2016年11月3日木曜日

加東市御所谷の南の山

三草山の東へ、国道372号線通称デカンショ街道を走ると、御所谷という場所があります。ここは源氏と平家の合戦地として知られていますが、「播磨山の地名を歩く」(姫路文庫)を読んでいたら、ここの南の348mのピークが平家の前哨基地の城山であったと書かれていました。付近の山を歩いた時に、この山も気になっていたので歩いてみました。

御所谷の南側に御所谷新池があります。現在は水はなく、堤防の工事をしているようで、ここには近づきたくありません。そこで、国道近くの溜池から登ることにしました。溜池の東岸から作業道があります。いちおう山に登っていきますが、途中でシダに紛れて消えてしまったので、適当に尾根に上がりました。海抜250mほどの尾根に上がると、灌木とシダの間に作業道がありました。これを北東に歩きましたが、ところどころで藪がきつくて、少し北斜面に降りた所もあります。この付近の低山によくある尾根歩きです。枝をかき分けるのに疲れます。尾根は300m+地点で南に曲ります。ここには岩があって、866の標石があります。この後しばらく南へは道があって歩き易くなりますが、それも続かず、348mピークへの登りは藪漕ぎ状態となります。348mピークも藪で、登山道も説明文も無く、ここが史跡とは思えないような場所です。標石は848です。ここから南はさらにひどい藪で、道はありません。なんとか降りて行くと、西側に道を発見しました。関電の巡視路で、すぐに播磨線175鉄塔に着きました。さすがにここは展望地でした。

巡視路は東にも西にも延びていて、ここから下山という手もありましたが、御所谷新池には降りたくなかったので、さらに南に道を探すと、いちおう切り開きがありました。これはシダの中の道ですが、意外と消えずに続いており、南のピークの付近まで歩けました。しかしシダ藪の中に消えてしまったので、ここは無理して320m+のピークに登りました。ここにもなんとなく切り開きがあるので、そのまま南の357m地点まで歩きました。ここからは西に尾根を降りなければならないのですが、道が見つからず、木で見通しもないので、GPSを頼りに降りました。尾根に乗ると少しは歩き易いのですが、すぐにシダや松などの灌木の藪になり、イバラも多いので歩きづらいことこの上ありません。地面(たいていは砂地)が見えるとほっとする、という状況です。最初は北に御所谷新池が見え、そのうちに南に無量壽寺が見えるようになりました。藪漕ぎで登った最初の350m+ピークの手前からは南に展望がありました。そして、東馬瀬四等三角点(368.64m)に着きました(写真)。この先もちょっと北に展望があり、そこからは木々の間を西に降りました。シダを避ければ、そんなに大変ではありませんが、それでも木の枝が邪魔です。この付近は地形図では針葉樹林となっていますが、植林ではありません。やっと谷に降りると、南西に向かう谷には道があるようでした。しかし、北の谷には地形図どうりの破線道はありません。最初は登りで、その後で下りになりますが、ガレ石の多い谷で、歩きにくいのは藪と一緒です。しかもやっと谷から出ると、そこは川でした。幸いに渡れる場所があって、国道372号線に戻ることができました。

かなりの部分ではかつては作業道があったようですが、現在は登山道と呼べるような道はあまり残っていません。お薦めはできない山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「比延」です。

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