2012年6月17日日曜日

マンガ谷川と阿舎利山と日ノ原山


国道29号線沿いに山崎から北に走ると、音水湖の手前にマンガ谷川という気になる名前の川があります(万ガ谷と書くとあまり気にはなりませんが)。地形図から見ても険しい渓谷で、とても歩いては登れそうもありませんが、その川の上流には南の野尻や東の阿舎利から林道が延びています。なんでわざわざ大廻りして峠を越えてまでここに林道が来ているのか、よく分からないのですが、面白そうな地域であることは確かです。調べてみると、29号線沿いの日ノ原から日ノ原山への登山道でマンガ谷川の上流に出られるようなので、日ノ原山登山を兼ねて行ってみました。

日ノ原の集落自身も変わっていて、山の斜面にあります。29号線からはほとんど見えません。そんなに広い畑があるとも思えません。集落の中を登って行くと大森神社があり、その奥が日ノ原山登山道の始まりです。大森神社には公民館があり、中には6名の戦死者の写真が掛けてありましたが、この小さな村から6名というのはかなりの数だと思いました。

登山道は地形図のように真っ直ぐではなく、ジグザグに登っていきます。おかげで楽に登れました。峠近くで斜面を登る方向に道標のある所は、真っ直ぐ行くとトンネルがあります。トンネルといってもトタンの管ですが、向こう側の光が漏れていて、コウモリがいなければ通ってみたいと思いました。気になったのはトンネルまで行く間に立っている排気管のような棒なのですが、何でしょう?

峠に出ると、マンガ谷川の全容が見えます。目の前はかなり広い谷です。下流側(西側)は両側が切り立っており、確かに道を作るのは難しそうです。滝登りは楽しそうですが([1])、登山向きではありません。日ノ原山の登山道はここで北側の尾根に乗りますが、マンガ谷川の様子を調べるために川を遡りました。道は北斜面の上の方に付けられています。倒木や崩落があって安全とは言えませんが、川の分岐まで東に行けました。この付近の川には低い堰堤があったり、かなり手が入れられています。川の北側には歩いてきた道よりも下にしっかり作られた道があり、そこには太い黒のプラスチック管が延びていました。ただし両端とも何にも繋がっていません。この道はさっき日ノ原村から通ってきた峠の下付近まで延びていそうでした。地形図にある川の南側の破線道は、上から見ると何らかの形跡がありました。

そして北から来ている川を渡ると(朝までの雨で水量が多く苦労しました)地形図どうりに林道がありました。この付近まで来て、阿舎利山に登ってみようという気になりました。林道を南東に歩き、マンガ谷川を遡りました。よく整備され、使われている感じのする林道です。川もきれいです(写真)。少し行くと江戸時代の墓石が21基並んでいました。どれも寛政年間のもので、女性のものもあります。200年以上前、この付近で鉄穴流しで鉄を採っていた人たちがいたのでしょう。農民が農閑期に働いていたと言われていますが、寛政年間は12年しかなく、その間に21人がここで死んでいるわけです。2012/06/02に南の笠ケ城山に登った時に見た墓石は文政と天保が主だったので、こちらの方が数10年古いことになります。戒名があるので、僧侶を呼んできて葬式をして、自分の村に返さずにここに埋葬したのでしょうか?

林道が川を渡る付近で川を渡らずに地形図の破線道に入りましたが、これも割と良い道でした。そして、その東の幅の広い谷は両側に林道があったので、東側の林道を登って行きました。最終的にこの林道は893mピークから西に延びる尾根の下で終わっていました。急斜面を登って尾根に出たところ、反対側には尾根を登る林道が来ていました。この林道でまっすぐ尾根を登りましたが、林道は尾根の手前で東に巻いて行ってしまったので、尾根にあがって893mピークに行きました。アシビの藪でした。ピークの先の尾根は手入れの悪い植林ですが、歩くには不都合はありません。南側に林道が走っているのが気になりました。

尾根歩きを続けると980m+の長い尾根に出ましたが、ここも歩き易く、その尾根の終わりまで来ると少し下った鞍部の南側にまた林道があり、鹿が振り向いてこっちを見ていました。結局ここまで林道伝いに来れるようです。このあとは少し登りがありますが、主尾根に出ると「阿舎利峠」という道標がありました。反対方向(北)に歩くと「阿舎利川源流モニュメント」なるものがあり、そこから急登して阿舎利山山頂に出ました。引原山三等三角点(1087.20m)がありました。北に音水湖の北側の眺望が少しあります。

下りはなるべく谷を通らないようにと思って、阿舎利山から西に尾根を降りました。この尾根は見通しの効かない植林の下にあるので、探すのが一苦労でした。やっと尾根を探しだして、少し下っていくと道らしきものが現れました。最初の予定は真っ直ぐ西には行かず、少し北に寄って850mピークを目指すつもりでしたが、真っ直ぐの尾根ではないので苦労しそうでした。この道は、斜面では下側に丸太を置いて崩落を防いでおり、階段も作ってあります。マーキングは無いのですが、これだけしっかりしていればどこかに出るだろうと考えて歩き続けました。最初は谷に降りていきそうでしたが、斜面を横切るようになり、いったん谷を降りますがまた斜面をトラバースし、丸太橋を何回か渡り、かなり長く歩いて、結局850mピークの一つ南側の尾根に出ました。付近はずっと植林です。これを降り、伐採地の横を降りて林道に出てきました。出てきた地点は林道の終点ではないので、登りでここまで降りてきた道を探すのは容易ではないでしょう。

林道に出ても、そのまま歩いて行くとどこに行くか分かりません。そこで林道が850mピークから西に延びる尾根の鞍部に接近したところで尾根に乗り、そのまま800m+の小ピークを二つ越えました。この付近はかなりの藪で、気が付くと北側に伐採地があったので、適当なところで伐採された植林を降りると林道が谷を走っていました。この林道の向こう側にも尾根があり、それを越えると谷に降り、林道が南から来てUターンしていました。ここは地形図では音水湖方面から破線道が延びてきている谷です。マンガ谷川に林道を通すならこの鞍部を通すのが一番近道の筈なのですが、ここには林道はありません。鞍部の北側は伐採した木が転がっていました。鞍部には「波賀町有林 大字日ノ原 字ヤナゴ」という札が立っており、山林の所有者が異なるのかも知れません。

ここからは林道には頼らず尾根に登り、北西に進んで一度下ってまた登り、最後は標高差30mを力を振り絞って登りました。登る前に、音水湖が少し見えました。登ったところには建設省の通信施設があり、音水湖の様子を時々刻々どこかに知らせているようです。パラボラアンテナは東を向いていました。ここが日ノ原山山頂で、日ノ原四等三角点(788.74m)もありました。ここからは1000段以上の階段を降りて下山です。階段は嫌いですが、急斜面が多いのでこれは助かりました。途中に原横行線7鉄塔があり、ここからは音水湖が望めました。その先は植林を降りて、29号線に出ました。29号線を走っていて、道の脇にやけに広い平地があるなと思っていた場所でした。歩き始めて4.5時間でした。

あちこちに鉄穴流しの跡と思われる地形がありますが、どこをどう使って鉄穴流しを行っていたのか、興味の尽きない地域です。引原川からはマンガ谷川は全く見えませんから、租税集めの役人も来なかったかも知れません。言わば秘境ですね。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

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