佐用の山はあまり高くもなく、登山としては物足りないと思いますが、のんびり歩くには向いています。今回は岡山県との県境まで歩いてみました。出発点は佐用から中国自動車道沿いに西に走って、県道124号線を北上した金子です。ここには矢原山里山公園があります。西側にイベント広場があるのですが、毘沙門天王の前を通って南入口から登り始めました。「展望ルート」で展望台まで登りました。木の階段もあって整備されているのですが、石や枯れ葉で埋まりつつあります。山の上の展望デッキには屋根はありません。展望も木が伸びていてイマイチという感じでした。そこから279mの山頂に行くと目の前に西はりま天文台が見えて、説明板がありました。
ここからは尾根歩きですが、まず里山公園の東入口へ行く道が北側を横切っています。その北にも尾根筋ルートが伸びています。これも良く整備されており、快適に歩けますが、矢原山の手前で終わってしまいます。ここから矢原山は急斜面ですが、ロープもあるので難なく登れて、まず共同アンテナの残骸があり、次に矢原山山頂に着きました。谷ノ久保四等三角点(306.80m)がありますが展望はありません。この先も尾根には道があって、快適に歩けます。そして東にシミ谷池のある鞍部には「シミ谷 金山谷」の案内板がありましたが、降りていく道はあまりはっきりしないようでした。その北のピークが金山で、金山谷四等三角点(344.35m)があります。金子という地名もあり、この付近には鉱山があったのでしょうか。
金山を過ぎると東側に荷造り紐が張られており、松茸山なのかも知れません。そのまま北上して県境に着きました。ここからは西の尾根に降りるのですが、何のマーキングもなく、正しい尾根を探すのにだいぶ時間がかかりました。降りてしまえば切り開きがあり、荷造り紐も張られているのでそれに沿って県境を歩きました。県道124宮原力万号線の峠にはお地蔵様がありました。なお、岡山県道としても124号線です。
峠から西も紐が南側に張ってあり、それに沿って道を歩きましたが、かなり荒れていました。道は必ずしも県境を通っていないので、最初のピークは南を巻きました。防犯カメラ作動中だそうです。その先で荷造り紐は南に行ってしまうので、広くて歩き易い県境を歩き、南の307mピークへ行く尾根に曲がりました。この尾根にも切り開きがあります。こちらの尾根は岩場が多くて展望もあります。それにしても迷いやすい尾根道で、ピークに出るたびにGPSで位置と方向を確認して進む方向を決める必要がありました。切り開きはあるのですが、細尾根で低い松が密集して生えている場所は歩きづらくなっています。それでもクネクネとした尾根は快適に歩けて、239mピークを過ぎたあたりでちょっと植林があっただけで、ずっと自然林でした。そして最後は南に向かって最後の直線、と思って降りていくと、いきなり4mほどの高さの岩がありました。登ると展望良好です。その南にも広い岩盤があって、この尾根は岩でできているようでした。これらの岩は航空写真でも見えています。ということで下山は急斜面の岩場を降りる羽目になりましたが、落ち葉が滑りやすい以外は大きな問題はなく、最後は竹藪を通って人家の裏に出てきました。人家を避けて降りようとすると、山裾は笹が茂っており、しかも金網があります。しかたなく江戸時代の墓地の残骸と思われる所を通って東に歩いて行き、熊井川に出てきました。川を歩いてなんとか道路に出ることができました。
植林やシダ藪は少なく、落ち葉の自然林がほとんどのコースでした。特に文句の付けようがありませんが、最後の岩場がなかったら飽きていたかも知れません。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「佐用」です。
2017年12月30日土曜日
2017年12月29日金曜日
三石の高尾山
この山は山陽本線の岡山に入って最初の駅、三石駅の東の山で、地形図に山名が載っていますが、有名な山とは言えないでしょう。今回は高尾山経由で県境まで歩いて船坂峠に降りるというルートを探索しました。
地形図で見ると高尾山までは三石駅の東の榎町から破線道が続いていますが、その手前の平らな尾根も歩きたかったので、駅の東のいかにも三石らしいレンガ造りの細いトンネルを抜けて駅の東側に出て、いきなり尾根に上がりました。空き家の裏の山ですが、急斜面にいちおう道があって、滑りながらも尾根に上がれました。共同アンテナの残骸があり、その先はほぼ平らな落ち葉の尾根でした。木の間隔は広いとは言え、枝をかき分けて歩かねばなりません。しかし特に障害物もなく歩けました。平らと言っても結構アップダウンはあって、支尾根が多いので単に平らな方へ歩くと尾根を間違えそうでした。途中で地形図の破線道が上がってくる付近で道を探しましたが、はっきりした道が上がってきているようには見えませんでした。しかしここから尾根の切り開きがはっきりして、マーキングが目立つようになりました。軽快に歩いていくと、徐々にシダが増えてきました。高尾山のちょっと西側に展望のあるザレ場があり、そこからシダの間の踏み跡を歩いて高尾山までぐるっと登る必要があります。山頂は南向きに展望があり、五石方面や溜池がよく見えます。五石山三等三角点(315.29m)があります。(写真)
山頂から少しシダの間を戻って、北東に枝尾根を降りました。ここもザレ場のような所からどんどん下って行きます。道がありマーキングもありますが、かなり成長したシダも茂っています。道は大きなシダの塊を避けて降りていきますが、道を見失うと悲惨なことになります。しかしこの道は頼りになる道で、行きたいと思っている方向に続いてくれました。鞍部まで降りると「昭和三十五年度保安林改良事業」という石の記念碑が立っていました。512,622円かけて赤松を植えたようです。ここからの登りもシダが茂っていますが、道は続いてくれました。腰くらいの高さのシダをかき分けて歩き、県境に着きました。ここは少しまともな道があり、これを西に曲がりました。
県境でもシダの間を歩くことには変わりありません。道はありますが、倒木があったり、イバラの枝が伸びていたり、両側から大きなシダが伸びて道を覆い隠していたり、いかにも藪山でした。最後は地形図に実線道があるので探しました。確かに道はありましたが、真ん中に松が生えていたりシダが茂っていたりで、車は全く通れません。岩を削った跡があり、かつては採石が行われたのでしょう。ひどい状態の道ですが、歩くには好都合で、そのまま降りると廃棄物最終処分場に出てきました。ここから舗装道路で降りると船坂峠に行けないので、少し戻ってさらに県境を歩きました。道は続いていて、三叉路に「火の用心JR No38」という札が立っていました。JRの高圧線の巡視路です。ここを西に曲がるとJR西日本の有年~三石39鉄塔がありましたが、こちらからは船坂峠には行けないので、取って返して38鉄塔に行きました。この先は道が怪しくなるのですが、支尾根に沿って降りていくと、船坂峠に降りられました。地形図には破線道が描いてありますが、探しても見つけられませんでした。降りてきた峠近くにJRの札があったので、これが巡視路だったのだと思います。
船坂峠には東宮殿下行啓記念の県境碑がありました。岡山側に降りていくと「雲水の井戸」とか「舟坂峠いこいの広場」がありました。この付近は街道沿いに墓を建てる習慣があるようで、墓もありました。その後は国道2号線で三石まで戻りましたが、歩道があるので排気ガスを我慢すれば身の危険はありません。
とりあえずはルートのほとんどは踏み跡があり、覚悟していたよりは楽に歩けたという印象です。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「備前三石」です。
地形図で見ると高尾山までは三石駅の東の榎町から破線道が続いていますが、その手前の平らな尾根も歩きたかったので、駅の東のいかにも三石らしいレンガ造りの細いトンネルを抜けて駅の東側に出て、いきなり尾根に上がりました。空き家の裏の山ですが、急斜面にいちおう道があって、滑りながらも尾根に上がれました。共同アンテナの残骸があり、その先はほぼ平らな落ち葉の尾根でした。木の間隔は広いとは言え、枝をかき分けて歩かねばなりません。しかし特に障害物もなく歩けました。平らと言っても結構アップダウンはあって、支尾根が多いので単に平らな方へ歩くと尾根を間違えそうでした。途中で地形図の破線道が上がってくる付近で道を探しましたが、はっきりした道が上がってきているようには見えませんでした。しかしここから尾根の切り開きがはっきりして、マーキングが目立つようになりました。軽快に歩いていくと、徐々にシダが増えてきました。高尾山のちょっと西側に展望のあるザレ場があり、そこからシダの間の踏み跡を歩いて高尾山までぐるっと登る必要があります。山頂は南向きに展望があり、五石方面や溜池がよく見えます。五石山三等三角点(315.29m)があります。(写真)
山頂から少しシダの間を戻って、北東に枝尾根を降りました。ここもザレ場のような所からどんどん下って行きます。道がありマーキングもありますが、かなり成長したシダも茂っています。道は大きなシダの塊を避けて降りていきますが、道を見失うと悲惨なことになります。しかしこの道は頼りになる道で、行きたいと思っている方向に続いてくれました。鞍部まで降りると「昭和三十五年度保安林改良事業」という石の記念碑が立っていました。512,622円かけて赤松を植えたようです。ここからの登りもシダが茂っていますが、道は続いてくれました。腰くらいの高さのシダをかき分けて歩き、県境に着きました。ここは少しまともな道があり、これを西に曲がりました。
県境でもシダの間を歩くことには変わりありません。道はありますが、倒木があったり、イバラの枝が伸びていたり、両側から大きなシダが伸びて道を覆い隠していたり、いかにも藪山でした。最後は地形図に実線道があるので探しました。確かに道はありましたが、真ん中に松が生えていたりシダが茂っていたりで、車は全く通れません。岩を削った跡があり、かつては採石が行われたのでしょう。ひどい状態の道ですが、歩くには好都合で、そのまま降りると廃棄物最終処分場に出てきました。ここから舗装道路で降りると船坂峠に行けないので、少し戻ってさらに県境を歩きました。道は続いていて、三叉路に「火の用心JR No38」という札が立っていました。JRの高圧線の巡視路です。ここを西に曲がるとJR西日本の有年~三石39鉄塔がありましたが、こちらからは船坂峠には行けないので、取って返して38鉄塔に行きました。この先は道が怪しくなるのですが、支尾根に沿って降りていくと、船坂峠に降りられました。地形図には破線道が描いてありますが、探しても見つけられませんでした。降りてきた峠近くにJRの札があったので、これが巡視路だったのだと思います。
船坂峠には東宮殿下行啓記念の県境碑がありました。岡山側に降りていくと「雲水の井戸」とか「舟坂峠いこいの広場」がありました。この付近は街道沿いに墓を建てる習慣があるようで、墓もありました。その後は国道2号線で三石まで戻りましたが、歩道があるので排気ガスを我慢すれば身の危険はありません。
とりあえずはルートのほとんどは踏み跡があり、覚悟していたよりは楽に歩けたという印象です。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「備前三石」です。
2017年12月17日日曜日
釜坂峠
釜坂峠は播磨と美作を結ぶ重要な因幡街道の峠として知られています。現在は県道240号線が、昔とは違う場所を通っていますが、「播磨の峠ものがたり」122ページを参考に、まずは旧道を歩きました。北の美作側は宮本という村ですが、宮本武蔵の生誕地ということで、智頭急行にも宮本武蔵駅があります。資料館から歩き始めると、宮本武蔵の生家とか墓とか武蔵神社があり、それを過ぎると釜坂峠への登りになります。まだまで竹馬の友の墓とか名所が続きますが、壊れた小屋があったり、景観はよろしくありません。壱貫清水という湧き水まで来ると、道は未舗装になり、幅も軽トラ1台分になりました。しかし歩くには問題なく、軽快に峠まで上がりました。説明板には50ccのバイクでは無料とありましたが、軽トラなら大丈夫そうです。
峠には竹林があり、小屋(お通茶屋)があります。小屋の裏の斜面に峠のお地蔵様(たて場地蔵尊)が少し傾いて置かれていました(写真)。播磨側も未舗装ですが、轍があるので車の往来もあるのでしょう。家があったのですが、屋根が地面近くだったので潰れたようです。ちょっと岩が転がっている道を南に降りました。播磨側に降りて気付いたのは、こちら側には案内板がないことです。登り口の表示もなく、見えにくい所に小さな石仏があるだけで、冷たく扱われています。
播磨側(兵庫県側)の釜坂の集落では、鳥取自動車道を潜り、県道240号線に出て、東中山から県道の峠へ歩きました。大型車通行不能の表示があるように、舗装されてはいますが、登ると徐々に道が狭くなります。一番狭いのは峠を過ぎた岡山県側で、すれ違いは軽自動車でも無理です。カーブなのでカーブミラーが命です。
峠からは県境を西に歩きました。県道の峠は切り通しなので、兵庫県側から植林の作業道を登りました。ススキに覆われた道ですが鉄の手すりがあって急斜面を楽に登れましたが、植林の下で終わってしまいました。あとは無理やり急斜面を登って県境の尾根に出ました。木が疎らで、落葉をサクサクと踏んで歩けます。ただし複雑に曲がりくねった尾根なので、GPSが役立ちます。特に目立った目標はありませんが、北に400mピークまで行きました。はっきりした道やマーキングはありません。ここからさらに県境を歩いて旧道の峠にも行けそうでしたが、そちらへは行かず、宮本の方へ行きました。途中で下の方の尾根が見えなくてちょっと分かりにくい場所がありましたが、そこを過ぎれば気持ちのよい植林でした。最後は人家を避けて早めに墓所へ降りましたが、尾根の先は非常に急だったので大回りしました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
峠には竹林があり、小屋(お通茶屋)があります。小屋の裏の斜面に峠のお地蔵様(たて場地蔵尊)が少し傾いて置かれていました(写真)。播磨側も未舗装ですが、轍があるので車の往来もあるのでしょう。家があったのですが、屋根が地面近くだったので潰れたようです。ちょっと岩が転がっている道を南に降りました。播磨側に降りて気付いたのは、こちら側には案内板がないことです。登り口の表示もなく、見えにくい所に小さな石仏があるだけで、冷たく扱われています。
播磨側(兵庫県側)の釜坂の集落では、鳥取自動車道を潜り、県道240号線に出て、東中山から県道の峠へ歩きました。大型車通行不能の表示があるように、舗装されてはいますが、登ると徐々に道が狭くなります。一番狭いのは峠を過ぎた岡山県側で、すれ違いは軽自動車でも無理です。カーブなのでカーブミラーが命です。
峠からは県境を西に歩きました。県道の峠は切り通しなので、兵庫県側から植林の作業道を登りました。ススキに覆われた道ですが鉄の手すりがあって急斜面を楽に登れましたが、植林の下で終わってしまいました。あとは無理やり急斜面を登って県境の尾根に出ました。木が疎らで、落葉をサクサクと踏んで歩けます。ただし複雑に曲がりくねった尾根なので、GPSが役立ちます。特に目立った目標はありませんが、北に400mピークまで行きました。はっきりした道やマーキングはありません。ここからさらに県境を歩いて旧道の峠にも行けそうでしたが、そちらへは行かず、宮本の方へ行きました。途中で下の方の尾根が見えなくてちょっと分かりにくい場所がありましたが、そこを過ぎれば気持ちのよい植林でした。最後は人家を避けて早めに墓所へ降りましたが、尾根の先は非常に急だったので大回りしました。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。
2017年12月16日土曜日
三田の黒谷山・遠城寺山など
そろそろ北の山は雪が積もっている季節なので、暖かな兵庫県南部の山を歩きました。[1]を見ると、歩けそうな山に思えました。じっさいに歩いたルートもほぼ同じです。三田は遠いと思っていたのですが、高速道路で三田南まで行けば、料金はかかりますが意外と早く着きます。三田から国道176号線に出て北上し、波田山大師寺の無断駐車お断りの駐車場に車をとめました。お堂はありますが、荒れ気味で案内板も読めません。案内図によるとどうやら山の上には奥の院などもあるようですが、どこのことかわかりません。すぐにわかったのは、裏山が四国八十八箇所になっていることで、登っていくと四国のお寺の仏像を模した石仏が置かれています。八十八箇所の方は昭和40年台のものですが、もう一つ銘のない石仏は素性不明で倒れているものが多く、残念でした。
北寄りの道で登って行ったのですが、道が下りになる所から山道に入りました。と言っても道があるわけではなく、適当に藪を歩きました。山頂付近にはザレ場がありますが、ここに出るのも大変です。地形図ではここには北から道が上がってきています。実際には道はないのですが、後で歩いてみると、途中から道が消えおり、カーブミラーが藪の中に倒れていました。この付近は売地になっており、建設会社が作った供養塔があったり放棄されたナンバー付きの自動車があったりとか、謎めいています。とにかくザレ場の上の藪を無理やり抜けて、南に枝をかきわけて歩きました。310m+付近まで来ると道も少しはっきりしてきました。326mピークにはNo.29の標石がありますが、その手前の27で東に降りなければなりません。ここはちょっと藪っぽく、その後の登り斜面もあまり明瞭な道はありませんが、黒谷山に登ると黒谷山四等三角点(373.67m)の付近には道がありました(写真)。この先も明瞭な道はなく、時折マーキングがありますが、それが目指す方向に行っているという保証はありません。しかし、なんとなく踏み跡があります。黒谷山の東はシダ藪もあり、かなり荒れていますが、遠城寺山へ向かう方向は道があります。鞍部には、なんとなく横切る道がありそうな感じでした。遠城寺山への登りは道はありませんが、尾根に出れば明瞭な道があり、遠城寺山にはプレートもありました。
遠城寺山から東の尾根はわりと気持ち良く歩けました。尾根の東端の380m+ピークには向山(389m)という札がありました。この北側の住宅地は向という名前のようです。共同アンテナが倒れていました。この先もなんとなく落ち葉を踏んで歩けて、茗荷谷山に着きました。天神谷三等三角点(427.32m)があります。この先は少し藪っぽくなりましたが、特に問題もなく天神岳(440m)に着きました。ここからの下山は、まず適当に北へ歩きやすい方へ歩いたのですが、結局[1]とほぼ同じ尾根を伝って下山しました。少し急な場所もありますが木に掴まって降りられました。石岩流の跡とか間伐材だらけの植林を通って、武庫川の岸に出ました。ここには地形図では実線が描いてありますが、ススキや笹が背丈以上に茂っていてその間を歩く道です。笹が倒れてきたら歩けなくなりそうでした。なお、向の付近の橋を見るとこの川は武庫川ではなく「むこうがわ」だそうです。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「藍本」です。
北寄りの道で登って行ったのですが、道が下りになる所から山道に入りました。と言っても道があるわけではなく、適当に藪を歩きました。山頂付近にはザレ場がありますが、ここに出るのも大変です。地形図ではここには北から道が上がってきています。実際には道はないのですが、後で歩いてみると、途中から道が消えおり、カーブミラーが藪の中に倒れていました。この付近は売地になっており、建設会社が作った供養塔があったり放棄されたナンバー付きの自動車があったりとか、謎めいています。とにかくザレ場の上の藪を無理やり抜けて、南に枝をかきわけて歩きました。310m+付近まで来ると道も少しはっきりしてきました。326mピークにはNo.29の標石がありますが、その手前の27で東に降りなければなりません。ここはちょっと藪っぽく、その後の登り斜面もあまり明瞭な道はありませんが、黒谷山に登ると黒谷山四等三角点(373.67m)の付近には道がありました(写真)。この先も明瞭な道はなく、時折マーキングがありますが、それが目指す方向に行っているという保証はありません。しかし、なんとなく踏み跡があります。黒谷山の東はシダ藪もあり、かなり荒れていますが、遠城寺山へ向かう方向は道があります。鞍部には、なんとなく横切る道がありそうな感じでした。遠城寺山への登りは道はありませんが、尾根に出れば明瞭な道があり、遠城寺山にはプレートもありました。
遠城寺山から東の尾根はわりと気持ち良く歩けました。尾根の東端の380m+ピークには向山(389m)という札がありました。この北側の住宅地は向という名前のようです。共同アンテナが倒れていました。この先もなんとなく落ち葉を踏んで歩けて、茗荷谷山に着きました。天神谷三等三角点(427.32m)があります。この先は少し藪っぽくなりましたが、特に問題もなく天神岳(440m)に着きました。ここからの下山は、まず適当に北へ歩きやすい方へ歩いたのですが、結局[1]とほぼ同じ尾根を伝って下山しました。少し急な場所もありますが木に掴まって降りられました。石岩流の跡とか間伐材だらけの植林を通って、武庫川の岸に出ました。ここには地形図では実線が描いてありますが、ススキや笹が背丈以上に茂っていてその間を歩く道です。笹が倒れてきたら歩けなくなりそうでした。なお、向の付近の橋を見るとこの川は武庫川ではなく「むこうがわ」だそうです。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「藍本」です。
2017年12月10日日曜日
恋山形駅から登る穗見山
穗見山には2017/8/11に登りましたが、その時の経験から恋山形駅近くから登るのが楽そうでした。そこで今回は駅の裏手の林道から登りました。未舗装のつづら折りの林道を登ると、期待どうりに支尾根の真ん中で終わっていました。ここからは植林を登ります。いわば尾根の一本道で、ひらすら登っていくだけです。
しばらく登ると北の方から林道が尾根まで来て戻って行きました。尾根を南に横切る林道はこの付近にはありません。しかしさらに植林を登っていくと、標高700m近くで林道が尾根を南北に横切っていました。「森林作業道大内ヒナタ下線」だそうで、平成28年度施工という新しい林道です。登り始めの付近では雪はまばらにしか目につかなかったのですが、この付近からは地面は雪で埋まっていました。雪を踏んで最後の急斜面を登って主尾根に出ました。南に少し歩くと穂見山の山頂です。穂見二等三角点(976.01m)も雪に埋まっていました(写真)。背景の木の向こうの山が那岐山でしょう。
下りは前回と同じ尾根にしました。10cmほどの雪が積もっている主尾根を北に降りていって、前回と同じに尾根を下りました。前回尾根を間違えた所は注意深く下りました。雪の上に熊の足跡があり、それを伝っていくと前回同様に小さな池に出ました。周囲は雪がありますが、水は凍っていませんでした。そのまま下って林道に出て、アンテナ群を抜けて降りましたが、林道が大きく迂回している所は前回と違って斜面のジグザグの林道を降りてみました。あまりにジグザグなので実際に歩く距離は変わらないと思いますが、ミツマタがもう花を咲かせる準備をしていました。最後は例によってピンクに染まった恋山形駅を見て帰りました。
雪で寒かったので急ぎ足で歩いたため、3時間もかからない登山でした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。
しばらく登ると北の方から林道が尾根まで来て戻って行きました。尾根を南に横切る林道はこの付近にはありません。しかしさらに植林を登っていくと、標高700m近くで林道が尾根を南北に横切っていました。「森林作業道大内ヒナタ下線」だそうで、平成28年度施工という新しい林道です。登り始めの付近では雪はまばらにしか目につかなかったのですが、この付近からは地面は雪で埋まっていました。雪を踏んで最後の急斜面を登って主尾根に出ました。南に少し歩くと穂見山の山頂です。穂見二等三角点(976.01m)も雪に埋まっていました(写真)。背景の木の向こうの山が那岐山でしょう。
下りは前回と同じ尾根にしました。10cmほどの雪が積もっている主尾根を北に降りていって、前回と同じに尾根を下りました。前回尾根を間違えた所は注意深く下りました。雪の上に熊の足跡があり、それを伝っていくと前回同様に小さな池に出ました。周囲は雪がありますが、水は凍っていませんでした。そのまま下って林道に出て、アンテナ群を抜けて降りましたが、林道が大きく迂回している所は前回と違って斜面のジグザグの林道を降りてみました。あまりにジグザグなので実際に歩く距離は変わらないと思いますが、ミツマタがもう花を咲かせる準備をしていました。最後は例によってピンクに染まった恋山形駅を見て帰りました。
雪で寒かったので急ぎ足で歩いたため、3時間もかからない登山でした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。
2017年12月2日土曜日
養父市の石禾城
これは養父市と朝来市の市境にある山です。山城の跡があると[1]にあったので登ってみました。起点は普通なら東側の和田山町にするでしょうが(養父駅が養父市の外れにあるのにびっくり!)、先日城山に登った時の土地勘(山勘?)があるので、西側の上野から谷に入って、滝谷神社から登りました。前回は神社の前の急斜面を登ったのですが、今回は少し西に戻って、もうすこしなだらかな枝尾根を登りました。とは言うものの同じだけの標高を登るのですし、途中は急斜面もあって、木に掴まって登るのは同じでした。ややなだらかな尾根まで上がると、前回同様にネットに沿って主尾根の390m+まで登りました。
主尾根を前回は西の城山へ歩きましたが、今回は南に歩きました。コナラを主体とした自然林の歩き易い尾根でした。枝の間からあちこちの山や村が見えますが、これは葉が落ちているからで、つまりは夏にはほとんど展望が無いということです。まずは470mピークに着きました。ちょっと広くて良い感じです。真っ直ぐ歩くと南に行ってしまうので、東に歩きました。コソガ谷四等三角点(449.13m)は山頂の外れにありますが、周囲はコナラの林で、落ち葉が心地よい場所でした。ここから尾根を下って行くと、北側に大きく尾根が削られた場所がありました。丸く斜面がえぐられているのですが、鉱山の跡でもなく、削られた斜面の下に大きな木が生えているので、最近えぐられたわけでもなさそうです。これに気を取られていると尾根を間違えますが、東に斜面を降りて、ひと登りすると395mピークでした。この付近にはかつて共同アンテナがあったのかも知れません。アンプのようなものが落ちていました。
この先はちょっと急斜面を登って460m+ピークに出ました。さらに藪っぽい鞍部に降りてから急登となり、頑張って登ると地籍図根三角点がありました。ここが主尾根です。主尾根を北に歩くと、アシビの生えた平坦地があって上野三等三角点(537.65m)がありました(写真)。ここが石禾城もしくは畑高城です。確かに北側周辺に平坦地が作られており、山城か何かがあったようですが、今は展望は全くありません。
城跡から北に降りると、次の520m+ピークが石禾上城だそうです。ちょっと見て城跡という印象はありません。しかし木々の間から円山川沿いが見えるので、見張り場所としては使えるかも知れません。石禾というのは、ここの東側を流れる川が石和川(イサワ川)で、この和の字の口を取ったようです。さらに北の鞍部に降りましたが、破線道らしき道はなく、北に登ると480m+ピークが石禾下城ということになります。ここにも地籍図根三角点がありました。この付近は松茸山のようで、荷造りテープが木に巻き付いていました。ここからは西向きに尾根を降りました。すぐに北に急斜面を降りれば410mピークを通って北の尾根に行けますが、どこを降りたらよいのか分からないのでそのまま西に尾根を降りました。こちらは特に文句を言うほどのことはなく、歩き易い尾根でした。だいたいは気持ち良く歩けましたが、最後に滝谷神社に向かって降りる所には溝のような道があるのですが、あまりに急斜面なので、少し北側に斜めに降りて行って、それから神社の方に斜面を降りました。
途中で尾根を間違えたりもしたので、5時間近くかかりました。標高はあまりありませんが、足に堪える山でした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「八鹿」です。
主尾根を前回は西の城山へ歩きましたが、今回は南に歩きました。コナラを主体とした自然林の歩き易い尾根でした。枝の間からあちこちの山や村が見えますが、これは葉が落ちているからで、つまりは夏にはほとんど展望が無いということです。まずは470mピークに着きました。ちょっと広くて良い感じです。真っ直ぐ歩くと南に行ってしまうので、東に歩きました。コソガ谷四等三角点(449.13m)は山頂の外れにありますが、周囲はコナラの林で、落ち葉が心地よい場所でした。ここから尾根を下って行くと、北側に大きく尾根が削られた場所がありました。丸く斜面がえぐられているのですが、鉱山の跡でもなく、削られた斜面の下に大きな木が生えているので、最近えぐられたわけでもなさそうです。これに気を取られていると尾根を間違えますが、東に斜面を降りて、ひと登りすると395mピークでした。この付近にはかつて共同アンテナがあったのかも知れません。アンプのようなものが落ちていました。
この先はちょっと急斜面を登って460m+ピークに出ました。さらに藪っぽい鞍部に降りてから急登となり、頑張って登ると地籍図根三角点がありました。ここが主尾根です。主尾根を北に歩くと、アシビの生えた平坦地があって上野三等三角点(537.65m)がありました(写真)。ここが石禾城もしくは畑高城です。確かに北側周辺に平坦地が作られており、山城か何かがあったようですが、今は展望は全くありません。
城跡から北に降りると、次の520m+ピークが石禾上城だそうです。ちょっと見て城跡という印象はありません。しかし木々の間から円山川沿いが見えるので、見張り場所としては使えるかも知れません。石禾というのは、ここの東側を流れる川が石和川(イサワ川)で、この和の字の口を取ったようです。さらに北の鞍部に降りましたが、破線道らしき道はなく、北に登ると480m+ピークが石禾下城ということになります。ここにも地籍図根三角点がありました。この付近は松茸山のようで、荷造りテープが木に巻き付いていました。ここからは西向きに尾根を降りました。すぐに北に急斜面を降りれば410mピークを通って北の尾根に行けますが、どこを降りたらよいのか分からないのでそのまま西に尾根を降りました。こちらは特に文句を言うほどのことはなく、歩き易い尾根でした。だいたいは気持ち良く歩けましたが、最後に滝谷神社に向かって降りる所には溝のような道があるのですが、あまりに急斜面なので、少し北側に斜めに降りて行って、それから神社の方に斜面を降りました。
途中で尾根を間違えたりもしたので、5時間近くかかりました。標高はあまりありませんが、足に堪える山でした。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「八鹿」です。
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