2025年1月30日木曜日

愛の泉から西光寺山

 


西脇市と丹波篠山市の境界にある西光寺山へは、2012/08/22、2016/02/06、2016/12/29と登っていますが、今回はGoogleマップに愛の泉という湧き水を見つけたので、そこから登りました。これは2016/12/29の逆コースです。畑谷川沿いから人家の間を抜けて右の道に進み、害獣避けの扉を抜けて林道を歩きました。自動車が通れる道です。愛の泉は道路脇のパイプから流れ出ていました。山の方から引いてきているのでしょう。(写真)


さらに林道を登って行くと谷の名前が書かれた札がいくつかあり、「まちをきれいに」という西脇市の立て札があり(ここが「まち」?)、堰堤がありました。ここは2016/12/29に降りてきた地点です。北寄りの道があり、マーキングもあるので歩きました。堰堤がいくつかあり、階段も作られているので登山道のような感じでした。谷沿いの道を登っていくと、それまで木からぶら下がっていたピンクのマーキングがなくなりました。見上げると植林の間にシダが生えていますが、登れそうなのでシダをかき分けて登って尾根に上がりました。尾根上は少し歩きやすかったのですが、すぐにシダ藪になりました。かなり強烈な藪で、しかも急斜面です。かき分けながら登っていくと、ピンクのマーキングを見つけました。道があるのかと思ったのですが、付近は背丈を越えるシダ藪の急斜面です。しかし道があると信じてシダの下に道らしい地面が見えるところを登りました。しばらく頑張ってマーキングに従って登ると、シダが減って岩が増えてきました。この付近からは2016/12/29に下山した尾根です。そしてようやく大峯四等三角点(617.99m)に着きました。


大峯からはお気楽な稜線歩きとなります。加東市最高峰の加東神山、洞ヶ山など山名の札が掛かっていました。洞ヶ山の北は急斜面ですが、ロープがあって助かりました。そして少し尾根の東側の道を歩き、今田からの登山道と合流しました。ここからはすぐに西光寺山の山頂です。東屋と祠があり、新しい案内板がありました。展望は良好です。西光寺三等三角点(712.71m)があります。


下山は素直に登山道にしました。最初は斜面に溝が掘られており、急なところにはロープがありました。どの木がウバメガシか判らなかったウバメガシの群落を過ぎ、こぐり岩の付近には御奉塔、不動明王参道、行者参道(行者様はおられない)など見るものが多いのですが、まだ道半ばです。最終的には中畑林間ファミリー園に降りますが、右ルートは藪化しているような感じでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「谷川」です。



2025年1月28日火曜日

和気の鳥ヶ佐古山


岡山県自然保護センターの北の山です。まずは美作岡山道路の高架下から田尻城を目指しました。舗装道路を登ると階段があって登ると墓地と鬼子母神がありますが、まっすぐに行くと藪を通って尾根に出ます。この付近が田尻城のようですが、何もありません。とても里山らしい雰囲気で、笹や倒木が邪魔ですが、通れないほどではありません。シダも一部にありますが、巻ける程度でした。ところどころに踏み跡もありました。西奥四等三角点(210.31m)までこんな感じで、その先もシダ藪を巻きつつ歩きました。しっかりした道もときどきあり、鳥獣保護区の赤い札がありました。特別保護地区の札も一緒に立てられており、ここからは岡山県自然保護センターのようでした。


道は徐々にわかりやすくなりましたが、特別保護地区の札が立っている前が道なのだろうと想像しながら通り過ぎる所もありました。細尾根に向かうところは意外と分かりやすく、北に向かって238m地点を過ぎ、相変わらずシダ藪を避けながら北に歩きました。赤磐市との境まで来ると佐伯町の杭がありました。この先はマーキングがはっきりしてきます。道もはっきりしてきたので、赤磐市との境にはこだわらず、道を歩いて北に行きました。地形図では破線道があり、それが鳥ヶ佐古山に行っていますが、この破線道はほとんど残っておらず、場所が谷なので倒木で歩きにくく、結局尾根に上がって適当に林を抜けて山頂を目指しました。尾根に上がると大きな岩のある場所があり、それを過ぎるとちょっと開けた所に角の欠けた田賀三等三角点(311.49m)の標石がありました(写真)。小さな鳥ヶ佐古山のプレートが木にくくりつけられていました。


山頂からは西に歩きましたが、ちょっと北に歩くと荷造り紐の張られた道がありました。これを西に歩くと「行き止まり」の札が反対向きに立っていました。これは自然保護センターの遊歩道でした。センター内はあまり変なところを歩かないほうが良さそうなので、遊歩道で湿生植物園やタンチョウ飼育センターを見ながら下山しました。センター内の地図を見ると、歩いてきたルートはほぼ特別保護地区の境界のようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「周匝」です。



2025年1月25日土曜日

西脇の中畑三角点とこぶ岩

 


西脇の北東、三角点山の東にある中畑三角点は、2014/03/19に南の畑谷川沿いの中畑町から登りましたが、今回は北側の門柳川沿いから登りました。車を日時計の丘公園にとめました。ここから2013/02/17に三角点山から下山した時に通った道を登りました。動物捕獲用の檻の脇をまっすぐに歩き、谷を登っていきます。マーキングもあり、すぐに219mの鞍部に出ました。


鞍部から北に稜線を歩きました。この尾根はシダが茂っていますが、踏み跡はあります。シダは場所によっては胸のあたりまでの高さがあるので、踏み跡を外して尾根の中央を歩こうとすると藪漕ぎになります。我慢して登ると324mピークの手前には少し岩場があって、振り返ると加古川まで展望がありました。その後ちょっとシダの間を登ると、NHKの共同アンテナのある324mピークに出ました。共同アンテナがあるので、なんとなく北の尾根にも道がありそうでした。ここから尾根は東に向かい、少しシダが減って楽になりました。しばらくはアップダウンも少なく、その後少し登ると主尾根に出ました。木の間隔が広めで歩きやすい尾根です。北に登り、470m+ピークで東に曲がり、徐々に岩が増えてきた斜面を落ち葉に足を取られながら登っていくと、中畑三角点(598.01m)に着きました。杉原山という名前があるようですが、山名のプレートはありません。


下山はまず来た道を戻りました。470m+ピークまで戻って、北の318mピークにつながっている尾根を目指して北斜面を降りました。最初は急斜面でしたが、落ち葉はあるものの木に掴まりながら降りられました。少し降りれば尾根で、道もありました。茂ったシダを巻いて降りると、こぶ岩がありました。こぶのような出っ張りがたくさんある大岩ですが(写真)、裏面を見るとのっぺりしていました。なんとなく不安定で、地震で倒れたら元に戻すの大変そうでした。ここからは参道がありましたので、それを降りました。こぶ岩への矢印がたくさんあって迷わず降りられましたが、途中で意外な方向に行くので半信半疑でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「谷川」です。



2025年1月17日金曜日

野村登山口から西脇の矢筈山

 西脇市民にはお馴染みの(?)矢筈山には西脇市街から登山道が整備されています。今回は一番遠い野村登山口から登りました。名前とは異なり、この登山口は野間川沿いの平野町にあります。送電線の鉄塔の巡視路で、急斜面を黒いプラ階段で登ります。巡視路がなければ登らない斜面ですが、ロープもあり、問題なく登れて加美町線九鉄塔に着きました。展望があります(写真)。ここからは西に尾根歩きです。突き当りには道標があり、南には行けないようになっていますが、南にちょっと歩いてシダに囲まれた平野四等三角点(27398m)を見てきました。そして、北に縦走です。矢筈山まで約120分となっています。


東屋があり、ここは西脇市街だけでなく西に馬事公苑も見えます。さらに北に歩くと岩場になり、298mピークめがけて登りとなります。ここでもロープは役に立ちました。ロープは登りでは引っ張って登れば上半身の鍛錬になりますし、下りでは落ち葉で滑って転ぶのを防げます。展望はずっと続き、素晴らしい縦走路です。330m+ピークは東に巻いて進み、加美町線一九鉄塔を過ぎて、東に折れると急登になります。しかし道が整備されているので意外と楽に登れて、矢筈山の山頂に着きました。小屋だけでなく稲荷大明神とか行者大菩薩など賑やかな山頂です。そして少し北に歩くと矢筈山三等三角点(362.98m)があり、ここは矢筈山城となっています。


下山はもっと北に歩きました。高田井北登山口からの登山道を過ぎて、ちょっと整備の程度は下がりますが市原峠へ縦走路が続きます。ここは2012/02/18に北から歩いています。320m+付近から北に降りるところは急な道でした。周囲は大きなシダ藪で、道がなければ歩けません。登り返して295mピークを過ぎ、その先の280m+から西に地形図の破線道を降りようとしました。しかしこの付近はシダが茂っており、踏み跡もかすかです。大きなシダに突っ込まないように西に降りていくと、徐々に南寄りに降りて行ってしまいました。結局は谷に降りることになり、これなら280m+に上がらずにその手前の鞍部で西に降りたほうがよかったと思います。この谷は倒木がありますがなんとか歩けて、そのうちに道らしきものが見つかり、さらに立派な道になりました。あとは出合町に出て、馬事公苑の前を通って野間川に戻りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆ 下山が問題

地形図は「西脇」です。



2025年1月15日水曜日

上郡の高田城跡と福峰山

 


姫路から龍野を通る県道5号線を西に走り、椿峠を越えて高田台の手前で北に行くと、奥という集落があり、八幡神社があります。ここの裏手から単なる里山だと思って登り始めました。最初はかなりの勾配ですが徐々に楽になり、里山歩きになりました。徐々に道もはっきりしてきて、標高290m付近では鉄塔の跡で休みました。そのうちに斜面が人工的な段になり、ついには登れないような段差になりました(写真)。回り込んで登ると、高田城跡という青い札が木に掛かっていました。深い空堀もあって、いかにも山城でした。しかも登っていくとまだまだ平坦地が作られており、林道がループしている359mピーク付近も山城跡という感じでした[1]


ここからは林道を歩きましたが、途中で414mピークに登ってみようと思い、林道から離れました。この付近の藪はシダが少なく、少し枝を避ければどこでも歩ける感じでした。414mピークには特に何もなく、方向を失って東に降りてしまいましたが、適当に藪を降りて林道に出ました。ここからは地形図を見ながら地形図の西向きの実線道を歩きました。これは車が通れる道です。しばらく歩くと道が複雑に枝分かれしている場所に出ましたが、真っ直ぐ行く道を選びました。この道は新山寺池をまわって、堤防に着き、その先は谷沿いに下っていきます。西へ行く道はないので、斜面を登りました。ここも特に障害物のない斜面で、しばらく歩くと2022/12/29に歩いた林道に出て、かわいい祠が2つありました。その裏には留山三等三角点(435.24m)があります。


2022/12/29と同じように西に歩きました。くねくねと曲がった尾根で、379m地点を過ぎて、西に行きたくなるところを南に曲がり、細尾根を通って340m+に登り、南に歩いて福峰山に着きました。神明寺四等三角点(334.3m)があります。ここの展望は素晴らしく、宝台山から高田台、千種川が見渡せます。山城には向かないにしても、砦はあったでしょう。


下山ですが、福峰山から南の砂地の斜面にロープが張られています。これを伝って降りました。急斜面で、地面は小さな岩のある砂地ですが、落ち葉が積もっていて滑ります。ロープがなければ降りられない斜面で、登山するなら普通はこんな急斜面ではなく、東の尾根を使うと思います[2]。しかしロープのおかげで滑って転ぶこともなく、なんとか下山できました。標高差150mに渡ってロープが張ってありました。植林を下ると荒神社に出てきました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「二木」です。



2025年1月13日月曜日

揖保川から高倉山

 


新宮町の高倉山はおそらく南のフタゴ山の方から登るのが普通だと思いますが、ずっと離れた揖保川沿いから登ってみました。後で調べてみると、これは[1]と同じコースでした。揖保川の香島橋の南に尾根が川岸まで突き出している所があります。ここの害獣避けフェンスの扉を入ると、地形図にもある道があります。ジグザグに登っていくと、平らな場所に着きました。NHKの中継局の跡ですが、跡形もありません。何もなくて驚いたので吉島三角点は探すのを失念しました。ここからは尾根登りで、気持ちよく歩けました。主尾根に着くと西向きに大寺山廃寺への道標の杭がありますが、まず南に歩くと335mピーク付近に大寺山城という札が木に掛かっていました。ここが大寺山のようです。城については資料が見つかりません。西に尾根を戻り、最初のピーク付近が廃寺跡のようですが、大寺山城とあるだけで、寺についてはよく分かりません。とにかく西に尾根を歩きましたが、少しアップダウンがある程度で歩きやすい尾根です。370m+ピークには三角点と大寺山への道標が残っていました。その西は少し急斜面があって、篠首三等三角点(378.34m)に着きました。


三角点の西は急斜面ですが、少し行くと共同アンテナの残骸がありました。低い松で少し藪っぽくなりますが、すぐに平穏な山歩きに戻りました。373m地点を過ぎて地形図の破線道はなくなりますが、問題なく歩けて、眼の前にとんがったピークが見えてきました。これが最初の420m+ピークで、これには短距離ですが木につかまって登りました。登ってしまえばまた気持ちの良い山歩きで、いちど下ってから登り返して、高倉山の頂上に着きました。高倉山四等三角点(426.88m)があります。木が伸びて、展望はあまりありません。東栗栖小学校の登頂記念プレートが何枚かあり(どれも10年以上前のものです)、祠は完全に壊れていました。(写真)


下山は東に戻りました。420m+ピークまで戻り、北に急斜面を降りました。落ち葉で滑りやすい斜面だったのですが、マーキングがあり作業道の名残のようなものもあったので、木につかまって降りました。少し降りれば楽になり、気持ちの良い尾根になりました。東に尾根が曲がるとはっきりした作業道があり、南の谷に降りていくようでしたが、東に広い尾根を歩きました。共同アンテナの残骸があり、いかにも里山の雰囲気なので踏み跡くらいあるかと思ったのですが、何もありません。急斜面を木に掴まって降りました。南側に植林がありましたが、そちらには行かず、東の向かって降りました。最後は人家の近くに出ましたがフェンスがあり、それに沿ってちょっと歩くと扉があって出られました。地形図ではこの付近に池がありますが、今は埋められたようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」です。



2025年1月7日火曜日

本郷川から行った神保

 


山崎の陸の孤島神保(正しくはたつの市新宮町ですが)には何度か行っていますが、今回は西の本郷から行ってみました。三日月から本郷川を遡って、県道433塩田三日月線を走ると、舗装が終わった所に土木会社があります。この東側の山を越えれば神保ですが、会社の敷地を抜けて山を登るわけにはいかないので、少し本郷川を下った所にある橋を渡り、南の尾根を目指しました。草をかき分けて尾根先に出ると作業道があり、ジグザグに植林の急斜面を登っていました。作業道があるのでそれを辿って登りましたが、後から考えると非常に急な斜面で、斜面の作業道も消えかけている所があったので、安全な登山とは言えません。後で見たところでは、さらに南にも橋があって、これを渡って太い尾根から登ったほうが楽そうでした(2014/12/30の逆コース)。しかしとにかく急斜面を登り切ると、だいぶ楽になりました。この付近は植林もありますがまだ若い木が多いようでした。登っていくと、2020/03/21に歩いた主尾根に出ました。ちょっと南に登って392mピークに行きましたが、特に何もありません。


この主尾根は植林も多く、歩きやすくて助かりました。引き返して北に歩き、しばらく歩くと東から谷が入り込んできていましたが、なんとなく急斜面に見えたので標高400m付近から460m+まで頑張って登りました。そしてさらに北に歩きました。地形図で破線道が尾根を横切っている所を過ぎて、北に平らな尾根をしばらく歩くと雨ヶ岳三等三角点(490.06m)がありました。三角点からは南に引き返し、地形図で破線道が尾根を横切っている鞍部に出ました。ここは北から来ている林道の終点になっています。林道で降りてもよかったのですが、東側の破線道を探してみようとしました。植林を少し降りましたが、作業道も見当たりません。破線道は谷の真ん中を降りていますが、ここは全く歩けません。結局植林も急すぎて降りにくいので、少し北の尾根を降りることにしました。ここは植林で降りやすく、あまり問題なく東の谷に降りることができました。


谷に降りてからは南に歩きました。車の通れる道ですが途中で東の谷に行ってしまい、あわてて戻って南に向かう道を探しました。倒木で塞がれていましたが、道ははっきりしています。しかし川を東に渡る所に橋はなく、渡っても倒木だらけで道が怪しくなりました。なんとなくマーキングがあります。再び西に川を渡ると神保でした。農機具の残骸などはありますが、潰れた家は見つけにくくなっていました。蔵もどこにあったか分かりません。シダが周囲を覆っています。しかし川を東に渡るコンクリートの橋は健在でした(写真)。が、これを渡った後の東岸の道は倒木が多く、しかも棘のある木もあって歩きにくい道(踏み跡)でした。川を西に渡り、また東に戻り、という感じで、やっとコンクリートの橋に着きました。ここからは少し幅の広い道になりました。


この南で谷は東向きと北向きに別れ、東向きには橋の跡がありますが、本郷川に戻るには西の山を越えなければなりません。この付近の東に出っ張った尾根に地形図では破線道があるのでそれを探しましたが、見当たりません。植林にする時に消えたのかも知れませんが、いずれにせよ尾根の南側は急斜面で登れそうもありません。もっとも登りやすそうなのは尾根の先端だったので、木につかまって登りました。登ってみると若い植林の間に踏み跡があり、意外と楽に登れました。急斜面を登り切れば自然林も植林もきれいで、主尾根まで登り、南に歩きました。白い岩の多い2つ目の370m+ピークまで行き、西に植林を降りました。歩きにくい所はありません。たまに作業道があり、それを使えば楽に降りられるかと思いましたが、行ってみると藪があったりして、結局は尾根の先まで歩いて急斜面を墓所に降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「土万」「三日月」です。



2025年1月5日日曜日

北から登る赤十字山

 


赤十字山は佐用町の山で、志文川と千種川が合流する付近の南にある山です。だいぶ前に赤十字山から多賀登山まで縦走したことがありましたが、その時には南から保守道路で登ったので登山とは言えません。今回は北の坂田から登りました。坂田の南の191mピークは猿喰城跡だそうなので、まずそれを見に行きました。尾根の先に道路がありますが、斜面は非常に急で山城っぽい感じです。ここは登れないと思い、坂田谷川を入っていくと砂防堰堤がありました。その北側は木のまばらな落ち葉の急斜面で、ここをまっすぐに登りました。191mピークはちょっと平らになっていて、木が邪魔ですが冬なので東も西も見渡せました。帰りにわかったのですが、実は尾根の北の崖には金属の梯子が設けられており、そこから登ることも可能でした。


191mピークから南に歩くと、ずっと平坦地が続きます。ここまで城趾だったとすると、石垣はありませんが単なる砦だったとは思えず、山城だったのではないかと思えました。しかし標高180m付近からの斜面は急で、さすがに城の裏手という感じでした。ひとしきり登ると少し平らになりますが、なんとなく人の手が入っているようで、ここも山城の一部だったのだろうかと思いました。ここには共同アンテナの跡がありました。この先も山頂まで黒いケーブルが地面を這っていました。この付近では斜面の中央が幅広く凹んでいますが、そこに石積があり、これは意図が不明でした。あまり急斜面のない木の少ない幅広の尾根で、楽に登って行けました。ときどき広い平坦地があって、これも山城の一部かと思いましたが、考えすぎでしょう。植林もあり、落ち葉をイノシシがかき回した跡もあり、たまには遠景もありで、楽しめる山登りでした。


山頂に近づくと、保守道路の終点に出ました。道路は歩かずそのまま進むと、共同アンテナの残骸があり、次はツーカーホン関西の播磨徳久局の40mの通信塔です。さらに歩くと赤十字山の山頂には多賀二等三角点(407.56m)の真新しい標石がありました(写真)。さらに歩くと佐用町の多賀中継局の2本のポールがあり、さらには南光町行政無線多賀中継所のポールがありました。ここからは東に稜線を歩きました。たまに倒木があるくらいで、藪はまったくない歩きやすい尾根でした。クネクネと曲がっていますが、踏み跡のある所もあり、あまり迷う余地はなかったようです。


426mのピークまで歩き、北に降りることにしました。少し北に歩いてからは植林の急斜面を降りました。下に尾根が見えているので方向は間違いなかったのですが、かなり急でした。まだ割と若い植林で木の間隔が狭かったので、木に掴まって降りられました。降りてしまうとまた雰囲気の良い尾根でした。なんとなく道があるような感じがしてましたが、だんだんに道がはっきりしてきました。道と言ってもちょっと窪んでいるだけですが、はっきりと続いていました。そのうちに道は尾根から西の谷に降りていきました。まっすぐに尾根を降りる手もありましたが、安全策として道を降りてみました。安全策と言っても道が消えてしまえば意味がありません。道はターンしながら谷に降りていき、ターンのところでは怪しくなる所もありましたが、最後は人の手の入った谷に出て、地形図の破線道に繋がっていました。この道を降りましたが、ため池の下の害獣避けの扉の電気柵は昼夜常時通電中だそうで、通り抜けるのが大変でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「三日月」です。