2025年9月23日火曜日

波賀町溝野から登る今市山

 


2025/09/07に今市から今市山に林道経由で登った時に、東の尾根でも登れそうだと思ったので、登ってみました。まず国道29号線から波賀町谷で引原川を渡り、川沿いに溝野に行きました。送電線の鉄塔が何本もまっすぐに並んでいるのが印象的です。舗装道路から溝野の西にある鉄塔への巡視路に入って、安積上野線二二鉄塔に行きました。ここから今市山までは標高差450mの尾根登りです。なるべく植林を歩きましたが、藪はないので自然林も歩けました。急な尾根ですが、木に掴まらないと登れないような箇所はありません。それでもずっと登りですから時々休みました。標高500m付近から岩が増えますが、道があるようで上手に登れました。そして植林に入ると主尾根に出て、今市四等三角点(712.22m)のある今市山に着きました。


山頂からは2025/09/07と同じく北東に歩きました。きれいな植林です(写真)。倒木のある690m+ピークまで来て、南東に尾根を降りました。これは2015/11/15に登ってきた尾根です。長い尾根なので、登ってきた尾根よりは全体に勾配は緩いのですが、標高550m付近には少し高い岩場があり、その下には藪もあります。しかし大問題ではありません。この付近には東から来た林道の終点もあります。藪を抜けると植林になり、調子よく降りていくと尾根の真ん中の見つかりやすい場所に谷四等三角点(353.5m)がありました。その下には三峰神社の奥の院?があり、三峯神社に出ました。神社の前に安積上野線一九鉄塔が立っています。


三峯神社からの下山には舗装された北向きの道がありますが、さらに尾根の先に向かって道があったので歩いてみました。18鉄塔へもこちらとなっていましたが、分岐を見落としました。マーキングを頼りにまっすぐに植林を降りていくと、尾根の先にはフェンスがありました。扉はすぐに見つかりましたが、下の道路への法面がきついので少し北に歩いて岩のところから道路に降りました。あとで見ると、南に行ったほうが楽だったようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2025年9月20日土曜日

閏賀から登る閏賀三角点

 


閏賀三角点に行ったのは2009/08/18で、その時は2025/06/02に使った林道で470m+の峠に出てから南に登ったのですが、今回は閏賀の集落から延びる尾根を登ってみました。閏賀の墓地を過ぎると谷沿いに林道があります。少し登ると害獣避けの扉があり、これを抜けると尾根先を回る作業道があり、これで植林の尾根を登り始めました。この作業道は溝になっていて、ずっと続いていました。藪のない尾根で勾配も緩めで、楽に登っていけました。倒木の多い付近を抜けると地形図にある林道に出ました。この林道はここで終わりではなく、まだ南に続いていました。この先も尾根を登りましたが、道も続いていました。ここも楽な尾根登りで、多少の急勾配はありますが、長続きしません。途中に共同アンテナの残骸があり、真空管が30本も使われているアンプ?(写真)が落ちていました。ここでも溝ではなくなりますが道は続いており、そのまま閏賀山の山頂に着きました。閏賀四等三角点(561.91m)があるだけで、静かな山頂です。登り始めて1時間ほどでした。


2009/08/18はここから南に歩いたので、少し歩いてみました。標高510m程度までは楽な植林歩きでしたが、急な下りになって藪っぽくなりました。その先は植林のようでしたが、2009/08/18にひどい目にあっているので、ここで引き返しました。閏賀山まで戻って方向を見定めて北西の斜面を降りました。植林を下っていくと、林道がありました。降りてみると折り返し地点で、地形図を見ると登っていけば峠に降りられそうでしたが、登るとすぐに林道は終わってしまいました。戻って下り方向に行きましたが、荒れた林道で、崩落もあれば倒木も多く、その間に山椒とシダが茂っているという状態で、この日に歩いた中では一番の藪でした。我慢して下っていき、470m+の峠に出られました。あとはいつもの長い林道で下山しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」です。



2025年9月15日月曜日

生野の古城山

 


生野の古城山は近くに大規模な露天掘りがあって近づき難かったのですが、登山道もあるので登ってみることにしました。登り口は狭い道を登って行く「琵琶の丸健康公園」です。長い滑り台があり、さらに階段を登って一番上の見晴らし台の手前に登山道があります。標識はありませんが、歩き始めればよく整備されています。まずはジグザグに登るのであまり急ではありません。いったん平坦地に出ますが、これは城のマップにはなく、すぐ上に生野北支線五六鉄塔があります。ここからは幾分急な道になりますが、プラ階段があって関電の巡視路のようです。


途中で平坦地に上がる道があり、上がると別郭のようでした。ここで登山道とは別れてしまい、植林を登って三の曲輪に出て、二の曲輪から主郭に上がりました。二の曲輪に説明板がありましたが、完全に消えていて現在地以外は読めなくなっていました。主郭には岩がありましたが、掘られている文字はいたずら書きにしか見えません。とにかくここが古城山頂上(609m)です。たしかに北側を見ると平坦地が続き、しかも斜面は非常に急で、城趾の雰囲気があります。いまはぜんぶ植林になっています。


方向を確認しつつ山頂から東に降りました。少し歩きやすい尾根を歩くと南側に深く掘られた採掘地が見えてきます(写真)。遠くに鉛錫の製錬所が見えて、シックナーがいくつもあります。近くの採掘跡には水はありませんでした。深い谷になっていて斜面は非常に急です。あまり斜面に近づかないように北側の茂みを歩きました。採掘地のいちばん奥のところは意外と傾斜が緩く、降りようと思えば降りられそうでしたが、降りたらあとが大変です。そのまま歩くと上りになって、600m+の平坦地に出ました。ここはCATVの円弧状のアンテナが立っていたようですが、いまは倒れています。地籍図根三角点があります。そのままぐるっと歩いて古城山四等三角点(605.49m)のある太盛山に着きました。この付近からも覗き込むと採掘地の斜面が見られます。


いったん北に600m+地点に戻り、さらに北に稜線を歩きました。歩きやすい道にCATVのものらしいケーブルが延びています。途中にブースターらしいものも落ちていました。このケーブルは600m+ピーク付近で見られなくなりました。2025/09/13に見た「金掘りの径」がどこに上がってくるのか確認したかったのですが道しるべはなく、そのままもう少し北に歩きました。そのまま北に行って2025/09/13に登ってきた破線道で下山してもよかったのですが、2009/08/07に内山寺の裏から稜線まで上がったのを思い出して、同じあたりを降りることにしました。とは言え道があるわけではなく、木の少ない所を適当に降りました。稜線近くには昔なにかが建っていたと言われれば信じてしまうような平坦地がありますが、何の形跡もありません。自然林を適当に降りていくと最後は植林の急斜面になり、内山寺跡に出てきました。あとは2025/09/13の逆コースですが、鳥居跡までは神社跡の平坦地を歩いて、天明年間の墓石を見つけたりしました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「但馬新井」です。



2025年9月13日土曜日

生野の釜床山再び

 


再びとは言っても、前回登ったのは2009/08/07なので、だいぶ様子も変わっているだろうと思い、ほぼ同じコースを歩きました。奥銀谷の天満宮から北に天神坂を登り、焼飯天神跡からさらに北に歩きました。石仏がところどころにありますが、番号が振ってあるので四国八十八ヶ所参りだとわかります。ただ相当に抜けがあるのか、番号に一貫性が無いように思えました。周囲は植林が多く、道もよく整備されていますが車が通る幅はありません。以前より案内板が増えており、古城山に通じる「金堀の径」、「休み堂跡」、「内山番所跡」(ということは、この付近からも金が採れた?)、竹原野への下山道、そして「熊野神社石段鳥居跡 寛政8年(1796)」があって、この先に神社があることが分かります。ここで道は441mピークの西側を北上するように曲がり、ぬかるんだ道を避けて歩くと、右が熊野神社、左が内山寺、真っ直ぐが「至 岩屋観音 5Km」という道しるべがありました。まず熊野神社を見に行きましたが、広く平らな植林の中に社務所跡や熊野神社跡があります。石段や基石らしきものが残っていますが、建物の瓦礫などはまったく見当たりません。建物を分解してどこかへ運んだとしか思えません。内山寺を見に行くと、こちらは繋がった島のある立派な池がありますが、橋は丸太でした。草が茂っていますが、湿気が高い他は雰囲気は悪くありません。鐘堂跡(1629)があり、松滝山 内山寺は高野山南院末 寺格3等格地20等とのことですが、どの程度のものかは分かりません。和歌がいくつか掲示されていました。墓石は一箇所にまとめられており、苔がついて読みにくいのですが、江戸時代のものが多いようでした。(写真)


岩屋観音への道を北に歩きました。生野の住民がこの山越えルートで岩屋観音に参拝したというのはありそうな気がします。ルート的には釜床山を通りそうなので、ずっと道があることを期待しました。前回は内山寺付近から西に稜線まで登りましたが、今回は地形図の破線道どおりに北に植林を歩いてから細い支尾根で稜線に上がりました。支尾根に出たところには石仏があり、その上にもありましたが、その先は石仏を見なくなりました。四国八十八ヶ所は東に降りていったのかも知れません。稜線に出てからも踏み跡があったのですが、そちらに行くと西に行ってしまい、小和田の方に降りそうだったので慌てて戻りました。北に向かう尾根は細めですが、藪はありません。はっきりした道はありません。523m地点を過ぎて、降りてから登ると関電の白くなった「火の用心」がありました。ここからは黒いプラ階段がけっこう長く続きました。急斜面なので助かりました。階段の終わりからは展望があります。大河内線は稜線上にはありません。620m+に登ると、この付近からは2020/07/19にも歩いています。釜床山へは地形図では破線道が西から急斜面を登っていますが、そんな道はなくて、普通に尾根を上って山頂に着きました。山頂は広いのですが、釜床山三等三角点(648.65m)は松の藪の中なので、こちらから登ると見当たりません。山名のプレートなど何もないのが不思議でした。


山頂から三角点の前を通り、さらに北に向かいました。植林を下っていき、2009/08/07に谷を降りた550m-の鞍部まで行って新しい道しるべはないか探しましたが、なにもありません。前回はここから谷を降りたものの道がなかったので、今回は少し引き返して570m+の小ピークから、前回も降りた尾根を降りました。植林の急斜面で滑りやすいのですが、藪などはなくて楽に国道429号線のヘアピンカーブまで降りられました。帰りに小野の熊野神社に寄りましたが、これが内山の熊野神社を昭和26年に奉遷したもののようでした。


標高350mを国道429号線のヘアピンカーブから南に歩くと市川を渡る橋がありますが、その北で水路を渡ります。この水路は生野ダムから来ていますが、この付近から口銀谷まで標高350mを保って市川と並行して山裾を流れています。この水路は奥銀谷や新町の人たちには貴重な水源だったことでしょう。今は最後は三菱マテリアルの生野発電所で使われているようです。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「但馬新井」です。


2025年9月7日日曜日

波賀町の今市山

 


国道29号線を引原川沿いに北上すると、道の駅みなみ波賀の南に橋があります。これを渡ると今市集落で、その後ろに聳える山が今市山です(と、今市のマップに書いてありました)。この山には2010/08/27に北から来たことがありましたが、西向きの下山で苦戦しました。今回は素直に今市から林道で登ることを計画しました。


林道の入口付近に杭があって林道の名前が書いてあったようなのですが、消えてしまって読めません。害獣避けの扉を開けて林道に入るとすぐに赤い「火の用心」があって、送電線の鉄塔への巡視路だということがわかりますが、とりあえずは鉄塔には行かずに林道を歩きました。よく整備されている林道です。しばらく歩くと安積上野線二五鉄塔に着きました。東に展望が開けます。巡視路は東から上がってきており、火の用心はありませんがここから西の次の鉄塔に上がるようでした。ここが地形図の林道の終点ですが、さらに東に林道が伸びていました。これを歩くと徐々に登っていって、支尾根らしき所で折り返し、そこからは北西に延びていました。草が生えているところもありますが、歩くには文句ない林道です。途中で分岐が2つありましたが、最後は支尾根で終わっていました。この支尾根は今市山から西に延びている最も登りやすそうな尾根なので、ここから今市山に向けて登りました。木の間隔が広い自然林で、かわいいマムシに会った程度で問題なく登れました。山頂近くは岩が増えて、大岩をよじ登れば今市四等三角点(712.22m)のある山頂です。切り開きがありますが展望はありません(写真)。


ここからは気持ちの良い尾根歩きです。自然林も植林もきれいです。2015/11/15に谷から登ってきた690m+ピークから北に向かうと、2010/08/27に見た白い板は地面に落ちていました。アップダウンはありますが気持ち良く歩けて、藪の下にある谷村三等三角点(769.85m)に着きました。ここは最近では2024/07/07に東から来ています。


下山は「山の神」[1]を降りました。北西に延びる尾根で、最初は肝試しのような急勾配です。幸いに先人の方たちが作ったと思われる踏み跡があり、マーキングや杭もあり、周囲は植林なので割と楽に降りられました。少し降りれば美しい植林ですが、そこから作業道を見つけて少し北の谷に降りたら、枝打ちした枝と石の多い谷を降りる羽目になりました。急勾配でもまっすぐに広い尾根を降りるのが正解だったと思います。波賀城に行く道路に出ましたが、この付近はかつて牧場だったようで石積があり、それを観察しながら植林を降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」です。