2021年6月27日日曜日

建屋の楯縫神社から奥山

 


養父市建屋の南の長野の北東の山は、2015/05/02に伊月山三角点から東にぐるっと歩いて楯縫神社に降りています。今回はさらにその北の山を歩きました。とても立派な楯縫神社から北に行く道は林道建屋奥山線です。車の通れる道で、途中に堰堤があります。どうやら西側の山は松茸山のようです。東に折れる道があり、林道建屋奥山支線となっています。この道の橋を渡ったところの尾根の先端を登りました。急斜面ですが作業道があるようです。灌木の藪ですがさほど邪魔ではなく、ひたすら登りました。ひどい急勾配はありません。なんとなく踏み跡を歩いて408m地点を過ぎ、登り続けました。急勾配は無いと言っても、標高差500m近くを登るコースなので、気楽なハイキングではありません。特にこの日は雨上がりで湿度が高く、疲れました。尾根は徐々に東向きになり、東に向いた地点付近で金網が現れました。ネットと金網の二重のフェンスで、古そうですがしっかりしています。尾根の中央にフェンスがあると、どちら側を歩くかが大問題となりますが、この尾根は一貫して北側を歩きました。南側の方が歩きやすそうな場所もありましたが、フェンスが丈夫で反対側に行けません。2,3箇所フェンスが壊れている所がありましたが、そこで反対側に行くのが正解なのかわからないので、結局北側を歩き続けました。北側は植林が多く、作業道が尾根と平行に残されていますが、急勾配の所で消えてしまったりするので困りました。700m+地点では金網のフェンスが分岐して、東に向かうフェンスは尾根の南側に作られているため、少し歩きやすくなりました。植林を抜けて、720m+ピークに着きました。ここは2015/10/10に南から通りました。その時と同じように北に降りて、660m+の鞍部に着きました。


ここは藤和と建屋を結ぶ峠です。この峠には2015/10/10に来ていますが、その時には「西側は斜面に道らしきものがあり」と自分で書いています。しかし実際に降りようとすると、まともな道はありません。植林の作業道の名残のようなものがあったので歩いていくと、谷に出ました。この奥山川最上流の谷は、南北2つの谷が合わさる形で、中央に峠があり、地形図では破線道がまっすぐに峠を越しています。その2つのうちの北の谷に出て、谷沿いに降りました。谷そのものは細いので、両側の急斜面を降りる必要がありました(写真)。木につかまったり滑ったりしつつ苦労して南北の谷の合流点に着きました。道はなくても、破線道のように植林をまっすぐに降りるのが正解という気もします。合流点からもはっきりした道があるわけではありませんが、かつて道があったであろうことは想像できました。それでも谷のどちら側に道があったのかがわからない箇所も多く、何度も流れを渡りました。雨の後でしたが幸いに水量は少なめでした。が、ヤマビルがいました。最終的に林道の終点に出たのは地形図の489m地点の西、実線道の終点とほぼ同じ場所でした。ここからは林道奥山線を降りました。車の通れる道です。谷の方は茶色い石の上を水がナメて流れている場所が多く、なかなかの景観でした。橋には「七のはし」など番号が付けられていました。昭和35年の建設です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「但馬竹田」です。



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