2019年5月6日月曜日

熊山の道々山と大盛山

熊山とは吉井川を挟んで北西に位置する山です。午後から雨という予報だったので、ショートコースとして歩いてみました(が・・・)。

登り口は小瀬木の春日神社です。立派な備前焼の狛犬を見て登山口を探すと、左手の道に「道々山登山口」の札を見つけました。ここから赤いマーキングを頼りに登りました。道はきわめて不明瞭ですが、多めにマーキングがあって辿っていくことができました。真っ直ぐ登らないので不安だったのですが、ついに大きく不安定な岩の所まで来て、次のマーキングを見つけられなくなりました。しかたなしに藪の中を登ったのですが、もっとしっかりマーキングを探すべきだったと思います。というのは、この藪は密度はあまり高くないのですが灌木がしっかりしていて意外と手強く、急斜面を登るのは大変でした。常套手段として西側の南向きの尾根を目指したのですが、こちらは笹薮でまた大変でした。しかし10分も藪と格闘すれば210m+の尾根に出られました。尾根道ははっきりしていますが、標高200mから登りになるとシダが増えてきてジャングルのようになりました。それでも道ははっきりしているので問題なく、下草が消えると道々山の山頂に着きました。小瀬木四等三角点(264.14m)があります。展望はありません。

道々山からは南西に尾根を歩きましたが、自然林の中に道やマーキングがしっかりとあって、楽に歩けました。尾根を南に曲がって乢に近づくと、竹林になりました。枯れて倒れている竹を避けて歩くのは疲れました。おかげで地形図でここを横切っている破線道は未確認です。竹林を抜けると草地となって、机とベンチがありました。木が一本後生大事に植えられていました。草地を抜けると舗装道路に出ました。桜も紅葉がきれいそうですが、この時はどちらも新緑が綺麗でした。この山は倉懸山というようで、山頂にはアンテナがたくさん立っています。携帯基地局が2つ、パラボラ付きは岡山県、テレビ局のもあります。鍛冶屋三等三角点(350.57m)はアンテナ群の間の草薮に埋もれていました。アンテナ群の東側には机とベンチがたくさんあり、竹で作られた展望台もあります。熊山が望めます。その東端に「大盛山山城跡 椿群生地 花火観覧」という立て札があって、良い道が大盛山まで続いています。大盛山からは東向きの展望が開けて、なるほど花火を見るには良い場所です。「和」の字も見えています。城跡はよくわかりませんでした。

大盛山からは南の城山まで縦走する予定でした。しかし大盛山から南東に伸びる尾根は笹薮で、いきなり藪こぎとなりました。少し開けた場所もありましたが、266mピーク付近はまた笹薮で、南に曲がる尾根を探すのに大苦労しました。尾根を見つけても笹の間を抜けて降りて行かねばなりません。しかし踏み跡があって、少し楽になりました。とはいうものの、次の210m+地点でも南に降りる尾根を探すのに手間取りました。真っ直ぐ東に降りれば下草の少ない林に出るのですが、南に折れるには笹やシダの藪を抜けなければなりません。この尾根にも踏み跡はありますが、まさに踏んだ跡があるだけで、枝を押し分けなければ歩けません。160m+まで来ると、下草のない鞍部を抜け、共同アンテナの残骸がありました。所々でツツジがきれいでした。さらに90m+の鞍部は切通しで、道が横切っていました。

城山を目指して切通しの南斜面を登りましたが、藪が続きました。城山の山頂(129m)付近には共同アンテナの残骸がありました。この付近の西側は崖になっており、下には広い平坦地に何かが規則的に植えられているのが見えました(写真)。東側は急斜面です。そのまま藪の中をずっと南に歩いたのですが、一向に城跡らしきものが出てこないし、笹薮にはジャケツイバラも混じって危険なので、最後は西側の平坦地に降りました。ここは採石場の跡地で、規則的に植えられていたのは松の苗木でした。これなら鹿に食べられる心配はないのでしょう。心配といえば、最大の問題は採石場から出られるかどうかでした。操業を止めたらしいので、門は完全に閉められていました。しかし門扉の下には隙間があって、そこから道路に出られました。

結局4時間もかかってしまいました。大盛山からのコースは避けたほうが無難です。結局保木城に関しては、解説板すら無いようでした。遺構は東斜面にあるのかも知れませんが、そちらも藪のようです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「万富」です。

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