2018年6月9日土曜日

法道寺城から登る養父市の石禾城

養父市と朝来市の市境の尾根に位置する石禾(イサワ)城は、2017/12/02に西から登っていますが、調べてみると東から登るほうが楽そうなので、こちらのルートでも登ってみました。登り口は国道9号線の法道寺交差点を南西に曲がり、少し走って法道寺城跡の看板が出ているところです。法道寺城は中山城とも呼ばれるそうで、戦国時代後期に改築されたと書かれた説明板があります。指示に従って法道寺(高野山信号週亀岡山 法道密寺)に向かい、鐘楼の後ろから大手登城路に入ります。イノシシ避けの扉を通ると「大師みち」という矢印がありますが、ここからは八十八ヶ所のお参りができる道です。これを登っていくと、山頂近くに大手虎口という看板があり、ここから先が城跡となります。確かに深い堀切があり、平らな山頂は周囲が盛り上がっており、ここが本丸跡となります(写真)。目指す方向へは大土塁を越して西に降りて堀切を渡ります。

ここからは尾根登りですが、すぐに尾根上に頑丈な金網があります。とりあえず北側に扉で抜けて金網沿いに登りました。そのうちに金網は終わって、やや急な登りになりました。そして地形図で尾根を南北に破線道が横切っている場所は、広く平らな場所で、ここも周囲が盛り上がっている感じがして、山城の一部だったような感じでした。そしてさらに登っていくと、石禾上城に出ました。市境の尾根です。前回は市境の尾根を歩いただけだったのであまり山城の感じはしなかったのですが、下から登ってくると山城のような気がしました。市境を南に歩けば、石禾城(畑高城)です。この手前がやけに急斜面なのですが、ここは堀切があるのです。山頂の廻りには一段低い所にぐるっと平坦地があります。このような人工の地形が500年近くも残っているのには驚きます。山頂には上野三等三角点(537.65m)があります。

下山はまず前回と同じく市境の尾根を北に歩きました。石禾上城を過ぎて、急斜面を降りますが、ここにも堀切があったのかも知れません。鞍部付近には地形図では破線道があります。はっきりしませんが、道の跡があるかも知れません。地籍図根三角点のある石禾下城からは今回は東にさらに市境を降りました。この尾根は切り開きが多く、勾配はなだらかで、実に歩きやすい尾根でした。ほぼ平坦地を歩いているような感覚でしばらく歩けました。植林が増えてきて、少し急斜面を降りると宮内四等三角点(220.32m)に出ました。ちょっと切り開きがあります。この付近からもさらに市境を降りましたが、そのままだと野球場の方に行ってしまい帰りが遠くなるので、東の植林を降りました。谷に降りると頑丈な金網があり、扉はあるのですが針金が錆びていて開けられず、別の扉を探してやっと外に出ました。東に降りると墓地に出てきました。

下山に登った尾根は距離は長いのですが勾配は緩いので楽に登れそうです。法道寺城からの尾根も、急登はありませんでした。法道寺城や石禾城については[1]に詳しく解説されています。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」です。

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