2015年2月21日土曜日

上郡町の才ヶ峠

才ヶ峠は、上郡町行頭から岡山県の吉永町高田へ行く峠です。岡山県道・兵庫県道385号高田上郡線が通っています。この峠から南の県境を歩いてみました。行頭まで行って、才ヶ峠に通じる小道に入ります。車が一台やっと通れるくらいの道です。家があって車の中の犬に吠えられ、さらに歩くとまた空き家らしい家があり、ここでも犬に吠えられました。松茸山のようで、山に入るなという札がありました。しばらくは良い道ですが、谷が分かれている付近からは道の中央に雨水で掘られたと思われる溝があり、歩きにくくなりました。そして少し登ると、また家が見えました。ここまで電線は来ていませんが、時計のついた立派なゲートのある建物でした(写真)。「ふる里開発センター」と書かれた板が落ちていました。廃墟ですが、ゲートはホラー映画向きかなという感じでした。さらに歩きにくい谷を登るとまた建物がありましたこちらには発電機(?)やコンプレッサーの残骸もありました([1])。とにかく先を歩くと、まず一つ峠があり、「オク●」と掘られた標石がありました。一旦下がって金属の橋を渡り、ぐるっと山の周りを歩き、突き当たり気味のところを左に曲がると、才ヶ峠に出ました。文政4年のお地蔵さんがあります。この付近でやっと気持ちのよい山道に出た、という感じでした。ここにも「オク」と掘られた標石がありました。

才ヶ峠からは北にちょっと登って長谷三角点を見に行きました。三角点のピークは手入れの悪い植林です。三角点は見つけられなかったのですが、どうやら分かりにくい場所にあったようです([1])。峠に戻って、南に県境を歩きました。県境にはずっと道があります。310mピークを過ぎたところで尾根から南に降りなければならないのですが、適当に藪を降りると、道がありました。しかしこの付近はシダが育っており、ひどく歩きにくくなりました。林龍建設の「無断入山禁止 発見次第厳重処分!!」と、神戸の会社らしい中山共有地(この住所と電話番号は現在は井上病院です。昔は中山病院だったらしい)の看板が目立つようになります。「中」という字の書かれた杭が多く、中山共有地の杭かも知れません。県境だというのに目立った標石もありません。道はどんどん怪しくなり、GPS首っ引きで歩くはめになりました。とにかく複雑な地形で支尾根もたくさんあります。間違えずに尾根を曲がり、藪を抜けて丸山四等三角点(309.12m)に行きました。新しい標石に金属チップが埋められていました。周囲は低い松が多く、木の密度は低めでも、枝をかき分なければ歩けません。道もありません。この付近には「入会」と掘られた標石があり、入会地のようです。

下山のためにまず少し県境を引き返しました。そして310m+ピークを東に進みました。最初や藪ですが道が現れ、また中山共有地の看板がありました。この先を東に歩いた尾根はとても複雑な地形なのですが、計画したルートのとおりに中山共有地の道と杭があるのには驚きました。ただし道と言っても消えてしまっている所が半分くらいでした。斜面に道が作られている所は崩落しかかっており、そこにシダ藪が育っているため足元が見えず、すこぶる危険です。枝をかき分け、シダ藪を避けながら複雑な尾根を歩き続けました。行頭三角点のピークはシダ藪ですが、またしても三角点を発見できずに通り過ぎました。この先の250m+の広いピークから、中山共有地の道は北の方へ降りていきます。計画では東の219mピークまで行く予定だったので、ここで道を外れて南に曲がりました。最初はシダ藪の中に道があるのですが、そのうちに消えてしまい、東の210m+ピークへはしだ屋部を降りましたが、途中で道の跡を見つけました。210m+ピークは広いのですが、灌木の藪です。ちょっと地面が掘られた道らしき所を歩いて東に進むと、やっと219m地点に出てきました。「境石堂」「大正十五年」と掘られた標石がありました。ここも広い平地ですが、北に降りることにしました。道と藪を交互に通って、最後は急坂に付けられた道を降りると橋の所に出てきました。害獣避けの扉を開けて、行頭に戻りました。

200mそこそこの低山ですが、4時間半も藪を歩くとさすがに疲れます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「上郡」です。

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