2018年8月14日火曜日

智頭町の虫井谷川から綾木峠

つい先週歩いた綾木峠は鳴滝山から海上山に至る、八頭町と智頭町の境界に位置する長い尾根にあります。今日はこの尾根の、綾木峠の西側を少し歩きました。

登り口は虫井谷川という、芦津の西、虫井神社の北です。実は最初はこの川沿いを歩くつもりはなく、虫井谷川と堂本の間の尾根を歩きたかったのですが、虫井谷川沿いの林道に入って見上げると、尾根のこちら側は岩山で登れません。県道6号線に戻って尾根先の植林を登るのが正解だったかも知れませんが、未舗装ですが歩きやすい林道だったので、しばらく歩いてみることにしました。東側の山は急斜面であるだけでなく、川を渡らないと登れません。この川は深くて、林道から降りるのは大変です。結局登れそうな斜面を求めて上流まで歩いて、川が浅くなる付近から登ることにしました。地形図ではちょっと支尾根っぽくなっています。植林で地面は意外としっかりしていたので、木に掴まらなくてもなんとか登ることができました。尾根に出ると気持ちの良い植林で嬉しくなりました。

ここからはひたすら植林の尾根を歩きました。たまに自然林もありますが、ほとんどは植林で、下草もなく歩きやすいのですが、登りが続きます。574mピークを過ぎ、ゆっくり登って行くと、661mピークの手前では周囲のたくさんの木に地籍調査のピンクのテープが巻いてあり、華やかな雰囲気でした。その北はちょっと細尾根があり、それからきつい斜面になりました。ここもゆっくりと登って、854mピークに出ました。ここは西の海上山に繋がる尾根との合流点です。頭の赤い杭の束が積んでありました。この先では北の八東川沿いや西に河原方面が見えることがありましたが、ほぼ常に木が覆い隠しており、展望を期待するのは無理です。金属プレートの柳谷奥四等三角点(841.93m)はちょっと切り開きがあります。柳谷というのは八河谷の字の名です。

この先は尾根が北から東に曲がりますが、この付近は自然林が多く、ちょっと藪っぽい雰囲気もあります。しかしすぐ植林になって、斜面を降りると740m+の鞍部に出ました。ここは芦津の史跡案内板に大江越と書かれている峠です(大江では別の名前でしょう)。文政2年のお地蔵様があります。確かに山越えにはここは良いルートでしょう。お地蔵様の背後の急斜面を倒木を避けながら登って788mピークに上がり、ちょっと平らな植林を抜けた後、植林の急斜面を標高差200m近くも登らねばなりません。これはきつくて、ゆっくり休みながら登りました。途中で石英が目立つようになってきて、綾木峠に近づいているのを実感できます。疲れ果てて950m+の細長い尾根に登ると、あとは植林を歩いて八河谷二等三角点(971.26m)に着きました。ここには以前は祠があったのではないかと思います(写真)。そして斜面を降りて、綾木峠に降り立ちました。

綾木峠からは八河谷に中国自然歩道で降りました。最初は植林の中をジグザグに降りる道で、階段も作られています。峠の北には見られなかった枝打ちされた枝が地面を覆っています。このまま楽ちんに降りられるかと思いきや、道が落石で埋まった中に八河谷への道標が立っていました。ここからしばらくは道は渓流に沿って作られており、ほぼ完全に流されています。峠の北側と全く同じ状況です。ガレ石と流木の上を歩くのは同じですが、こちら側はマーキングが少なく、シダが茂っている所が多いので、北側よりも歩きにくい感じでした。たまに階段の横木のような棒が落ちているので登山道の残骸だということが分かります。場所によってはコンクリート製の道標がガレ石に埋まっていました。何度か渓流を渡り、登山道が再び現れるのを期待しながら降りましたが、結局道は中国自然歩道の案内図のある舗装道路の寸前まで現れませんでした。距離にすれば500mほどですが、とても疲れました。舗装道路も壊れかけてはいますが、歩くなら問題はなく、綾木谷川に沿って八河谷に降りました。途中には昔石英の集積場だったような空き地があったり、発電所用の取水口(芦津発電所経由で新大呂発電所に行くらしい)があったりしました。最後は八河谷から出発点まで県道6号線を歩きましたが、これは暑くてまいりました。

峠の北も南も中国自然歩道の荒れ方は相当なものです。人力で修復するのは不可能だと思いますので、しばらくはこのままでしょう。荒れまくっていてこれ以上荒れようがないのが救いです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「郷原」です。

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