一宮町生栖の東の山並みを、少し北の福知の抜山付近から歩いてみました。地形図では耕作地に見える広い谷があり、記念碑のマークがありますし、階段のマークもあります。なんだろうと思って下の方の段になった住宅地を歩いていると記念碑が見えましたが、容易には行けません。最終的には苦労して辿り着いたのですが、ここには北から山沿いの道で来るのが正解でした。これは地形図にある記念碑ではなく戦争で亡くなった方たちの忠魂碑でした。ここから草の生えた登り始めると南の大歳神社の方から良い道があって、これが正解のようです。その道の終わりにある記念碑には山津波と書かれており(写真)、昭和51年に3名の死者を出した大雨による地すべりのことが書かれています。この付近はその時に崩れた場所で、耕作地ではありません。先に見た忠魂碑もこの地すべりで流されて二つに割れています。記念碑の近くには東屋があり、堰堤とため池があります。この上は地滑りの跡で、木が植えられて気持ちの良い林になっています。しばらく登っていき、半分シダに覆われた木の階段を登ると、最上部には「福知地区(Bブロック)の治山事業」というほとんど読めない看板がありました。この先も北向きに道がありましたが、山に登りたかったので南に歩いて急斜面を登りました。
木に掴まって植林を登ると、地形図の林道に出ました。この先に林道はたくさんありましたが、林道は使わずに尾根を登りました。登っていった尾根の南側には林道がたくさんありましたが、大規模な伐採が行われているという感じではありません。尾根も植林が多く、下草はありません。この尾根は長く、標高差も揖保川から600m以上あるので、休みながら登りました。標高650m-の鞍部で林道とニアミスします。そのあとも南側にはたくさんの林道がありました。標高700m付近がややきつい登りでしたが、全体に緩やかで、植林も手入れがされており綺麗でした。855mピークは少しシダが生えている以外はなにもありませんが、少し展望がありました。
855mピークには2009/07/04に岡ノ上三角点から来ています。その時は尾根を西に少し縦走して林道月谷線で降りました。また、2009/07/04には行者山からユリ三角点経由で歩いてきて、やはり林道で下山しました。今回は林道を横目に見ながら藪っぽくなってきた尾根を歩き、さらに防火帯のような切り開きに生えた腰辺りまでのシダの間を歩きました。以前と比べるとシダが元気なようです。そこを抜けると植林で、ユリ四等三角点(760.26m)に着きました。
ユリ三角点から西は折れ曲がった尾根で、相変わらず北側には林道がありました。アセビが邪魔なところもありますが、大体は植林で、650m-の鞍部から少し登ると東向きに林道への道標がありました。この道標はこれひとつきりでしたが、尾根をたどっていくと林道に出られました。これが生栖への下山道だと思ってそのまま尾根を降りる方向に歩くと、低い松の密集地があって林道を見失いました。まっすぐ尾根を降りずに周囲を見渡すとシダの斜面の下に林道があったので、こちらに降りました。この林道で谷沿いに降りて行きましたが、またしても林道は消えてしまいました。踏み跡を探して降りると「くらしを支える森づくり事業」の看板がありましたが、看板にある歩道は見当たらず、踏み跡を探して斜面を登ると、地形図の実線道に出ました。これでやっと下山することができました。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」「長谷」です。
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