2016年10月15日土曜日

衣笠城址から粟鹿山

山東町与布土に衣笠山という城跡の山があります。これを経由して粟鹿山に登ってみました。山東町森の県道276号線沿いに衣笠城址登山口の看板があります([1])。山の方へ歩いていくと害獣避けの扉があります。ここから登山道に入ります。登山道は分かりにくく、私は扉を入っていきなり左手の斜面の道を登りました。登ると空っぽの祠がありましたが、そこで道は終わっていたので、適当に作業道を探して斜面を登って尾根に出ました。尾根を南に歩くと、所々で溝が尾根を横切っていて、堀切のような感じでした。その切堀の一つを登山道が登ってきており、ここからは案内板もあって、衣笠城址に登ることができました。街道筋からかなり奥まった所にある山城だと思ったのですが、確かに竹田城がよく見えますし、北の山陰道も見えるので、適切な場所かも知れません。城跡は東西に延びる長い尾根の上にあって、石垣はありませんがいかにも山城らしい堀がいくつもあります。一番西のピークには衣笠尾三等三角点(430.52m)があります。

衣笠城址を東に歩くと、太陽電池パネルがありました。どうやら北の三保の方角に電波を送っているようですが、どんな情報を送っているのか分かりません。南には与布土ダムがあるので、その情報なのかも知れません。東に植林を登っていくと、602mピークに着き、注意して北東に降りると、地形図の破線道に相当する杣道が鞍部を通っていました。そしてさらに植林を抜けると急斜面になりますが、作業道がありました。徐々に岩が増えますが、急勾配でも登りにくいことはありません。817mピークに出ると、西側に展望が広がります。そしてちょっと藪っぽい尾根を東に歩くと、未舗装の林道に出会いました。斜面をほぼ水平に走っています。ここからは北の方角の展望があります。森林管理道粟鹿山線でしょう。少し北の方に「緑風の道」という碑があるのが見えました。

粟鹿山線から粟鹿山は目の前ですが、意外と苦戦しました。林道の東側を登ると、振り返れば竹田城も見えて良い眺めです。しかし前方はススキの草原となります。特に地形図の破線道と合流してからは、背の高いススキをかき分けて進むはめになりました。ネマガリタケと違ってかき分けるのにさほど力は要りませんが、それでも道を見つけるのは困難になりました。最後は視界ゼロのまま適当にススキをかき分けながら歩き続けて、やっと粟鹿山山頂に着きました。粟鹿山一等三角点(962.33m)があります。この日は天候が良かったので、三角点の背景に遠景を入れられました。電線がじゃまですが。(写真)

下山は、当初は林道を南に歩いて降りて、完成した与布土ダムを通るつもりでした。ところが登山中に見ていると、ダムの奥でまだ大規模な工事が行われており、通り抜けるのも難しいかも知れないと思いました。そこで北に降りることにしたのですが、登山道がよく分かりません。とりあえずアンテナの保守道路を降りましたが、これは東に向かうので、東に離れた所にあるアンテナ(名無し)の先で北の尾根を目指しました。少し北に降りると作業道があるのですが、水平道で役に立たないので、尾根をとにかく北に降りました。最初はススキを抜け、それから林の中を降りました。地形図ではこの尾根の下には実線道があるのでこれを目指したのですが、道のあるべき場所まで降りても急斜面があるだけです。尾根はあまりに急なので仕方なしに谷に降りてガレ谷を下っていくと、林道に出ました。森林管理道粟鹿山線で、「緑風の道」に繋がっているのだと思います。あとはこれを北に下ると、地形図の582m地点の付近で登山道に出会いました。正しくはこの地点で粟鹿山線を横切ってさらに登り続けて保守道路に出るようです。確かに地形図をよく見ると、そのほうが楽です。焦りすぎました。残りは登山道で下山しましたが、意外と水平な作業道が続きます。最後はあまり標識のない植林の中を降りるので、正しい道を降りているのか自信がなかったのですが、自然の家に降りてこられました。ここから衣笠城址登山口まで戻るのは長い道のりでした。

全部で7時間かかりました。道のりから言えば与布土ダムを通っても同じくらいの距離でしょうが、工事が終わればそちらの方がお薦めです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「矢名瀬」です。

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