2014年9月20日土曜日

和田から登る銅山

この和田は、養父市大屋町の、明延川沿いの和田です。明延鉱山跡の北側となります。まず和田から西へ舗装道路を走りました。細い道ですが舗装は綺麗です。途中には、アルトス・ビレッジなるペンション(?)や、この付近にあった製糸工場のことを書いた説明板などがあります。舗装道路の終点で車を停めて歩きはじめようとすると、きれいな石垣が目にとまりました。歩いて行くと、未舗装の道沿いに綺麗に組まれた石垣が積まれており、今は植林になっていますが、平地がたくさん作られていました。石垣の立派さは多くの山城を凌ぐものがありますが、整地の仕方は城というよりは村のようで、しかも新しいものです。崩落した道を登ると「大屋町指定文化財 史跡 古屋の小倉屋敷跡」という杭がありました。さらに登って一番大きな石(と言っても1m以上のものはありませんが)の使われている石垣の所には「遺跡 小倉屋敷石垣 この西北一帯、数年間の歳月と巨額の費用を投じて築造、宝暦元年(1751)の完成と言う。。。」という説明書きがありました。古い歴史を持った村の跡のようです([1])。昭和47年に廃村とのことなので、電気も来ていたようですし、碍子やタイルなども落ちていました。村を抜けてさらに南西に古い道を登りました。この谷の南側の段々畑も石垣でしっかりと作られたものでした。地形図の破線道は残っていますが、徐々に灌木が増えてきて抜けられなくなりました。そこで谷は諦めて目の前の斜面を登ることにしました。谷を真っ直ぐに進めば、霊鷹鉱山があったはずです。

目の前の斜面は地形図ではあまり急勾配ではないのですが、実際には腕を使わずには登れません。植林ですが木が小さいので枝が邪魔です。そのうちに自然林になり、やや勾配が楽になったと思ったら美しい植林に出ました。ここからは植林を尾根まで登り、南に銅山を目指しました。「大昭和」という標石が目立ちます。下草のほとんど無い、木の間隔の広い尾根で、緑が綺麗で気持よく歩けました。307mピークを通り、徐々に周囲が広くなり、ますます気分が良くなりましたが、最後は標高900mのところで急斜面に突き当たりました。これを頑張って登ると、日本分水嶺の主尾根に出ました。「界標第六拾」と彫られた標石がありました。ここからは西に歩いて、銅山山頂に出ました。宍粟50名山の一つで、筏三等三角点(953.82m)があります。

銅山山頂からは日本分水嶺を東に歩きました。ここは以前(2011/05/05)にも歩きましたが、素晴らしく気持ちの良い尾根です。「サロンパスの木」という札のかかった木を二本見ましたが、ミズメでしょうか。ほとんど平らな尾根ですが、857mピークの手前で大きな下りがあり、登った所で北に下山しました。こんな気持ちの良い尾根を離れるのはとても残念でした。しかし下山に使った尾根も下草は無く、歩きやすくて助かりました。最初は植林ですが、下って行くと自然林になりました。それでも歩きにくいことはなく、ピンクテープのマーキングが続いていました。最後はあまりに急なので右手の平坦地に降りました。ここも明らかに畑で、細く急な作業道で谷まで降りられました。この付近には石垣があり、碍子が落ちていたり、コンクリートの水路などもありました。谷を渡って再び石垣目指して登り、村の跡に戻ってきました。

石垣の立派さに圧倒され、山歩きでは緑の美しさに圧倒され、歩いていたのは4時間弱でしたが堪能出来ました。村跡は墓地などを見ておらず、また行かねばなりません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」「戸倉峠」です。

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