2011年3月27日日曜日

山崎町矢野川の上流


宍粟市は林業の盛んなところですが、それでも2004年の台風の後始末は終わっていません。山崎町の西側、切窓峠の北の山では盛んに処理が続いており、裸の斜面が増えてきています。そのため、この地帯にはあまり足を踏み入れてこなかったのですが、そろそろ一段落付いたかと思われるので、歩いてみました。

登り口は山崎町葛根にしました。県道53号線が中国自動車道の南側を走っています。県道から高速バスの乗り場がある所でトンネルを北に抜けて、東側の山沿いの墓地から斜面を登り始めました。しかしすぐに鹿避けの金網があり、入口を捜して北に降りて、民家の裏の入口から入り直しました。そこからは真っ直ぐに斜面を尾根まで登りました。尾根には少し凹んだ道のようなものがあり、「NHKケーブル埋設」と書かれた杭が立っていました。途中で山道が東側の植林から上がってきており、少し登ると西側からも林道が登ってきました。尾根道には石仏があり、明治時代に四国のお遍路をこの山でできるようにした人がいるようです。アンテナが7つ並んだ共同アンテナもありました。

この先は稜線沿いに歩きましたが、林道が尾根に作られている場所が多く、大部分は林道歩きになりました。林道からは近くの山々が望めます。木材の集積所を過ぎて、道が二つに分かれているところを真っ直ぐ登ると山頂に出ました。「矢野山 標高465m」という標識がありました。地形図の463mピークです。この先は林道の東側に新しいネットが張られています。相変わらず展望は良好です。林道が大きく南東に曲がるところでは、尾根を歩けば真っ直ぐに北に降りることになりますが、かなり藪っぽい感じでした。ここは地形図を信じて林道で南東に降りて、大きく曲がり返して北に行って尾根に戻りました。地形図よりも先まで林道は延びていますが、結局470m付近で終わってしまいます。ここからは岩の多い細い尾根を登りましたが、540m付近でまた林道に出てきました。

この先は尾根に沿って東に歩きましたが、林道がずっと尾根の南側に走っています。尾根上は倒木が多く、非常に歩きにくくなっています。それでも北側の景色を見たくてしばらく尾根を歩きましたが、ネットも張られており、この日は少し残雪もあったため最悪のコンディションで、結局林道におりました。この林道も倒木があって、車が通れる状態ではありませんが、草は生えておらず、楽に歩けます。尾根が歩けるようになると、尾根に戻って歩き、方向は南向きになりました。坊主山四等三角点(553.14m)のピークへは、倒木だらけ(切ってあるものが多いのですが)の斜面を登らねばなりません。伐採されているので展望は良好で、写真はここで撮影した西側のパノラマです。しかしこのピークの頂上は倒木で覆われており、処理が行われていないため地面が見えず、三角点は発見できませんでした。この山の名前が「坊主山」というのは皮肉です。それだけでなく、ピークを横切って東に行けないため、予定の下山コースに行くにはピークの南斜面をトラバースする必要がありました。ここは倒木だらけの急斜面の植林で、雪もあって危険でした。東側の520m+のピークまで来ると雪も無くなって、この先の下山は快調でした。

この付近の尾根には地主の名前(?)が黒マジックで書いてある赤いプラスチックの杭が刺さっており、これに沿って尾根を降りて行きました。じきに北側の谷には道が見えてきましたが、そのまま尾根を降りました。350mの鞍部には、トタンの波板、木材と瓦が散乱しており、お堂が倒木で潰された跡のようでした。掘り返してはみなかったのですが、石仏だけはどこかに救出されて安置されていることを祈ります。ここからは430mピーク目指して再び荒れた斜面を登りました。頂上付近は藪でした。白いプラスチックの筒で保護された植林の跡が東側に多く見られましたが、木が育っていたのは少数でした。ここからの下山は藪の中かと心配でしたが、ピークから西に少し行くと林道がありました。これも車で上ってくるのは無理そうですが、歩いて降りるには問題無く、斜面をジグザグに延々と歩いて実線道(林道篭桶線)に降りてきました。この後、峠三角点のある南の山にも登ろうかと思っていたのですが、この山の北西斜面は完全に伐採されて道がジグザグに付いており、登る意欲を無くしました。矢野山の北東側の斜面も伐採されて裸になっています。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

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