2012年6月30日土曜日

西から登る入相山


午後から雨の予報だったので、昼までに登れそうな山ということで、入相山に登ってみました。登り口は粟賀町から越知川を東に遡った岩屋です。地名の起源(?)の岩を右手に見てから川を渡って高坂トンネルに向かいました。トラックが多く行き来しています。少し車で登ってから、高坂峠に向かう旧道と交差するところで車をとめて歩き始めました。

旧道も車で登れる道です。しばらくくねくねと登ってから、道が大きくヘアピンカーブするところで植林を登り始めました。ここからは北に水平に道があるのですが、山側は崖で登れません。植林は急で伐採した木が転がっていますが、我慢して登ればすぐに尾根に出られました。主尾根を目指して登って、460m+のピークに出ました。このあたりまでは植林ですが、主尾根を南に歩くと雑木林になりました。ここでは赤岩四等三角点(441.17m)を探すことが主な目的だったのですが、三角点は西に少し尾根から降りたところがあるようで、結局見つけることができませんでした。雨も降りそうだったので、先を急ぎました。

しばらくは平坦な雑木林ですが、それが終わって鞍部を過ぎると急な登りになりました。標高差200m近くを直線で登ります。今にも落ちてきそうな岩もありますが、雑木林で灌木が少し邪魔な程度でした。たまに越知川沿いが見える程度で展望もなく、714mピークに出ました。ここからは楽に歩いて740m+ピークで「多可の天空を歩く 仙人ハイク縦走コース」に出ました。この地点は「大屋峠北」だそうです。あとは整備された尾根道をアップダウンして入相山(いりあいさん)山頂に出ました。入相山三等三角点(780.21m)がありました。東側に展望があるはずなのですが、この日は雲が多く視界ゼロでした。

この先は750m+ピークを通って鞍部へ降ります。ここは地形図で破線道が通っていますが、ここを通り過ぎてピンクのマーキングのある急斜面を登って662mピークに出ました。しかしここには天空の多可の標識がありません。どうやら縦走コースは鞍部から高坂峠の方に植林の中を降りているようです。しかし私は天空を貫徹して町境の尾根を通って高坂峠に降りました。植林ですが、ちょっと急なところもありました。

高坂峠には天保5年の子安地蔵(写真)と「為無縁仏供養」がありました。峠の東側の林道は「作業道奥山3号線」だそうで、笠形林道に繋がっているはずです。あとは舗装された旧道を歩いて降りましたが、途中に地形図で丸の中に四角が二つ描いてある場所があり、興味があって見に行きました。数メートルの深さに掘られた場所に建物があり、フォークリフトが停まっています。この掘られた場所にはトンネルで入るようになっていますが、鍵がかかっています。そこには「立入禁止 兵庫県火薬類保安協会会員」という赤い札が懸かっていました(「火気厳禁」もありました)。火薬庫でしょうか?なぜこんな所に?

手短なコースで780mの山に登れました。旧道で尾根まで自動車で登れるので、それが一番手っ取り早いことは間違いありませんが。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「生野」です。

2012年6月24日日曜日

宍粟50名山波佐利山


別に宍粟50名山だからというわけではありませんが、波佐利山に登ってきました。赤西渓谷の木の切り出しが終わるまでは、兵庫県側からは音水渓谷を遡るしかありません。音水林道がどこまで行けるかは分かりませんが、とりあえず行けるところまで行ってみようと思って波賀町音水から音水川を遡っていきました。危なげな所もありますし、時々大きな石も転がっていますが、結論としては林道の終点にある登山口までは普通車でも行けるようです。私は途中で悪路の運転に疲れてきたので、「ニッセイ宍粟の森」の看板が出ている所に車を置いて歩き始めました。「ニッセイ宍粟の森」はこの先約2.6kmにあるというのですが、どこでしょう?資料を見ると音水渓谷の東側のようです。

さてここから歩き始めたのは音水林道ではなく、西に分岐する林道です。谷の上部斜面に作られており、時々は展望があります。しっかり作られた道ですが、突然大問題が起きました。道が完全に崩落しているのです(写真)。見たところ道路の部分の土砂が失われてしまったようです。ここは山側の斜面をトラバースして先に進みました。ガレ石の多い斜面でしたが、意外と楽に横切れました。しかし問題はさらに続きます。道路の真ん中に幅1mくらいの亀裂が続いているのです。これも放置すれば崩落に繋がりそうですが、ちょっと行くとこの亀裂に水が流れていました。水の源は堰堤で、堰堤から出た水はトンネルで道路の下を流れるようになっているのですが、そのトンネルが詰まったために道路に溢れ出ているのです。この堰堤は「音水イトジロウ谷鋼製谷止」だそうで、平成12年度に作られたちょっと変わった作りの物です。堰堤そのものは今でもしっかりしており、木がたくさん詰まっているという以外は問題無いようでした。

さて登山はここからです。予定では堰堤の先の尾根を登ることにしていました。尾根の先端は崖ですが、ぐるっとまわると作業道があって、楽に尾根に登れました。植林の尾根ですが、勾配は大したことはありません。太い自然の木立を切って、その後に植林したようですが、全くケアがなされておらず、低い杉が雑然と生えています。その間の大きな切り株の方が目を引きました。30分ほどで主尾根に出ましたが、主尾根には道は無く、藪でした。しばらく西へ歩くと灌木は減ってきましたが、今度はチシマザサが増えてきました。この兵庫県と鳥取県、岡山県の境界はチシマザサの強力な藪が多いことで知られています。ここもそうなのかとドキドキしましたが、登りになるとまた灌木や倒木が増えてきました。この付近までは基本は自然林で、大木が目立ちました。

1161m地点に来ると、周囲は植林となりました。南の尾根から道が来ているようで、ピンクのマーキングが西へと続いていました。この道は次の1150m+ピークで北の林道終点に降りていきましたが、そのまま西に歩くと今度は林道終点から登山道が上がってきて、マーキングと道標を頼れるようになりました。周囲はずっと植林なので、歩き易い道です。1122mピークには、ここが1122mだと書いてありました。そして、波佐利山山頂に着きました。歩き始めて2時間半弱でした。波左利三等三角点(1191.56m)がありました。

ちょっと県境を見に行ってから下山にかかりました。下山は林道ではなく音水川の北の山の尾根と決めていたので、山頂から少し降りたところで藪に突入して尾根に乗りました。最初はやや急ですが、危険なほどではありません。チシマザサはここにも生えています。背の高さを越すような場所もありましたが、そんなに密に生えていないのでかき分けて歩けました。しばらく降りて行くと、いかにも自然林という感じになって、巨木だらけでした。根が分かれたものが多く、三つ足や四つ足の木がたくさんありました。この付近が原生林なのかも知れません。

1020m付近まで尾根を降りていくと、いきなり視界が開けました。尾根が笹の草原になっており、その中に枯れたブナが一本立っていました。他には木が無いので、谷の向こうの林道をはじめとして、周囲の山がすべて見渡せました。この先東の尾根には大きな木はすべて切られてしまったようで、代わりの木が植林された様子もなく、低い松やアセビなどが生えていました。ということはけっこうな藪で、枝をかき分けて歩きました。伐採を行った時に使った尾根道が途切れ途切れではありますがかすかに残っており、枝を押しのけてこの道を辿って下山しました。最後はさすがに道を通ったかどうかはっきりしませんが、それでも地形図にある堰堤の所に無事に降りられました。あとは林道を歩いて車まで戻りました。堰堤のすぐ下の向谷橋では、鉄製の欄干が大きく曲がっていました。両側なので交通事故とは思われず、洪水で大きな木が流されてきてぶつかったのでしょうか。

藪も多かったのですが、帰りに寄った明神滝も含めて見所の多い登山でした。自然林の新緑がきれいなので癒やされました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」「戸倉峠」「岩屋堂」です。

2012年6月23日土曜日

波賀町鹿伏の石亀・道谷三角点


このあいだ(2012/05/26)国道29号線沿いの波賀町鹿伏から三久安山へ歩いた時、北に見えていた尾根です。割と平坦な長い尾根で、歩こうと思い立ったのですが、どこから登るかが難題でした。結局鹿伏の北の集落から川沿いに延びる林道の入口に車を停めました。川に橋が架かっている所の東側です。「入山禁止」と書いてある林道を上っていくと、川を渡ったところから簡易舗装になりました。この川は急流で水の流れは美しいのですが、少し行くとトラックが止まっていて木を切り出しているようでした。そこで林道は諦めて、川を渡ったところから西側の植林の中を登りました。かなりの急勾配を斜めジグザグに登って行くと尾根に出ました。尾根も急ですがとりあえず真っ直ぐに登れました。

植林なので登りやすいのですが、急勾配で疲れました。ところどころ平坦になるので休みながら登って行きました。三角点に近づくと、東側から道が登ってきていました。そして木の階段があり、石亀四等三角点(828.08m)に着くと、なんと木で作った二階建ての展望台がありました(写真)。ただし残念なことに周囲の木が伸びすぎていて、展望は全くありません。何の説明も無いので、いったい何の目的で作られた展望台か分かりませんが、道は西側にもありました。東側の道は、橋の所にあった「水源かん養保安林」の看板によると、「入山禁止」の林道の奥の方から来ているようでした。西側は全く分かりませんが、「くるみの里」の遊歩道のようです([1])。

三角点の東にも階段があり、しばらく歩くと大きな木のベンチがありました。ここが遊歩道の最終点らしく、その先には特に整備された道はありませんが、歩くのは楽でした。868mピーク付近は自然林で緑が綺麗でした。その先は尾根が細くなり、岩も増えて楽しく歩けました。そして尾根に青いネットが現れると東南側は伐採地となり、ちょっと登って950mピーク付近は植林です。道谷四等三角点(926.10m)は周囲が伐採されているのでシダが茂っていました。ここが道谷奥山です([2])。この付近は植林の倒木がありますが、歩けないほどではありません。尾根が南東に曲がって870m+の鞍部からは西側の谷が一望できますが、谷の突き当たりはほぼ完全に伐採されています。1012mピークへの登りは美しい自然林です。鹿がたくさん走っていました。1012mピークから992mピークまではやけに平坦な自然林の尾根でした。そして1050m+ピークに出て西に折れると、この前も通った1067mピークに出てきました。ここが本日の最高地点です。

あとは前とは逆コースの下りです。三宝四等三角点(1034.31m)付近はちょっと展望がありました。その先は尾根から南西に降りるのですが、前回登ってきた時には迷いようがなかった所が、降りる時には分かりにくくなります。この後も何回か北の谷に降りそうになりながら主尾根を西に歩き続け、最後は北側の尾根を真っ直ぐ降りていき、原横行線29鉄塔に出てきました。さらにその後も真っ直ぐに西に尾根を降りると、自動車を止めた林道の入口に出てきました。まさに完璧な下山でした。

全部で5時間ほどですが、大展望は無いものの大木や緑が楽しめる良いコースだと思いました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。


2012年6月17日日曜日

マンガ谷川と阿舎利山と日ノ原山


国道29号線沿いに山崎から北に走ると、音水湖の手前にマンガ谷川という気になる名前の川があります(万ガ谷と書くとあまり気にはなりませんが)。地形図から見ても険しい渓谷で、とても歩いては登れそうもありませんが、その川の上流には南の野尻や東の阿舎利から林道が延びています。なんでわざわざ大廻りして峠を越えてまでここに林道が来ているのか、よく分からないのですが、面白そうな地域であることは確かです。調べてみると、29号線沿いの日ノ原から日ノ原山への登山道でマンガ谷川の上流に出られるようなので、日ノ原山登山を兼ねて行ってみました。

日ノ原の集落自身も変わっていて、山の斜面にあります。29号線からはほとんど見えません。そんなに広い畑があるとも思えません。集落の中を登って行くと大森神社があり、その奥が日ノ原山登山道の始まりです。大森神社には公民館があり、中には6名の戦死者の写真が掛けてありましたが、この小さな村から6名というのはかなりの数だと思いました。

登山道は地形図のように真っ直ぐではなく、ジグザグに登っていきます。おかげで楽に登れました。峠近くで斜面を登る方向に道標のある所は、真っ直ぐ行くとトンネルがあります。トンネルといってもトタンの管ですが、向こう側の光が漏れていて、コウモリがいなければ通ってみたいと思いました。気になったのはトンネルまで行く間に立っている排気管のような棒なのですが、何でしょう?

峠に出ると、マンガ谷川の全容が見えます。目の前はかなり広い谷です。下流側(西側)は両側が切り立っており、確かに道を作るのは難しそうです。滝登りは楽しそうですが([1])、登山向きではありません。日ノ原山の登山道はここで北側の尾根に乗りますが、マンガ谷川の様子を調べるために川を遡りました。道は北斜面の上の方に付けられています。倒木や崩落があって安全とは言えませんが、川の分岐まで東に行けました。この付近の川には低い堰堤があったり、かなり手が入れられています。川の北側には歩いてきた道よりも下にしっかり作られた道があり、そこには太い黒のプラスチック管が延びていました。ただし両端とも何にも繋がっていません。この道はさっき日ノ原村から通ってきた峠の下付近まで延びていそうでした。地形図にある川の南側の破線道は、上から見ると何らかの形跡がありました。

そして北から来ている川を渡ると(朝までの雨で水量が多く苦労しました)地形図どうりに林道がありました。この付近まで来て、阿舎利山に登ってみようという気になりました。林道を南東に歩き、マンガ谷川を遡りました。よく整備され、使われている感じのする林道です。川もきれいです(写真)。少し行くと江戸時代の墓石が21基並んでいました。どれも寛政年間のもので、女性のものもあります。200年以上前、この付近で鉄穴流しで鉄を採っていた人たちがいたのでしょう。農民が農閑期に働いていたと言われていますが、寛政年間は12年しかなく、その間に21人がここで死んでいるわけです。2012/06/02に南の笠ケ城山に登った時に見た墓石は文政と天保が主だったので、こちらの方が数10年古いことになります。戒名があるので、僧侶を呼んできて葬式をして、自分の村に返さずにここに埋葬したのでしょうか?

林道が川を渡る付近で川を渡らずに地形図の破線道に入りましたが、これも割と良い道でした。そして、その東の幅の広い谷は両側に林道があったので、東側の林道を登って行きました。最終的にこの林道は893mピークから西に延びる尾根の下で終わっていました。急斜面を登って尾根に出たところ、反対側には尾根を登る林道が来ていました。この林道でまっすぐ尾根を登りましたが、林道は尾根の手前で東に巻いて行ってしまったので、尾根にあがって893mピークに行きました。アシビの藪でした。ピークの先の尾根は手入れの悪い植林ですが、歩くには不都合はありません。南側に林道が走っているのが気になりました。

尾根歩きを続けると980m+の長い尾根に出ましたが、ここも歩き易く、その尾根の終わりまで来ると少し下った鞍部の南側にまた林道があり、鹿が振り向いてこっちを見ていました。結局ここまで林道伝いに来れるようです。このあとは少し登りがありますが、主尾根に出ると「阿舎利峠」という道標がありました。反対方向(北)に歩くと「阿舎利川源流モニュメント」なるものがあり、そこから急登して阿舎利山山頂に出ました。引原山三等三角点(1087.20m)がありました。北に音水湖の北側の眺望が少しあります。

下りはなるべく谷を通らないようにと思って、阿舎利山から西に尾根を降りました。この尾根は見通しの効かない植林の下にあるので、探すのが一苦労でした。やっと尾根を探しだして、少し下っていくと道らしきものが現れました。最初の予定は真っ直ぐ西には行かず、少し北に寄って850mピークを目指すつもりでしたが、真っ直ぐの尾根ではないので苦労しそうでした。この道は、斜面では下側に丸太を置いて崩落を防いでおり、階段も作ってあります。マーキングは無いのですが、これだけしっかりしていればどこかに出るだろうと考えて歩き続けました。最初は谷に降りていきそうでしたが、斜面を横切るようになり、いったん谷を降りますがまた斜面をトラバースし、丸太橋を何回か渡り、かなり長く歩いて、結局850mピークの一つ南側の尾根に出ました。付近はずっと植林です。これを降り、伐採地の横を降りて林道に出てきました。出てきた地点は林道の終点ではないので、登りでここまで降りてきた道を探すのは容易ではないでしょう。

林道に出ても、そのまま歩いて行くとどこに行くか分かりません。そこで林道が850mピークから西に延びる尾根の鞍部に接近したところで尾根に乗り、そのまま800m+の小ピークを二つ越えました。この付近はかなりの藪で、気が付くと北側に伐採地があったので、適当なところで伐採された植林を降りると林道が谷を走っていました。この林道の向こう側にも尾根があり、それを越えると谷に降り、林道が南から来てUターンしていました。ここは地形図では音水湖方面から破線道が延びてきている谷です。マンガ谷川に林道を通すならこの鞍部を通すのが一番近道の筈なのですが、ここには林道はありません。鞍部の北側は伐採した木が転がっていました。鞍部には「波賀町有林 大字日ノ原 字ヤナゴ」という札が立っており、山林の所有者が異なるのかも知れません。

ここからは林道には頼らず尾根に登り、北西に進んで一度下ってまた登り、最後は標高差30mを力を振り絞って登りました。登る前に、音水湖が少し見えました。登ったところには建設省の通信施設があり、音水湖の様子を時々刻々どこかに知らせているようです。パラボラアンテナは東を向いていました。ここが日ノ原山山頂で、日ノ原四等三角点(788.74m)もありました。ここからは1000段以上の階段を降りて下山です。階段は嫌いですが、急斜面が多いのでこれは助かりました。途中に原横行線7鉄塔があり、ここからは音水湖が望めました。その先は植林を降りて、29号線に出ました。29号線を走っていて、道の脇にやけに広い平地があるなと思っていた場所でした。歩き始めて4.5時間でした。

あちこちに鉄穴流しの跡と思われる地形がありますが、どこをどう使って鉄穴流しを行っていたのか、興味の尽きない地域です。引原川からはマンガ谷川は全く見えませんから、租税集めの役人も来なかったかも知れません。言わば秘境ですね。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2012年6月3日日曜日

加西の万願寺川上流を一周


川のどん詰まりは周回コースを組みやすいのですが、これは万願寺川のどん詰まりです。この川は加古川に合流するまで加西市内をかなりの距離流れますが、源流は上万願寺町にあります。登り口は川の東側にある金剛院にしました。隣にある若一神社の本殿の後ろから藪に入ると、いかにも簡単に山に入れました。網などはまったくなく、植林の斜面をのぼっていくと尾根に上がれました。西から道があり、尾根を東に歩くと電気の通った紐が張ってあり、ここが里と山の境界なのでしょう。

この先にも道があり、少し登ると共同アンテナがありました。さらにその先の斜面にもケーブルが埋まっており、240m+付近にも大きな共同アンテナがありました。「平成21年度電波遮蔽対策事業費等補助金事業」だそうです。この先は道が整備されているとは言えませんが、整備されていなくても登るには困りません。370m+付近でちょっと東側に展望があり、410m+ピークは落ち葉の積もった気持ち良い場所ですが展望はありません。この先もほとんどは落ち葉を踏んで歩ける気持ちのよい尾根です。倒木はありますが、自然林なので跨ぐだけです。木の間隔が広いところが多く、少ないですが巨木もあり、休んで鑑賞しました。展望はたまに木の間から東西が見えるだけです。

456mピークの南のピークで加西市と多可町の境界に出ました。方向を確認して北に降りて、456mピークを越え、境界歩きを続けました。ここは以前に歩いたことがあります(2011/12/29)。456mピークの北の430m+で西に向きを変えると倒木地帯でしたが、ひどく困ることはありません。他はほとんどは気持ちのよい尾根でした。429mピークを過ぎ、ひたすら北に歩いて469mピークに達して斜面を降りると、鞍部にはネットが張ってあり、北側は伐採地なので展望がありました(写真)。登り返して、なんとなく人工的な平坦地を過ぎて、急斜面を登ると神河町、加西市、多可町の境界点に出ました。「播磨山の地名を歩く」によると、ここは岳山と言うようです。ベンチがあるので少し休みました。

この先の西への尾根も以前に歩いたことがあります(2012/03/04)。最初は道がありますが、岩戸神社に降りる谷の付近を過ぎると無くなります。この付近では北側足下には笠形林道が走っており、遠くには岡部川が見えました。今回は更に418mピークまで歩き、南の尾根に進みました。418mピーク付近はアシビなどが茂っていて、地籍図根点があります。ここから南に斜面を降りましたが、整備された道があって、この先も歩きやすい尾根が続きました。展望はありませんが、真っ直ぐ南に歩くと、318mピークに出ました。たまに尾根沿いに道があることもありますが、ほとんどは多少枝が邪魔な程度の藪でした。最後は植林を抜けて、畑に出ました。

3時間半ほどの特徴の無い山歩きでしたが(三角点がありません)、ところどころ新緑もあって、軽快に歩けたので満足です。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」「北条」です。

2012年6月2日土曜日

波賀町皆木の笠ヶ城山


この山は宍粟50名山に指定されており、登山記録も多々ありますが、整備された登山道は使わずに29号線から登ってみました。

登りに使ったのは皆木の西に降りてきている尾根ですが、地形図では尾根裾の形が今ひとつはっきりしません。とりあえず地形図にある墓地に行ってみて、東側の林に入りました。しかし二重の鹿避けフェンスがあって山に入れません。しばらく東に歩いて、入口を見つけました。ここから山裾に入ると、地形がいかにもおかしく、採鉄のために地形が変えられたと思われます。地籍調査のピンクテープだらけの、凸凹の多いなだらかな地形を登って行くと、急斜面の下に出てきました。ここには作業道があります。登っては行かないのですが、とりあえず尾根を探しに西に歩きました。歩いているうちに、これが[1]にある作業道であることに気が付きました。ということは歩きすぎると広路の方に行ってしまうので、急斜面を登って尾根に取り付きました。

藪山ですが、枝をかき分ける必要は無く、新緑の自然林の中を登りました。急勾配もありますが、標高450mを越すと大きな木も増えてきて、気持ち良く歩けました。主尾根に出てからは展望も多少あります。水谷川の向こうに東山が見えました。岩が増えてきたと思ったら、650m+ピークに出ました。ここはクサイソ山と言うらしいのですが、もっと良い名前はないでしょうか?ここから一旦植林の中を降りて再び登ると、笠ヶ城山の山頂に出ました。笠ケ城三等三角点(668.86m)があり、周囲は伐採してあり展望があります。一休みしようとしたのですが、アブがうるさいので先を急ぎました。この次の660m+ピークは観音屋敷跡だそうで、大谷登山口への下山道がありました。その先を少し降りたところが峠登山口への下山道で、その先の尾根は登山道ではありませんが、ほとんど植林で気持ち良く歩けました。

尾根を歩き続けると、地形図の684m地点の手前の690m+ピークは意外と尖ったピークで、宍粟市の地籍図根三角点がありました。684m地点の北の鞍部は切通しで、作業道が横切っていました。再び尾根を登って植林の中を歩くと、千間原四等三角点(769.62m)がありました。周囲は伐採してありますが展望はありません(写真)。この先は北に歩いて鞍部に出ましたが、尾根はいきなり崖になって切れています。その先を林道が横切っていますが、周囲の地形はかなり人工的な感じでした。新しいコンクリート舗装の林道が東の方に延びています。帰りは林道で広路川沿いに戻りました。この付近はマンガ谷国有林となっており、マンガ谷川上流の谷から木材を運び出しているようでした。林道沿いの平坦地は農場になっており、立入禁止の札が立っています。川沿いに降りて行くと「マンガ谷国有林過去諸聖霊位」として、古い墓石が集められている場所がありました。文政と天保の墓石が多く、説明書きによると製鉄に働いていた工人の墓と書かれていました。

登り口は、とりあえず作業道に出れば登れるので、邇志(にし)神社からでも同じだと思います。山の中を歩いていたのは、二時間半ほどでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「音水湖」です。