2024年7月27日土曜日

福知から登るユリ三角点

 


一宮町生栖の東の山並みを、少し北の福知の抜山付近から歩いてみました。地形図では耕作地に見える広い谷があり、記念碑のマークがありますし、階段のマークもあります。なんだろうと思って下の方の段になった住宅地を歩いていると記念碑が見えましたが、容易には行けません。最終的には苦労して辿り着いたのですが、ここには北から山沿いの道で来るのが正解でした。これは地形図にある記念碑ではなく戦争で亡くなった方たちの忠魂碑でした。ここから草の生えた登り始めると南の大歳神社の方から良い道があって、これが正解のようです。その道の終わりにある記念碑には山津波と書かれており(写真)、昭和51年に3名の死者を出した大雨による地すべりのことが書かれています。この付近はその時に崩れた場所で、耕作地ではありません。先に見た忠魂碑もこの地すべりで流されて二つに割れています。記念碑の近くには東屋があり、堰堤とため池があります。この上は地滑りの跡で、木が植えられて気持ちの良い林になっています。しばらく登っていき、半分シダに覆われた木の階段を登ると、最上部には「福知地区(Bブロック)の治山事業」というほとんど読めない看板がありました。この先も北向きに道がありましたが、山に登りたかったので南に歩いて急斜面を登りました。


木に掴まって植林を登ると、地形図の林道に出ました。この先に林道はたくさんありましたが、林道は使わずに尾根を登りました。登っていった尾根の南側には林道がたくさんありましたが、大規模な伐採が行われているという感じではありません。尾根も植林が多く、下草はありません。この尾根は長く、標高差も揖保川から600m以上あるので、休みながら登りました。標高650m-の鞍部で林道とニアミスします。そのあとも南側にはたくさんの林道がありました。標高700m付近がややきつい登りでしたが、全体に緩やかで、植林も手入れがされており綺麗でした。855mピークは少しシダが生えている以外はなにもありませんが、少し展望がありました。


855mピークには2009/07/04に岡ノ上三角点から来ています。その時は尾根を西に少し縦走して林道月谷線で降りました。また、2009/07/04には行者山からユリ三角点経由で歩いてきて、やはり林道で下山しました。今回は林道を横目に見ながら藪っぽくなってきた尾根を歩き、さらに防火帯のような切り開きに生えた腰辺りまでのシダの間を歩きました。以前と比べるとシダが元気なようです。そこを抜けると植林で、ユリ四等三角点(760.26m)に着きました。


ユリ三角点から西は折れ曲がった尾根で、相変わらず北側には林道がありました。アセビが邪魔なところもありますが、大体は植林で、650m-の鞍部から少し登ると東向きに林道への道標がありました。この道標はこれひとつきりでしたが、尾根をたどっていくと林道に出られました。これが生栖への下山道だと思ってそのまま尾根を降りる方向に歩くと、低い松の密集地があって林道を見失いました。まっすぐ尾根を降りずに周囲を見渡すとシダの斜面の下に林道があったので、こちらに降りました。この林道で谷沿いに降りて行きましたが、またしても林道は消えてしまいました。踏み跡を探して降りると「くらしを支える森づくり事業」の看板がありましたが、看板にある歩道は見当たらず、踏み跡を探して斜面を登ると、地形図の実線道に出ました。これでやっと下山することができました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」「長谷」です。



2024年7月25日木曜日

川上から平石山と福知川

 


何度か登っている朝来市と神河町の境界にある平石山ですが、今回は川上から尾根をまっすぐ登ってみました。登り始めは大歳神社から東に行ったところにある林道で、害獣よけの扉を開けて植林を登りました。目的の尾根の先はやや急勾配ですが、主に植林なので割と楽に登れました。少し登れば勾配は緩くなりましたが、標高差450mの尾根登りです。特に障害物はなく、踏み跡もあるので、ゆっくり登ればいいだけです。周囲は植林ですが尾根は植林から自然林に変わり、下草はありません。たまにアセビの藪がありますが避けて登れました。842m地点付近には板目の新しい倒木がありましたが、落雷の様子もなく、どうして割れたのか気になりました。この付近から尾根が広がって植林となり、標高850mから少し厳しい真っすぐの急斜面になりました。登りきればまた緩やかな植林で、アセビを避けて歩いていくと、地形図通りの林道の終点に出ました。北側の斜面は広く伐採されています。そのまま登ると稜線を北向きに歩きそうになり、慌てて南に向きを変えました。この地点には悠友山荘の平石山への道標がありました。ここからは稜線を歩き、いったん下ってから登り返しました。するとシダの生えた斜面の先にアシビの藪が現れました。これを避けるために東側を巻いて行くと踏み跡がありましたが、これをたどると山頂の東のシダの草原に出ました。何度も来ていますが学習能力がなく山頂の方向がわからず、南に行き過ぎてから山頂の西側の林に入りましたが、木の枝が低くアセビもあって山頂を探すのに苦労しました。最後は山頂を見つけましたが、朽原三等三角点(1061.2m)は山頂から離れてアセビの下にあったので探すのに時間が掛かりました。どちらも東のシダの草原を横切れば楽にアクセスできます。ここがグーグルマップで「平石山砦跡」となっているのは、謎です。


平石山からは北に引き返して稜線を歩きました。鞍部まで降りると川上への道標があることに気が付きました。斜面の道が流されていなければ、植林の谷を降りれば近道です。稜線を戻って登ってきた標高1000m付近を過ぎるとネットが張られています。1040mピークの手前からは別の青いネットで、1040mピークの北も二つのネットの回廊ができていました。北へ降りていくと、1042mピーク(ヒロシガ峰)の手前で西側のネットは終わりますが、ここは更に北に少し登ってから南西に尾根を降りました。植林を少し降りると林道があり、横切って更に林道を降りていき、軽く登ってアセビの藪を抜けると金属プレートのサカノウシロ四等三角点(1003.28m)がありました(写真)。新しい三角点ですが面白い名前です。しかも同じ名前の三角点が2キロほど西にあります。


尾根を誤らないように気をつけて北向きに植林を降りていくと、2011/04/10、2011/04/17、2015/07/20に見た「桑ノ木谷(歩いてきた方)、川上、ナガソウ」の道標に出ました。ここから「ナガソウ」に向かって北に谷を降りました。かつて道があったのかも知れませんが、今は踏み跡がある程度です。福知川に近づくと沼地も増えて、まず小さな川を渡るとその北には広い平地があり、トタン屋根の小屋がありました。平地は石だらけでした。ここからかつて橋があったと思われる地点で福知川を渡ると2011/07/17や2015/07/20に歩いた川沿いの道に出ました。北に歩くと2011/04/10に見た謎の盛土もありましたが、2011/04/10に千町ヶ峰から降りてきた地点まで行ってから下流に戻りました。バイクで走るのに向いた道で、橋のところまで来ました。ナガソウというのがどこのことか分からなかったのですが、少し下流に行くと長沢村の跡があり、これがナガソウだという説明もある一方で、長層という地名もあるようで[1]、福知川のこの辺りのことをナガソウと呼ぶのではないかと思います。


橋を渡って作業道ナメラ谷線で川上に戻りました。この林道はバイクでも気をつけないと転倒しそうな荒れ方でした。2011/04/17にも行った峠のところには「川上」「川上」「ナガソウ」の道標があり、お地蔵様は作業道とは分かれて西に行く「川上」の方向にありました。作業道ができる前は下の谷からここに上がってくるのが峠越えの道だったようです。地形図にはいまだに描かれていないのですが、ナメラ谷線は林三角点のあるピークを大きく巻いて県道39号線まで降りていきます。歩くとかなりの距離がありました。降りてきた県道にもナガソウへの道標がありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」「神子畑」です。



2024年7月22日月曜日

芦津渓谷の三滝ダムから小藤仙三角点

 


2023/08/26に芦津渓谷の三滝ダムから北に登り、渓谷の北側の山を西に降りましたが、今回は南の大川に降りる計画で、三滝ダムの北の斜面を登りました。芦津渓谷駐車場に車をとめ、前回と同様に三滝ダム北側の「ブナ天然林」の案内板の付近から急斜面を登り、あとは緩やかな登りが続きました。妙に先の尖った岩の先に切り開かれて地籍三角点のある平地があります。この付近から笹が増えてきますが、ブナも増えてきて広々した良い感じで、トウゲシバがたくさん生えていました。この付近に限ったことではないのですが、かつてはチシマザサが茂っていたらしく、枯れた頑丈な茎が地面に落ちているところがあって、気をつけないと怪我をします。1110m+ピークに一旦は登りますが、方向を間違えないように広い斜面を降りて登り、2時間ほど登り続けて、1246mピークに着きました。


もう90分も歩けば鳴滝山まで行けますが、今回はここから下山しました。ここも広々していて方向がわからなくなりますが、東に降りて1240m+ピークに上がり、南東の1240m+ピークから北東の1240m+ピークへ歩きましたが、この付近も低くシダの生えたブナの木がきれいな尾根です。少し急坂を降り、尾根を下っていくと、小藤仙三等三角点(1126.9m)がシダに埋もれていました。この付近から下は低い笹の生えた林で、笹の背が高かったりアシビが茂って邪魔なところもありましたが、植林もあって大きな障害物はありません。標高1000mくらいからは植林の急斜面を降りましたが、川が近づくと森林鉄道のレールがありました。車輪もありました(写真)。森林鉄道は実物が旧山形小学校に陳列されていますが、現場でレールを見たのは初めてでした。この付近では沖ノ山林道は大川の南側を通っており、地形図では大川の北側に破線道があって、これが渡河しているように見えて橋がありそうなのですが、これは森林鉄道の橋でコンクリートの棒が二本渡してあるだけです。しかもここでは大川は二手に分かれて流れており、間の島では線路に木が覆いかぶさっており、さらに南側の橋は落ちています。この様子はストリートビューでもよく見ると見えています。ということで、渡河に橋は使えません。川を二回渡るのは嫌なので大川が一本になっている場所に行こうとしたのですが、これには降りてきた谷に北から流れてきている川も渡る必要がありました。こちらの川は小さかったのでオーバーシューズを使って渡れましたが、流石に大川は水量も多く、倒れないように歩いて渡るのがやっとで、ズボンまでびしょ濡れになりました。それでもなんとか大川も渡って、あとは沖ノ山林道を長々と2時間近く歩いて駐車場まで戻りました。この林道は広域基幹林道というだけあって舗装されていますが、車が多い割には狭くてガードレールのない場所が多く、観光に使うには危険過ぎます。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「郷原」です。



2024年7月20日土曜日

谷川から登る安積の五蔵山

 


一宮町安積の北にある五蔵山には2010/09/26に安積から登りました。今回は西の谷川から登りました。登り口は2024/7/7と同じで「谷彩りの郷」付近で、林道が東西に延びている所です。ここから東向きの林道を登り始めました。林道はすぐに左右に分かれて、左(北)向きのほうが良い道ですが、右向きに進みました。背の高い草の生えた林道で崩落箇所もあり、車両通行禁止と書かれなくても通行不能でした。地形図ではこの林道は尾根先を二つ回って終わっていますが、じっさいには終点の先にも林道が延びていました。二回ターンして登ってから南に延びていましたが、調べてみるとこの林道は2010/09/26の下山で歩いていました。しっかり作られており、南に行くほど道が良くなるので、南の方のどこかで下から上がってきていると思ったのですが、2010/09/26のときには岩谷山(安積三角点)の北で終わっていたようです。西側に展望があり、途中に壊れた木のはしごがあったので、ここから植林を登って750m+小ピークに北に登れそうでした。林道は稜線に達していましたが、とりあえず南に歩きました。751mピークの西の付近に広く切り開かれた場所があり、林道は谷に降りていったので、ここから尾根に上がって方向を変えて北に歩きました。


この付近の尾根は間伐材やシダで埋まっていますが、北に歩くと気持ちの良い尾根になりました。しばらくは西側下の林道と並走し、780m+に登ると松ノ崎山の標識がありました。西の展望があります。ちょっと北に降りると深河谷登山口へのシャクナゲコースの標識がありました。これは2013/04/20に東山からの帰りに降りた道です。この北の750m+小ピークは尖っていて登りにくいのですが、トラロープがありました。そして岩場を歩いてから北に登ると五蔵山の山頂です(大師堂への道標は見落としたようです)。深河谷四等三角点(790.76m)があります。(写真)


下山はさらに北に植林を歩きました。まっすぐに尾根を歩くと西に曲がってしまうので、2013/04/20の逆コースで北に急斜面を降りました。629m地点の手前で東側に林道がありましたが、西に降りました。この付近は鉄穴流しの跡で、はっきりした尾根はありません。鉄穴流しの跡では、削り残しの尖ったピークを歩いていると周囲が急斜面で降りられなくなることがありますが、かといって谷は岩や倒木やシダで歩きにくいので、なんとなく尖ったピークを降りていきました。最後は眼下に林道が見えたので谷に降りて林道に出ました。この林道は最初に見た分岐の北向きの林道で、少し北に行ってみましたが地形図通りに終わっていました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2024年7月8日月曜日

明延の山奥から登るスリガ峰三角点

 


養父市明延の東に位置するスリガ峰三角点には2014/10/08に登っています。今回は山奥から登って、歩く距離と標高差を減らそうと思ったのですが、あまり成功したとは言えません。


明延から鉱山跡の前を通って南東に細い道を走って明延浄水場で車をとめました。ここからは以前に何回も歩いて荒れているのを知っている道を東に歩いて、地形図で墓地のマークのあるところまで行きました。10年前と変わらず立っている墓石はひとつだけ(大正11年に91歳で亡くなったナカ?さんのもの)でした。ここから北に植林の斜面を登りました。非常に急な斜面ですが、木や根に掴まって標高差100mほどを登ると少し楽になりました。それでも急斜面に変わりはありません。標高700m付近に来ると自然林も増えてきました。木に掴まって登るようなところも時々あって、ようやく828m地点に着きました。この付近からはだいぶ楽になりましたが、アシビが邪魔な細尾根もあり、気が抜けません。急坂を登って970m+に上がると気持ちの良い林で、共同アンテナの残骸がありました。ユルユルと坂を登って金属プレートのスリガ峯三角点(1021.89m)に着きました。周囲は切り開かれており、この日は日差しが強すぎでした。


スリガ峰三角点からは2014/10/08と同じように市境の稜線を縦走しました。美しい林ですが、せっかく登ったのにもったいないというくらいに急降下して820m+の鞍部まで降りて、アップダウンを繰り返していきます。東側下方には須留ヶ峰林道が見えて、これを使えば南の836m鞍部の付近で明延側にも行けることは2023/10/07に確認しましたが、山歩きを続けました。かなり厳しい登りのあとで、植林の中の金属プレートの金ヤガ谷四等三角点(929.37m)に着きました(写真)。


下山は金ヤガ谷四等三角点から南西に延びる尾根にしました。最初のうちは気持ちの良い林でしたが、徐々にアシビが増えてきて、岩場もありました。さらに標高770m付近では尾根が西と南に分かれていますが、行きたい長い尾根は南西で、こちらは急斜面となっていました。最初は南寄りに降りていったのですが、斜面が急すぎて降りられなくなり、結局崩れやすい砂地の急斜面を根や岩に掴まってよじ登り、西向きの尾根に行き、そこから南の谷の植林を降りました。地形図の急斜面がどれくらい急なのかは行ってみないと分からないとはいえ、もっと地形図をしっかり見るべきでした。この下の尾根は地形図から予想される以上の急勾配で、滑りやすくて危険でした。最後はさらに急斜面を木に掴まりながら降りて、出発点の墓地に戻りました。危険な尾根でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「大屋市場」です。



2024年7月7日日曜日

谷川から登る波賀町の谷村三角点

 


波賀町上野の東の山にある谷村三角点には2010/08/27と2015/11/15に登っています。今回は東の谷川から登りました。登り口は「谷彩りの郷」付近で林道が谷川を渡っている所で、2015/11/15に下山してきた場所です。その頃と違うのは新しい林道が作られていることで、谷川を渡って北に歩くと堰堤の手前で折返してジグザグに登って行きます。しかし2回ほどターンして北に向かっていくと終点になってしまいました。周囲は非常に急な植林で簡単には登れません。林道の先を伐採した木を避けながら少し北に歩くと、岩が増えてきて踏み跡もあり、尾根登りになりました。この付近は2015/11/15に見たように南側の谷は鉄穴流しの跡になっています。2015/11/15には苦労せずに降りられたようなので、林道を使わずこの谷を登れば楽だったかも知れません。


しばらくは鉄穴流しの跡に残された細いピークをたどって登っていきました。ちょっと急斜面を登ると平らになって596mピークに着きました。ここからしばらくは楽ですが再びやや急斜面となり、標高660m付近で北から来た林道が終わっていました。さらに植林を登り続けて、稜線に出ました。南に向かってきれいな植林を歩くと鞍部にアンテナがありました。さらに登っていくと藪があり、アシビの根元に谷村三等三角点(769.85m)がありました。藪の外はきれいな植林です。少し休んでから北に戻りました。650m+ピークには共同アンテナの残骸があり、さらに次の640m+にも共同アンテナがありました。さらに北に歩くと、標高700m付近で林道が尾根を東西に横切っていました。登ってくる途中で見た林道かも知れませんが、東を見ると伐採地が広がっています。林道は使わずそのまま植林の斜面を降りて、北からの林道が山の東西に分かれる分岐点に出ました。少し林道を北に歩きましたが、林道が西に曲がっていくので植林をまっすぐに北に降りました。あとは林道を降りました。


地形図にあるように林道は谷川に近づくと南向きと北向きに分かれます。この付近の西側は鉄穴流しで削られた谷で、谷川から標高差10mも越えれば谷です。つまり簡単に川の流れる向きを変えられます。昔の人達はそこまではしなかったようですが、じっさいに谷川から西の谷に水路が引かれていました。この付近は谷川に細い橋が掛けられており、東屋があります。この付近にある、北の谷川と西の谷を隔てている細長い山は鉄穴流しの削り跡で、登ってみると馬の背が連なる面白い山でした(写真)。あとは谷川に沿って道を下りましたが、谷不動滝は案内図の遊歩道が消滅しており、北の子育て不動のところの階段を降りて眺めるようになっていました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」です。