2012年12月24日月曜日

南条山から置塩城趾


地形図を見ていて、置塩城を東から攻めたらどうなるだろうと思いました。そこで東の南条山から攻略しようと思い立ちました。しかし、車を取りに帰ってくる必要があるので、出発点は東ではなく西になります。車を置塩城趾の下の櫃倉神社にとめて、南に歩きました。

しばらく行くとお寺があり、山裾に墓地があります。それとは離れて北側に3基だけ墓石のある小さな墓地があり、その裏山が登れそうだったので行ってみました。この地域では山裾に害獣避けネットがないので、山に入るのは簡単です。墓地の脇から急な作業道を登ると、北側の谷に出ました。登りやすそうな植林に入って作業道を適当に登ると、尾根に出ました。姫路付近の里山としては典型的な尾根で、伐採された木や倒木が邪魔なほかは、楽に歩けました。踏み跡があり、シダも所々しか生えていません。枯れた灌木の枝を折りながら落ち葉の上を登りました。238mピークを過ぎても様子は変わりません。たまに植林らしい場所があっても、木がとても細くて発育不全の感じです。

尾根を真っ直ぐに登ると、290m+で左右に尾根が分かれます。これが主尾根です。少し南に行って350m+のピークに行ってみましたが、木が邪魔であまり良い展望は得られません。ここは棚原山から暮坂峠に通じる長い尾根で、かつては夢前町と香寺町の町界でした。置塩城趾を目指して北に歩くと、353mピークの手前付近で南に良い展望が得られました(写真)。この付近の尾根には岩が多く、東の市川沿いから北条方面や、西の山々も見えました。353mピークの北側の道はしっかりと整備されています。その先で390m+ピークに登る付近には少しですが石積みがありました。

390m+ピークと400m+ピークを越すと、ようやく南条山となります。しばらく植林の平地を西に歩くと、谷山二等三角点(439.81m)がありました。ここから西は、割と良い道があります。共同アンテナの残骸を過ぎると、地形図で見ると置塩城趾方面は急斜面を降りなければなりません。このルートは伐採してあるのでなんとなく分かりました。マーキングもありますが、それでも余りに急斜面で地面も荒れているので、これがルートとは思えませんでした。鞍部には少しましな道がありますが、置塩城趾までの登りも道があるわけではなく、斜面を適当に登りました。最後は本丸へ急斜面(人工の斜面かも知れませんが)を登りました。本丸からは北方面がよく見えます。

置塩城趾からの下山は、登山道を降りるのはつまらないので大手門から降りてみました。大手門へ行く道は案内板の地図の前から延びていますが、これもかなり荒れています。西曲輪群は一見すると段々畑のようです。道は曲輪群の南端に付けられていますが、ひどく急な道で、曲輪の中を降りた方が楽そうでした。そして大手門跡に着きましたが、どこに門があったのか分かりません。山の上にあった案内図では、大手門跡から東に水平に道があって、大手道に降りることになっています(消されていますが)。大手門跡の下に東に向かう道はあるのですが、すぐにシダ藪に突っ込んでしまいます。どう進んでも背丈以上のシダが密集して生えています。地面を歩ければ古い道でもだいたい分かるのですが、シダの上からしか歩けないとどこが道なのか全く分かりません。結局しばらく探索してから諦めて、大手門跡から真っ直ぐに尾根を降りることにしました。ピンクテープのマーキングがところどころにあって、何となく道が付けられているような気もしましたが、簡単には歩けません。木に掴まってなんとか降りて行きましたが、尾根から外れるとシダやササの藪がひどくて身動きが取れなくなります。尾根の下部では植林を抜け、最後は少し笹藪を突破すると、道路に出られました。出てきた場所は「史跡置塩城跡」という看板のすぐ北側でした。

3時間半の里山歩きでした。さすがに山城だけあって周囲の斜面は簡単に上り下りできるものではないことがよく分かりました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆ 最後の下山は完全な蛇足
地形図は「前之庄」です。

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