2020年1月13日月曜日

和気の松村山

松村山は和気神社から日笠川を遡った上流の東側にあります。地形図では日笠川沿いの金崎から破線道があるので、それを探してみました。入尾の集落を抜けると害獣避けのフェンスがあり、その後も地形図どおりに谷に道があります。途中に送電線の巡視路の分岐がありますが、鉄塔に行っても山頂には行けないので、そのまま谷の奥に向かいました。途中には丸太橋があり、車で登ることは想定されていないようです。しかし谷の奥には金属のタンクがあって、そばに洞穴がありました。人が入れるほどの横穴で奥は深そうで、坑道としか思えません。近くには炭焼窯の跡が3つあって、一つは煙道の穴も残っており、すぐにでも使えそうでした。

この付近で道は怪しくなりますが、登りながら探すと道がありました。もとは車の通れる道だったと思われますが、崩落したのかところどころで繋がりがわからなくなります。ターンが多いせいもあるかも知れません。ほぼ地形図どおりに道は作られており、329mの尾根に登ってからも良い道が続きました。

松村山に行くには途中から分岐があるのですが、極めて見つけにくく、適当に藪を抜けて行くと溝のような道がありました。340m+の鞍部付近まで降りると、「開運燈」と彫られた大きな石灯籠がありました。大正4年8月に金中さん達によって建てられたものです(写真)。付近は藪化していますが、その先には「南無妙法蓮華経南無妙見大菩薩(?)」と彫られた石碑もありました。こちらは大正5年9月ですが、金崎講社中となっており、金崎の人たちが建てたようです。鞍部近くにも基礎が残っており、何かが建てられていたのかも知れません。松村山の山頂には松村三等三角点(394.04m)があります。広々していて、枯れ木の間から周囲の山が見えました。

引き返して地形図の破線道に出て、少し歩くと道が3本に分かれていました。左の道は水平に北に行っているようでした。真ん中の道は妙見神社に続いています。木の鳥居があり、社殿は山小屋のような作りですが、手水らしきものもあり、中を覗くと絵馬もありました。絵馬は「中村・青山講中」となっているので、日笠川沿いの集落の人達が建てた神社のようです。

分岐に戻って右側の道が地形図の破線道のようでしたが、木が生えており場所によっては藪化していました。ここまでは広い良い道があったので、別の道が東から上がってきているのかも知れません。これは尾根道なので、藪になっていなければ歩きやすい道でした。全体として長い尾根をゆっくり下っていく感じで、迷いそうもないのですが、踏み跡を辿ると意外と分岐が多く、何度か尾根から降りそうになりました。最後も踏み跡を辿ると和気町と吉永町の堺の方に降りて行ってしまいました。そのまま道に降りられるかと思うと急な切通しで、切通しの上に道路に沿って道があるのでそれで北に行き、結局地形図の破線道と同じ付近で道路に出ました。これは旧道で、落ち葉が積もっていて一見すると未舗装に見える細い道です。あとは道幅のぶれの大きい県道46号線で戻りました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「日笠」です。

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