2019年1月5日土曜日

津田永忠の墓所から登る空山

和気町の空山には、2017/03/25に登りました。結構な藪山で苦労しましたが、今回は南に奴久谷(ぬくだに)にある「岡山藩主池田家墓所附津田永忠墓」から登ってみました。津田永忠は岡山では知らない人はいないと思いますが、17世紀に岡山藩を支えた人です。この墓は和意谷にある池田家の墓と同様に儒教式になっており、本名を書いた石の後ろに盛り土があるだけのものです。

墓所の後ろの斜面にはしっかりした金網が張られています。入口を探して彷徨いましたが、結局東の谷に降りた所にありました。谷から斜面を登りましたが、シダが生えているところを極力避けたため、かなり傾斜のきつい所を木に掴まって登ることになりました。しかし枝が邪魔なだけでシダ藪はしのげました。支尾根に上がると一面のシダで、シダの薄い、道かも知れない所を登りました。空四等三角点(290.7m)はシダ藪の中で、白い棒が立っていなければ見つけられなかったでしょう(写真)。しかし三角点を過ぎるとシダが減ってきて歩きやすくなりました。道もたまにありますが、灌木の藪に消えてしまいます。方角もわかりにくく、適当に道らしきものを求めて歩いていたら、320m+に登ってしまい、2017/03/25に見た石積みに出ました。ということは方向を間違えているわけで、付近の藪をうろうろした挙げ句、やっと東に進路を定めて、北の林道との出合いまで来ました。前回の反省として、ここからは林道を歩いたほうが楽なのですが、前回同様に灌木の藪を抜けて空山まで歩きました。働(かせぎ)三等三角点(375.66m)があり、岡山徒歩の会の札が木にかかっていますが、標高や山名は書かれていません。

下山は少し南に歩き、南東に尾根を降りました。これも分かりにくい尾根で、シダも茂っており、それを避けると方角が分からなくなるので困りました。GPSとくびっぴきで降りました。途中に地面に人が入れそうな大きな穴があいていましたが、鉱山ではないでしょう。道のような溝があっても、シダで覆われていると歩けません。それでもたまに吉永方面が見える場所もあって、一息つけました。降りれば降りるほどシダが濃くなりましたが、踏み跡はあります。280m地点もシダが生えており、その先は方向が分かりにくいのと背の高いシダ藪なのと相まって難所でした。それでもなんとか方角を定めて尾根を降りて、120m+の鞍部に出ました。もう藪は懲りたので西側に斜面を降りましたが、ここは植林で何も問題ありません。そして降りてきた所は航空写真ではよく分からなかったのですが、養鶏場の跡でした。20以上の大きな建物の残骸があり、中にはケージが並んでいます。だいぶ前に操業を止めたようですが、操業していたら山から迷い込んだら困ったことになったと思います。養鶏場の中を歩いて、原っぱを歩くと害獣避けの扉がありました。養鶏場には害獣は入れたということなのでしょう。

ギリギリなんとか歩ける程度の藪山、という感じでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「和気」「日笠」です。

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