2022年2月11日金曜日

八塔寺川から登る池田氏墓所

 


岡山県和意谷の池田家墓所には2016/03/20に行きました。今回は和意谷とは反対側の八塔寺川から登ってみました。登り口は丸山で、人家の並んだ道の奥から植林に谷道が延びています。地形図の破線道です。荒れ気味ですがしばらく続きます。石が増えてだんだん歩きにくくなり、橋があるべき所に無いという事態も起きます。そしてしっかりとした石積みのある分岐があり、破線道は北寄りの谷に描いてあるのにそちらに向かいました。道は無くなって谷の岩の上を歩かねばなりません。さらに破線道は西側の斜面を登って尾根に上がるのですが、ここはシダの茂った急斜面で、しばらくシダと戦いましたが断念して、谷に降りて岩の上を登り続けました。幸いにこの付近で岩の多い沢は終わりで、その先は比較的なだらかな灌木の藪になりました。ここは楽に登れて、山頂から西に下って登るとシダに隠れた高田四等三角点(326.28m)に着きました。この付近はシダが多く、三角点から少しシダの間を歩きましたが、切り開きもあります。南に歩いて地形図の破線道に出ましたが、この付近はシダだらけです。鞍部に地形図では墓地のマークがありますが、ここには何もありません。しかし西にシダをかき分けて登ると道に出て、池田氏六之墓(写真)(六姫の墓。この六姫の生涯をWikipediaで読んで、この墓だけが少し離れて作られていることを納得しました)があり、他に3つの墓がありました。ここが「七のお山」で、以前は草が茂っていたのですが今回はきれいになっていました。ここからは整備された道を西に歩いて364m地点を越えて、和意谷の池田家墓所を見に行きました。相変わらず地形図では「岡山藩主池田家墓所附津田永忠墓」と書かれています。


儒教式の墓地を見て回り、再び東に登って364m地点付近まで来て、南の藪に入りました。こちらは以前よりも藪化している感じでしたが、すぐに切り開きがありました。ときどき消えるので困りましたが、なんとか灌木の藪を抜けて南に尾根を辿れました。そして330m+の鞍部は切通しになっていました。かなり深く掘られているので、重要な道に違いないと確信してここから下山することにしました。最初は斜面を横切るように作られた道で、荒れて消えかかっている所もありました。谷に降りると道は流されて消えていましたが、岩の上を歩いて降りて行きました。途中に炭焼き窯がありました。やっと道らしくなってきたと思ったら、登りで北の破線道に行った分岐に出てきました。破線道ではなくこちらの谷を登るのが正解だったようです。確かにこれは丸山から和意谷に通じる最短距離でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「日笠」です。



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