があるかどうか怪しいので、とりあえずは尾根で一周しました。
最初は若州の南から地形図で西に延びる破線道を歩きました。これは谷道で、北側の斜面に作られていますが、歩いていくうちにどんどん崩落して、場所によっては斜面をトラバースしている状態になりました。滑落しても数mですが、落ち葉で滑りやすいので危険です。谷底も歩けそうですが、場所によっては平地がないので、歩きづらそうでした。破線道と思われる道は消えかかりながらも峠まで続いていました。峠ではお地蔵様を探しましたが、発見できませんでした。峠からは北に斜面を登って県境の尾根歩きになりました。広々とした気持の良い植林の尾根ですが、広すぎて迷いそうになることもありました。590m+付近は倒木が多いのですが、西に少し展望があります。少し藪っぽい所がありますが、ひどく歩きにくいことはありません。ただし地形はかなり複雑です。600m+ピークを過ぎて降りると、鞍部が北東から来ている林道の終点になっていました。林道は歩かずに620m+を越すと、また林道が東から西に尾根を横切っていました。この林道は次の鞍部でも西から東に尾根を横切っており、その後も尾根の東側下を北に延びていました。これについてはGoogleの航空写真をごらんください。尾根の方には巨大な山崎智頭線五二鉄塔があって、大原が望めました。その北には山根四等三角点(633.52m)があり、西の後山川沿いと、東の郷鴫山が望めます。
三角点の北も歩き易い尾根ですが、「愛の村ビューライン」という札が木に付けられていました。愛の村パークは東粟倉にあるので、そこの関係で整備されたのでしょう。しかし道が付けられている訳ではなく、登って来る登山道もなく、さらには愛の村はこの先一度も尾根から見えることはありませんでした。その北で林道が東西に尾根を横切っており、これで岡山側に降りられるので、これが登山コースなのかも知れません。この林道は県をまたいで作られています。林道の北も「愛の村ビューライン」のようで、細尾根になってからも札がありました。途中で東粟倉小学校が見えました。細尾根は最後は谷の奥に出ます。ここには地形図では若州から延びる谷道の破線道が来ており、さらに北側にかなり無理なコースで降りていっています。この破線道を探しましたが、南にも北にも見つかりません。北は地形図どうりの急斜面です。南の谷は倒木が多く歩きにくそうなので、南東に斜面を登りました。789m地点まで登り、南に歩いて郷鴫山へ向かいました。途中で枯れすすきで覆われた789mへ行ってみましたが、日名倉山から後山方面が見渡せました(写真)。この付近は伐採が進んでいるので眺望は良好です。郷鴫山へは尾根を歩きますが、最後はネットがあって藪を登らねばなりません。頂上には作用ハイキングコース選定の会が平成27年に建てたプレートがありますが、宍粟50名山と見間違いそうでした。奥海三等三角点(783.73m)もあります。ハイキングコースとのことで、山頂の手前には郷鴫山への道標がありましたが、登山道がどちらから来ているのかは分かりませんでした。
下山は南西の尾根を降りましたが、複雑な地形で悩みました。結局山崎智頭線四九鉄塔まで歩いて、その先を西に折れるのが正解です。そこからは地形図では一本の尾根のように見えますが、分岐が多くて何度も間違えそうになりました。特に630m+ピークから南の細尾根に降りる所は、下の尾根が見えないので決断を要しました。この細尾根は気持の良い場所でした。最後は西に曲がって、その先は南に降りるつもりがまっすぐ歩いていたら北西に向かうことになり、急斜面の植林を降りました。足元は崩れやすくて、若いヒノキに掴まりながら降りました。腕が痛くなりました。最後は砂防ダムの付近に出てきて、民家の脇から出ようとすると扉が開けられず、結局畑を歩いて石を祀っている祠の所で川を渡りました。
この季節には異常なくらいの暑さの中を5時間歩きました。佐用の山にしては倒木地帯も少なく、下草はなく、歩きやすかったと思います。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「古町」です。
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