2007年1月21日日曜日

書写三角点

姫路の書写山には三角点が二つあります。一つは書写山三角点(349.9m)で,これは圓教寺から北西方向のピークにあります。ここに行くには行者堂への道を進んで,途中から藪に入る必要があります。もう一つは書写三角点(270.2m)で,兵庫県立大学の東側にある西坂を登っていった途中の西側の山にあります。こちらは低山ですし圓教寺からも遠いので,あまり訪れる人はいないだろうと思います。

西坂から書写三角点に行くのに最も良いルートは,西坂が西向きから北向きに折れ曲がる所で尾根に乗ることだと思うのですが,私はベンチのあるところまで登ってから戻りました。このほうが分かりやすいのですが,ベンチの裏からは北の沢の方向(おそらく六角へ降りる道に出られる)は開けていましたが,尾根に登る方向は藪でした。通れないことはないので強行突破して尾根に登ると,気持ちの良い尾根歩きとなります。ときどきシダの間を歩く必要がありますが,木立の間は歩ける程度には開いていますし,マーキングもあります。書写三角点の周辺はシダが生えていますが,三角点は埋もれてはいません(写真。デジカメを忘れて携帯で撮りました)。

ここまで来ると,どう降りるかが問題になります。西坂に引き返すのは芸がありません。六角方面にも降りられそうですが,私は南に降りて県立大の西側の切り通しまでの尾根を目指しました。

道はないので,適当に斜面を降りていきます。シダが生えていますが,膝くらいの高さなので歩けます。しかし方向が分かりません。尾根を歩くつもりでしたが,はっきりした尾根ではないので見回してもどこが尾根かわかりません。後から考えるとコンパスで南を探してそちらに向かって歩けば良かったのですが,なんとなく足は西に向かったようで,途中で南に方向を修正しましたが,結局南西側の沢に出てきました。これはとても気持ちの良い沢でしたが,そのまま降りたら六角に行ってしまうので登り返しました。ここは三角点から見て南西にあるピークですが,尾根は西に続いているので,方向を見定めて南に行かないと,六角に降りることになると思います。

この先,山陽自動車道の上を歩いて144mピークまでは,非常に分かりにくいルートでした。斜面を降りればよいのですが,どっちに向かって降りればよいのか分かりません。目指すのは144mピークに繋がる山陽自動車上の上の鞍部なのですが,尾根と言えるものは無いので,少しずつ降りては方向を確認することになります。道っぽい歩きやすい所があるとそちらに行ってしまうので,まるで方向が定まりません。南斜面なので背の高いシダも生えており,場所によっては地面がシダで覆われて足元が見えなかったり,気をつけて進まねばなりません。ただし灌木が密集して生えている場所はないので,全く進めなくなることはありません。

悪戦苦闘のあげく山陽自動車道の上まで来ると,道が現れます。どうやら県立大学から上がってきているようです。144mピークは展望の良い岩場で,姫路が見渡せます。標高は低めですが,東も西も見える絶好のポイントです。このあと尾根沿いに道らしいものがあり,南の100m等高線のはずれも展望ポイントです。
この南には谷があり,登り返すと植林になってきます。そして切り通しの上に出ます。道路を通っているとあまり気がつきませんが,これはかなりの高さで,上に立っていると怖いのですぐに退散しました。切り通しを降りるだけの勇気も技術も装備もありませんので,植林を少し戻って,東側に植林の中を降りました。「書写記念会館駐車場」という場所に降りてきました。

低山の典型的な藪山でした。迷いやすいので,登山の練習場としては使えそうな気がします。なおこのルートでは鹿の糞を見なかったのが不思議でした。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆

2007年1月6日土曜日

善定から矢野に抜ける

播磨新宮から国道179号線を西に行くと,平野という村があります。ここで栗栖川にかかっている橋を南に渡ると,善定という村があります。村の真ん中で道が分かれており,西に行く道は林道に繋がって二柏野から角亀につながっています。南へ行く道は札楽川に沿っており,松尾神社という農村舞台のある神社を通って,林道につながります。林道の入口左手には善定山の石切場があります。

この林道はかなり使われていて,しばしば車に会います。地形図では途中で破線道が分かれており,南に行く方は行き止まりになっています。この分岐点には,お地蔵さんがあります。ここに,おもしろいことが書いてあります。「右 山みち 一丁左 くろぞう さかきむら」と「半丁下左 ぬまいけ いせきだに」と「左 かまでみち」いうものです。

右というのは,もし本当に右なら川を渡っていきなり山の斜面です。まっすぐ行っても山で,これについてはこのブログの「札楽川の上流」をお読み下さい。「半丁下左 ぬまいけ いせきだに」は,たしかに半丁戻ると左側に楓池に行く道があります。こちらは「楓池」をお読み下さい。「いせきだに」というのはどこでしょうか?

「かまでみち」は,相生市矢野の釜出に行く道です。このルートは,途中までは亀山あたりに立っている案内板の地図で言う「善定コース」と同じです。案内板では,このコースに「迷い易い」と注が付いています。左に曲がると南に延びる破線道を歩くことになりますが,これはすぐに岩だらけになります。しかし歩くには問題ありません。道の終点に関西電力の赤い標識(ただし縦長ではなくもっと大きい)があるので迷うことはありません。標識に従って山林を登ると,鉄塔26番に出ます。ここで町界の標石のある尾根に乗って送電線を左に見ながら25番鉄塔に行きます。これは地形図で見ると送電線の方向を変えている鉄塔です。さらに気持ちの良い尾根道を歩き,再び送電線の方向を変えている播磨線24番鉄塔に着きます。この先は23番鉄塔を目指しますが,この鉄塔は矢野川を挟んで西側にありますので,巡視路を進むと矢野川に出られます。そこから川沿いに南に行けば釜出です。このルートは巡視路ばかりでつまらないとも言えますが,楽なコースです。

問題は一丁左の「くろぞう」と「さかきむら」です。「さかきむら」は榊村で,矢野町の榊だと思われます。つまり,山を越えて相生方面に抜ける道です(釜出経由でも行けますが)。問題なのは,一丁左にそのような道がないことです。一丁というのは109mだそうですが,お地蔵さんの先の左手は植林で,木の間に道はありません。しかし,地形図で見るとここの尾根に取り付けば,町界の尾根に出て,南側の釜出と榊を結ぶ破線道に出られそうです。そこで,斜面を登って尾根に出ることにしました。

最初はきつい登りですが,尾根は歩きやすく,昔は道だったかも知れません。倒木が多少あるのと,尾根に大きな岩があって進みにくい地点がある他は,軽快な尾根歩きです。椅子の形をした岩があって,座って休めます。

しばらく歩くと,送電線の鉄塔が尾根上に立っています。「播磨線27」です。そういえば札楽川沿いにこの鉄塔への巡視路がありました。「かまでみち」の途中に27番鉄塔への「火の用心」がありますので,そちらから登る道もあります。

さらに尾根沿いに進みます。落ち葉を踏んで,気持ちの良い山です。たまに倒木がありますが,小さな木なので簡単に跨げますし,ほとんどは腐りかけています。倒木でたちが悪いのは植林ですが,この付近には植林の倒木は少ないようです。軽快に歩いてゆくと,392m地点に出てきます。ここが町界です。310番の標石が埋められています。ここを直進すると,楓池の方に行くことになります。とりあえずは西に折れます。町界には番号の入った標石が埋まっており,西に行くと番号は小さくなります。この標石の上の木にはテープでマーキングがあるので,よい道しるべになります。

問題は,地形図の榊から釜出を結ぶループ状の破線道にどうやって出るかです。この付近の山は割となだらかで,地形図で見るとどこを歩いてでも南に降りられそうなので,最初に夏に行ったた時には,とりあえず適当に392m地点の西側のあたりで南に延びる尾根を伝って降りてみました。山は木立の間が適当に開いており,降りられますが,問題は降りてから,地形図で等高線の間が広く開いている場所です。ここは草や木や竹がびっしり生えていて,最悪の藪漕ぎ状態でした。しかもこの付近には石を積んで作った溝などの人工物があり,気がつかずに足を取られたら大変です。藪漕ぎをしばらく続けると,家が数軒ありました。この付近も草が茂っており,家に近づくのも容易ではありません。しかし家を過ぎて南東に進むと,道に出ました。釜出に行く破線道です。この家の所に「土砂崩壊防備保安林」の看板があって,「相生市矢野町榊字黒蔵他」と書いてあり,ここが「くろぞう」だと分かります。

この藪の中の建物は,地形図にも一つだけ載っています。ゼンリンの地図(Google map)を見ると,たくさんの建物があることになっていますが,道の方は建物群から少し西に行ったところで終わっています。実際には,この道は竹の倒木(倒竹?)が多く,特に夏は歩けません。しかし,冬に進んでいったところ,西側の湿地帯の南に出ました。倒木や倒竹が無ければ,破線道は存在すると言えます。

二回目冬に行ったときは,この建物の付近に降りないように,町界の尾根を西に進みました。分岐が多くて迷いますが,標石を確認しながら進めば問題はありません。ここでも問題は,どこで尾根を降りるかです。地形図を見ると,458mピークに行くまでの間に,広い平らな鞍部があり,ここなら楽に歩けそうです。行ってみると,ここはとても不思議な場所でした。標石294番あたりです。

この広い鞍部の北側は植林ですが,その先は沼地になっています。木の生え方から見て,雨の多い時期には池になっている可能性がありそうです。なお,地形図にはありませんが,ゼンリンの地図やGoogle Earthではこのすぐ東にも池があります。つまり,「一丁左」の先の沢を札楽川から登ると,池に突き当たります。

問題は,鞍部の南側です。ここも広い平坦な湿地帯ですが,この西側斜面には石垣があります。石垣といっても高さは1~2mですが,長さは場所によっては50mくらいあるのではないかと思います(写真はその一例です)。それが20段以上もあり,尾根近くまでずっと段々畑のようになっています。はっきりした住居跡は確認できません。これは非常に大規模な土木工事だと思います。黒蔵村は,かなり大規模な段々畑を作っていたようです。いつの時代のものか分かりませんが,石と石の間に大きな木が生えていたり,段の上の平坦地にも幹が一抱え以上もある木が生えているので,耕作地として利用していたのは大分昔のことだと思われます。この山奥で平坦地,しかも湿地ができるほど水があるのですから,古くはいわゆる隠し田だったのかも知れません。なお,ゼンリンの地図ではこの付近の西の斜面に小さな池がありますが,確認できませんでした。Google Earthは,現在この付近がちょうど高分解能と低分解能の写真の境目になっていて,よく分かりません。

最初はこの湿地帯が昔は溜池で,石積みは土砂の流入を防いでいるのかと思ったのですが,湿地帯を南に進んでも堤防のようなものは見られません。そのかわり,地形図で破線道が東西に走っている平坦地付近にも多数の石垣が見られます。これらは1974年の航空写真に写っています。波板でできた小屋の残骸もいくつかあります。東側の建物と合わせて考えると,10~20年前まで,ここは耕作地として使われていたのだろうと思います。その頃には破線道もしっかりしていて,自動車でここまで登って来られたのでしょう。ここでも「土砂崩壊防備保安林」の看板に「字黒蔵」の地図があり,建物からこの付近までが黒蔵のようです。

とりあえずの問題は,黒蔵をどうやって抜け出るかです。西に進んで破線道を探すことにしました。しかし,西は石が積まれている方向ですから,石垣を登って行くことになります。石垣と石垣の間の平坦地は,木が生えていたり草が茂っていたり,段ごとに違っています。もともとこれが耕作地なら肥料も与えたでしょうから,草や木が茂るのは当然といえます。肥料の袋も捨てられていました。

地形図で破線道が一番北まで行っている地点は,まさに段々畑(?)の東端です。西側に広がっている平坦地にはずっと石垣があります。全部登ると,破線道に相当すると思われる林道のような道があります。

この先はまず南の鞍部を越えます。ここは,榊山の三角点から降りてきたところになります。平坦地の藪漕ぎを避けるなら,町界を458mピークまで進んで,そこから南に進路を取って防衛庁の灰色のマイクロ波鉄塔経由で三角点に出て,そこからこの付近に降りてくるほうが楽です。もっと楽をするなら,三角点の北にある防衛庁のマイクロ波鉄塔の保守路(敷石の立派な舗装道路)を降りれば,あとは全部舗装道路です。榊に降りていく道は,地形図の破線道とは異なり,斜面をジグザグに走る林道です。時々沢に降りて石だらけの歩きにくい道になります。倒木や土砂崩れもありますが,歩けないほどではありません。少し斜面を降りると,また石垣がところどころにあります。

そして,播磨道の美濃山トンネルの南側の出口に出てきます。この後は,播磨道の保守用の舗装道路を下ることになります。この付近も,東側の斜面には石垣がたくさんあります。川と道路が一緒になった不思議なトンネルで播磨道を西に横切ります。その南には「西播磨水道企業団 榊配水池」がありますが,ここで大問題が生じます。道路に獣よけの扉があるのですが,鍵が掛かっているのです。周囲を見回しても,人が通れるような扉はありませんし,金網は鹿や猪が通れないのですから人も通れません。途方に暮れて川沿いに南下して,近くの田んぼの脇の金網に出入口を見つけました。もちろんこちらが不法侵入者なのですから仕方ありません。ただ,榊村から北上して山に入ろうとしても,この抜け道を知らないとこの先に進めませんのでご注意下さい。

新宮から相生方面へ斜めに抜けることだけが目的なら,「かまでみち」が正解です。黒蔵村の歴史については,相生市史に書いてあると「とんび岩通信」で見て読んでみましたが,小学校まで8キロもあり,生活は大変だったろうと思われます。

展望 ★☆☆
藪山度 ルートと季節によって★☆☆~★★★


2006年12月23日土曜日

三日月から三原牧場へ

三日月の駅を降りると,南西に通信塔の立っている山が見えます。これが広山です。ここから尾根伝いに三原牧場まで歩くと,播磨科学公園都市に出られます。科学公園都市からは相生や新宮にバスで帰れるので,姫路からだとちょうど良い周回ルートになります。

広山には,地形図にもある通信塔の保守道路で登れます。途中に給水タンクのような施設があり,そのすぐ上に広山の三角点(207.6m)があります。通信塔は例によってDocomoと関西セルラーとJフォンの建てた3本がありますが,道路の突き当たりはこれまた例によってNHKの通信施設です。このあたりの山の通信施設は,NHKが昔に作った道を使って携帯三社が通信塔を建てていることが多いようです。

NHKの通信塔からまっすぐ先を降りると山から下りてしまうので,ちょっと道を戻ってから南の鞍部へ降り,さらに登り返します。この先三原牧場まで,道はまったくありません。とりあえず左右共に下り坂になっている場所を歩いていれば,尾根から外れることはありません。しかし,尾根が交わっているところでは,足の向くまま歩いているととんでもない方向に行きそうになります。常に方向を確認しながら歩く必要があります。

288mピークまで,間違えなければたいしたアップダウンはありません。しかし,何度も尾根を間違えそうになりました。この先も,尾根が左右から合流してくるので,そちらへ行きそうになります。288mの南のピークには古いテレビ用のアンテナがありました。周囲は植林でアンテナよりもはるかに高く茂っていますから,使おうと思っても今ではまったく役に立たないでしょう。とにかく,どのピークに行っても見晴らしはまったくありません。

尾根の倒木は植林ではなく,太い木ではありませんから問題ありません。たまに植林がまとまって倒れていることもありますが,尾根を塞いでいることはありません。写真は下莇原の三角点(282.4m)です。
三角点の後は,地形図の三日月町(今は佐用町)と新宮町(今はたつの市)の町界に沿って歩けばよいのですが,町界は地面には書いてありませんし,標識もほとんどないので困難を極めます。とりあえず三角点から南へ歩くと,ちょっと展望のあるところ(水溜まりがあった)に出ますが,ここは地形図で250mの等高線が終わっているところで,既に行きすぎです。少し戻って,町界と思われる辺りを南へ降ります。三日月町側は植林されており,植林の縁を降りました。

この先は尾根がはっきりしませんが,なんとなく町界を歩けたと思います。下莇原から弦谷の方に抜ける破線道を横切ったはずなのですが,この道はいくら探しても見つかりませんでした。いずれ下莇原から登って確認してみるしかないと思います。

258m地点を過ぎると,三日月町側は暗い植林となります。そして,ときどき重機で切り開いたと思われる道があるのですが,すぐに終わってしまいます。牧場に近づくと地形図上は実線道がありますが,この実線道も倒木があったり草が生い茂ったりしていて,歩くことすら困難な場所があります。

牧場に近づくと,大きな動物の糞が落ちていて,一瞬熊かと思いましたが,あまりに多いので馬だと気がつきました。糞を踏まないように歩くのも一苦労です。牧場に裏から入ってしまうので,大変気を遣って通り抜けました。この牧場は古いものですが,今でも開発が行われています。最後はボルカノというスパゲッティ屋の下に出てきます。

ほぼ3時間の山歩きでしたが,展望ではなく自然を満喫するにはとても良い山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

2006年12月17日日曜日

雨ケ岳

雨ケ岳というのは,山崎から中国自動車道沿いに西に行き,高下あたりから南に行ったところにある三角点山です。ハイキングコースなどは全くありませんが,地形図では林道が延びており,登れそうな感じです。それに,谷間を南に行くと神保という廃村があるようです([1])。

林道の登り口は,高下の中国自動車道の高架下です。この辺りでは中国自動車道の高架下に獣避けの網戸が付いていることが多く,ここもそうなっています。林道は幅が広く,舗装はされていませんが立派なものです。ここから神保への道は,途中の地図では「町道」となっており,よく整備されています。林道の終点まで倒木はありませんから,普通乗用車でも行けると思います。同じ山の南側の高丸山付近の林道とは雲泥の差です。昔はこの道を通って神保から菅野小学校まで小学生が歩いていたのでしょうか([1])?

立派な道と言っても勾配はきつく,最初の助森の三角点までは息の切れる登りです。この三角点は町道脇の藪の中にありますが,普通の四角い石ではなく,単に丸い金属のプレートを埋めてあるだけなので,探すのに苦労します。たまたま測量に使ったのか発泡スチロールの板が落ちていたので気がつきましたが,これが無ければ羊歯の中に埋まった金属プレートを発見するのは不可能でしょう。周囲は木が多く,測量に使えるのかどうか気になります。

三角点の先も歩きやすい道が続きます。そして分岐点があり,右に曲がると雨ケ岳に登れます。この分岐点の付近は手入れの良い植林ですが,地図で見ると広い平坦地があります。ここは木が植えられておらず,何らかの作業場として使われていたのかも知れません。雨ケ丘へ登っていくと,左手(東側)の植林が切られており,展望が広がります。東側は山崎の長水山あたりまでがよく見えますし,写真のように北側は菅野川が見えます。このように,この付近では現在でも植林活動が活発なようです。

雨ケ岳の三角点(490.4m)は,林道の終点から尾根を登っていった所にあります。尾根は歩きやすい雑木林です。三角点の先も本郷峠に向かって歩けそうでしたが([2],[3]),引き返して地形図で三角点のすぐ南にある破線道を探しました。この道は三日月から山崎に抜ける最短ルートと思われます。尾根から東西の道を探したのですが,西側には道らしきものがありましたが,東側は急勾配の植林で,道と言えるものは見つかりませんでした。なお,まともな道があるという報告もあります([2])が,ゼンリンの地図では西側は道がありますが東側にはありません。無理に東側に降りてみようかとも思ったのですが,後で下から見上げたところ倒木もあり,降りなくて正解だったようです。

林道を戻って谷間の町道に戻り,次は東側の464mのピークに登りました。東に行く分岐を進むと,右手に小さな砂防ダムがあり,左手にも道がありますが,まっすぐ尾根を登っていきます。ぐるっと廻って西に向かいますが,464mピークのひとつ東側のピークで林道は終わります。地形図ではこのピークの北側に林道が伸びており,それが464mピークの南に達しているはずですが,そうなってはいません。東側のピークの北側は急斜面なので,藪になっているピークを無理にでも通った方が楽です。464mピークとの間の鞍部とその北側は植林がきれいに伐採されており,素晴らしい展望が広がります。464mピークそのものは藪です。

また林道を戻って,さらに谷間の町道を南に向かいます。この辺りでは既に沢は南に流れています。しっかりした道で倒木もありませんが,両側の斜面にはところどころ倒木が見られます。しばらく谷間を進むと,神保方面に向かう破線道との分岐に出ます。破線道を進んでみたのですが,倒木がひどく,神保に行くのは断念しました。そのまま南に抜けて帰れるのなら無理をしてでも進んだのですが,車を中国自動車道の下にとめてあるので,戻ることを考えると無理をする気にはなりませんでした。(その後神保には南の栗栖池からもアプローチを試みましたが,こちらも倒木がひどくて断念しました。無理をしてでも北からアプローチをするのが正解と思われます。)

そのかわり,林道を更に東に進みました。このあたりも良い道です。林道はずっと東まで延びていますが,途中で北に行く分岐があります。これは地形図の破線道で,じっさいはこれもよく整備された林道になっています。これが434mピークの南の付近まで続くのですが,そこで突然終わっています。林道が終わるのはしかたないにしても,その先に破線道に相当する道があるわけではありません。とりあえず斜面を登ると道らしきものがあり,434mピークの東側の鞍部に達しました。

この北側は,地形図では破線道が中国自動車道まで続いていますが,この道は倒木だらけで歩けません。道といっても,両側が盛り上がった溝の中を歩くような形になっており,そこに木が倒れていると避けようがありません。結局破線道の西側の林の中を歩いた方が楽だという結論に達しました。それでも倒木が多く藪も急斜面もあり,非常に困難な下りでした。最後は荒れ果てた小さな墓地を通り,中国自動車道に出ました。地形図では少し西に神社がありますが,倒壊したらしく,瓦が散乱していました。

林業活動の活発さが感じられる道でしたが,林道からはずれると悲惨な地域だということもわかりました。神保は南からのルートもかなり悲惨なようで([1]),現状ではまさに陸の孤島になっています。

展望 ★★☆
藪山度 場所によって★☆☆~★★★

2006年12月2日土曜日

三日月の高丸山

高丸山は三日月の北にある標高536.2mの山です。地形図を見ると,添谷という集落から少し山を登ると神社があり,この北の尾根沿いに登って行けそうです。しかし,インターネットで調べると高丸山に登るには谷道の林道を使うのが一般的です([1][2])。このような場合,この尾根道が使われないのには理由があるものなのですが,例によって何事もチャレンジということで行ってみました。

神社への道はきつい登りです。息が切れてきた頃に鳥居がありますが、ここから更に長い急坂が続きます。やっと着いた神社は立派なもので,ここまでよく建材を運んだと思います。石碑には,佐用郡幕山村中山の和田乙則さんという棟梁の方が昭和6年4月に建てられたと書いてありますが,現存の建物のことなのかどうかは分かりません。

神社の裏は薮っぽいのですが,少し登ると尾根道らしきものが現れます。いずれにしても木と木の間隔が離れているので,楽に登れます。倒木は予想ほどはありませんし,あっても数が少ないので越えていけます。急斜面もありますが,普通の薮山という感じです。眺望は残念ながら全くありません。

しかし,尾根を登り詰めると印象が変わります。地形図の高丸山の標高536.2という数字の小数点の下の辺りは広い平地に見えますが,ここには植林の倒木があり,高丸山への道を塞いでいるのです([2])。写真はその大規模な倒木地帯を見て途方に暮れていたときに撮ったものです。この地点は南北の風の通り道になっており,杉の大木が大量に倒れています。木はすべて南向きに倒れているので,北側の斜面を少し降りて通りました。しかし,北斜面は非常に急な谷で,倒木がありますから,歩くのは決して容易ではありません。何度か途方に暮れたあげく,大木の幹を這いつくばって登り降りして,ようやく高丸山の斜面にたどり着きました。

あとは高丸山の北斜面を頂上までまっすぐ登りました。頂上には三角点と,プレートが一枚ありました。北から登ってきたのはラッキーでした。というのは,この後の計画は北に歩いて林道に出て添谷に戻ってくることになっていたからです。高丸山の山頂から北に向かう尾根へ出るには何の標識もない広い斜面を降りるしかありませんから,南から登ってきたら迷う可能性が高いと思います。

北へ向かう尾根道は倒木も少なく快適です。はっきりした尾根で道に迷う可能性も無いと思います。ただし534mのピークだけは別です。これは高丸山に1.2m負けただけで名前も付けてもらえず何の標識も無いピークですが,周囲に尾根が多く,非常に迷いやすくなっています([3])。南から北に行くだけなら,ピークに行かずに真っ直ぐ進めば迷うことはないのですが,ピークがあると行ってみたくなるのが人情で,来た方角を見失ってどちらに降りるかが大問題となります。

534mピークの北の尾根を少し進むと,林道のなれの果てになります。なれの果てというのは,草ぼうぼうで自動車が通れる可能性は無いからです。南北に走っているので南に向かうと添谷に帰れそうな気がしましたが,林道はしばしば山奥で突然終点になることがあるので,地形図に林道が描いてある北を目指しました。これは正解だったと思います。

この林道は山の斜面につけられていますが,その荒れ方には驚きます。倒木を跨いだりくぐったり,藪山歩きと変わりません。コンクリート舗装の上に倒木が折り重なって倒れている所もあります。しばらく歩くと地形図に描いてある林道に出ます。ここから東方面へ歩きましたが,しばらくは倒木も少なく,気持ちの良い林道歩きが楽しめました。しかし,だんだん道が怪しくなります。この林道は地形図で見る限りは添谷から登ってくるルートの延長なのですが,そちらに近づくほど道が荒れてくるのは不思議です。倒木と草をかき分けて進む箇所もあります。

添谷に向かう林道をさらに南に進むと,看板があります。三日月町が出した看板で一般車通行止めと書いてあるのですが,通行しようにも倒木がありますから通れるはずはありません。しかも,この標識から沢を下っていくと,林道は完全に倒木に埋もれてしまっています。どこが道だか全く分からなくなります。この沢はもともとは手入れがよく,片側には石積みの堤防があって林道はその上にあるのですが,倒木によって道も堤防も見えません。こんな状況が数100mに渡って続きます。通行止めの看板まで行けるのはブルドーザーか戦車くらいのものでしょう。歩くのも非常に困難で,フィールドアスレチックだと思って倒木をよじ登ったり這いつくばってくぐったりして,なんとか乗り切りました。山頂近くの倒木よりもずっと大変でした。 このあとしばらく降りると材木が積んであり,植林活動の成果が見られました。しかし,倒木の数を考えると,この山がきれいになるのにあと何年かかるのか想像がつきません。それにしても,地形図の破線道が存在しなかったり歩けなかったりすることはよくありますが,実線道が人もほとんど通れないというのは珍しいと思います。これでは登山計画を立てるのはとても難しくなってしまいます。

結論として,「倒木のため05年9月現在一般的でない」([2])というのは本当でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★