再びとは言っても、前回登ったのは2009/08/07なので、だいぶ様子も変わっているだろうと思い、ほぼ同じコースを歩きました。奥銀谷の天満宮から北に天神坂を登り、焼飯天神跡からさらに北に歩きました。石仏がところどころにありますが、番号が振ってあるので四国八十八ヶ所参りだとわかります。ただ相当に抜けがあるのか、番号に一貫性が無いように思えました。周囲は植林が多く、道もよく整備されていますが車が通る幅はありません。以前より案内板が増えており、古城山に通じる「金堀の径」、「休み堂跡」、「内山番所跡」(ということは、この付近からも金が採れた?)、竹原野への下山道、そして「熊野神社石段鳥居跡 寛政8年(1796)」があって、この先に神社があることが分かります。ここで道は441mピークの西側を北上するように曲がり、ぬかるんだ道を避けて歩くと、右が熊野神社、左が内山寺、真っ直ぐが「至 岩屋観音 5Km」という道しるべがありました。まず熊野神社を見に行きましたが、広く平らな植林の中に社務所跡や熊野神社跡があります。石段や基石らしきものが残っていますが、建物の瓦礫などはまったく見当たりません。建物を分解してどこかへ運んだとしか思えません。内山寺を見に行くと、こちらは繋がった島のある立派な池がありますが、橋は丸太でした。草が茂っていますが、湿気が高い他は雰囲気は悪くありません。鐘堂跡(1629)があり、松滝山 内山寺は高野山南院末 寺格3等格地20等とのことですが、どの程度のものかは分かりません。和歌がいくつか掲示されていました。墓石は一箇所にまとめられており、苔がついて読みにくいのですが、江戸時代のものが多いようでした。(写真)
岩屋観音への道を北に歩きました。生野の住民がこの山越えルートで岩屋観音に参拝したというのはありそうな気がします。ルート的には釜床山を通りそうなので、ずっと道があることを期待しました。前回は内山寺付近から西に稜線まで登りましたが、今回は地形図の破線道どおりに北に植林を歩いてから細い支尾根で稜線に上がりました。支尾根に出たところには石仏があり、その上にもありましたが、その先は石仏を見なくなりました。四国八十八ヶ所は東に降りていったのかも知れません。稜線に出てからも踏み跡があったのですが、そちらに行くと西に行ってしまい、小和田の方に降りそうだったので慌てて戻りました。北に向かう尾根は細めですが、藪はありません。はっきりした道はありません。523m地点を過ぎて、降りてから登ると関電の白くなった「火の用心」がありました。ここからは黒いプラ階段がけっこう長く続きました。急斜面なので助かりました。階段の終わりからは展望があります。大河内線は稜線上にはありません。620m+に登ると、この付近からは2020/07/19にも歩いています。釜床山へは地形図では破線道が西から急斜面を登っていますが、そんな道はなくて、普通に尾根を上って山頂に着きました。山頂は広いのですが、釜床山三等三角点(648.65m)は松の藪の中なので、こちらから登ると見当たりません。山名のプレートなど何もないのが不思議でした。
山頂から三角点の前を通り、さらに北に向かいました。植林を下っていき、2009/08/07に谷を降りた550m-の鞍部まで行って新しい道しるべはないか探しましたが、なにもありません。前回はここから谷を降りたものの道がなかったので、今回は少し引き返して570m+の小ピークから、前回も降りた尾根を降りました。植林の急斜面で滑りやすいのですが、藪などはなくて楽に国道429号線のヘアピンカーブまで降りられました。帰りに小野の熊野神社に寄りましたが、これが内山の熊野神社を昭和26年に奉遷したもののようでした。
標高350mを国道429号線のヘアピンカーブから南に歩くと市川を渡る橋がありますが、その北で水路を渡ります。この水路は生野ダムから来ていますが、この付近から口銀谷まで標高350mを保って市川と並行して山裾を流れています。この水路は奥銀谷や新町の人たちには貴重な水源だったことでしょう。今は最後は三菱マテリアルの生野発電所で使われているようです。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬新井」です。
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