2017年8月17日木曜日

南丹市八木の八木城と鉱山跡

厳密に言えば亀山市との境にありますが、八木の側から登ったので八木の八木城としておきます。地形図では単に城山と書かれています。戦国時代に内藤如安というキリシタン大名がいたことで有名な山城です。登山道は東の八木町八木の春日神社からが近そうですが、地形図には北の八木町柴山からの道が描いてあるのでこれを登ってみました。

車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。

地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。

この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。

ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。

頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。

ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。

北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。

城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。

ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。

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