2018年3月3日土曜日

和気の大王山と高星山

和気から吉井川を遡ると、川はほぼ直角に西に蛇行します。それから再びUターンして東に向いてから北に行くのですが、Uターンの先にあるのが佐伯大橋で、その北にあるのがこれらの山です。この付近については[1]に詳しい解説がありますが、大王山の南にある蜜厳寺跡が気になったので、まずここに行ってみました。

米沢の墓地(元禄時代の墓がある)から、地形図の破線道(イガヤ谷)を北に歩きました。これは車でも通れる良い道です。蜜厳寺跡への登山道を探したのですが、見つかりません。害獣捕獲用の檻が置いてある場所の付近のようでしたが、特に目印もなく、どう川を渡ったら良いのか分からずにいたら、道路沿いに罠の仕掛けてある付近から川向うを見ると、なんとなく人工的な地形に見えました。そこで渡ってみると、川に沿って北に向かう道(の跡)がありました。これを歩いていくと、徐々に山の方へ向いて、真っ直ぐに登って行っていました。とても急なので本当に道だったのか、あまり確信は無いのですが、昔は階段があったと思えば不自然ではありません。さすがに斜面の上まで来るとシダがはびこっていましたが、そこを抜けると平坦地があって、石灯籠と思われる石もありました。この付近は蜜厳寺の端に当たるようです。[1]では、ここよりも南の谷を登っています。

平坦な場所が続き、蜜厳寺はかなり大きな寺院だったことが分かります。平坦な場所が斜面に作られており、それを東へ歩いて行きました。石積みもありますが、木が生えて藪化している場所もあります。広い平坦地に石塔のようなものがある場所が本堂跡でしょうか(写真)?山側の石積みは炭焼き窯の跡にも見えました。さらに東に行くと平坦地が上に下にあって、広さに関心しました。その東の尾根には鐘楼跡があるそうですが、石がある程度でした。ここから大王山へ登り始めました。マーキングがあって、迷うこともなく山頂に着きました。大王山三等三角点(434.25m)がありますが、展望のない藪です。

大王山からは真っ直ぐに北に歩きました。ちょっと藪っぽいとは言え、切り開きがあります。途中で地形図では破線道が横切っており、これは古い林道でした。その北は少し荒れてきますが、逆に足元はしっかりと盛り上げられた道もありました。そして、和気町と赤磐市の境の尾根に出ました。ここから北西にこの尾根の切り開きを歩きましたが、幅が広くて迷いがちでした。そして道の終点に出たと思ったら、そこから広大な伐採地が広がっていました。ススキが茂っていて道以外は歩きづらいのですが、展望は良好です。航空写真でも目立つ場所ですが、単なる伐採地というより、別荘地開発でも計画したのかも知れません。川向うには延原の集落が見えます。伐採地の北の端まで行って、藪の中の標石が40cmも露出している余田四等三角点(441.13m)を見てから引き返し、伐採地の道をなるべく使って、でも最後はススキの間を歩いて尾根に戻りました。木立の間を少し歩くと高星山に出ましたが、やけに平坦でどこが山頂か分かりません。札の一つでも掛かっていればそこにしてしまうのですが、テープが4本巻いてあった大きな木が山頂ということにしました。

下山は高星山から真っ直ぐ南に歩くことにしました。最初はマーキングがあって盛り土の道や切り開きもあったのですが、徐々に確信が持てなくなってきました。しかし倒木が多いだけで、我慢して倒木を避けつつ枝を押しのけて歩けば、ゆっくりですが進めました。盛り土や溝の道のようなものも、時々あります。347mピークでは間違えずに南東に曲がりましたが、その先は方向が定まりません。斜面を歩いたりして、なんとか西側の谷には入らずに東の細い尾根を歩けました。ここも倒木だらけですが道があるような感じです。このあと283m地点の付近は広い平坦地で、特に何もない藪でしたが、ここも道があるようでした。ただしこの道は南西の本矢田部の方へ行っているようで、戻って南東の尾根に向かいました。こちらは道はありません。しかし、しばらく降りていくとシダが増えてきて、そうなると却って道がはっきりしました。とは言うものの、シダが生えすぎて道が分かりにくい箇所もたくさんあります。とにかくここはめげずにシダの生えた急斜面を降りて、岩の多い付近を過ぎるとやっと普通の林になって、最後は金網に達しました。金網沿いに歩いて、道があったので金網を乗り越えて外に出ました。出発点のすぐ近くでした。

この下山ルートは全くお勧めできません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「周匝」です

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